目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第40話 価値観は人それぞれ


「シリウス様、シリウス様、シリウス様ー!」


 一昨日ぶりにシリウス様の執務室に突撃すると、シリウス様は今日も水晶玉を使って覗き見をしていた。


「シリウス様、私、気付いてしまいました!」


「……静かな日は、一日だけであったか」


 シリウス様は、水晶玉から顔を上げた。

 何だかその顔が寂しそうに見えたので、おちゃらけて場を和ませることにした。


「きゃっ、シリウス様と目が合っちゃいました。きっと私たちが運命の恋人だからですね!」


「……ふざけるなら執務室から締め出す」


 どうやらおちゃらけすぎたようだ。

 私は締め出されないように自身の口を両手で覆った。


「それで、何に気付いたのだ?」


「わひゃひはでひゅね」


「手を離してから話すように」


 シリウス様に言われて自身の口から両手を離す。

 そして流れるようにシリウス様の膝の上を陣取った。


 昨日みたいにシリウス様が私と距離を置かないように、とりあえず物理的な距離を縮めておきたかったのだ。

 すぐに降ろされるかと思ったが、意外なことにシリウス様は何も言わなかった。

 そのためこのままの体勢で話し始めることにした。


「私はですね、確かに例の男の子がジャンの友人を殺したと聞いて動揺しました。でもそれは、殺されたのが兄であるジャンの友人であり、私も会ったことのある人物、いわゆる『私と近い人間』だったからだと思うんです」


「…………ほう?」


 私の言葉を聞いたシリウス様の蒼い瞳が、興味深げに光った。


「あれが、私の生まれていない時代の、全く知らない人だったら、『ふーん』で終わりだったと思うんです。実際、帝国の歴史を学んだとき、誰が誰に暗殺されても『ふーん』としか思いませんでした」


 長い歴史の中で暗殺された皇子の数は数えきれないほどだった。子どもの頃に暗殺された皇子たちは特に可哀想だと思ったが、それでご飯が喉を通らなくなることは一度も無かった。

 自分と関係のない者の死は、ただの歴史でしかないのだ。


「だから過去の話をされても大丈夫です。どれだけ人が死のうとも、その死は私にとって歴史でしかありません」


「自分と関係のない人間なら死んでも何も思わないと? ……戦争が無くならないわけだ」


 シリウス様の目が見たことのない色に濁るのを見て、不安に襲われた。

 私は、彼の欲しい答えとは違う答えを出してしまったのかもしれない。


「私、よくないことを言いましたか?」


「いいや。とても人間らしい答えだった……羨ましいほどに」


 私でも今の「人間らしい」が良い意味ではないことくらい理解できる。

 しかしこの考えは、本当によくないものだろうか。


「シリウス様。今の発言は嫌な感じです」


「嫌な感じ……だっただろうか」


「今この瞬間にもどこかで誰かが死んでいます。ですが、それらすべてを悲しんでいたら、人生は悲しいばかりのものになります」


 冷たいことを言うようだが、私たちは、どこかの誰かの人生よりも自分の人生を優先するべきだと思う。

 別に知り合いの死を悲しまないと言っているわけではない。

 知らない人の死を悲しむほど、人間の寿命は長くないのだ。


「どこかで折り合いをつけることが必要です。そして私は、シリウス様の過去の話に出てくる人物には、感情移入しないことに決めました」


「そうか……そういう考え方もあるか」


 シリウス様は納得したような、納得していないような、どちらとも取れる絶妙な表情を浮かべていた。


「さあ、愛するシリウス様の過去の話を聞かせてください!」


「覚悟は出来ている、ということか」


「もちろんです!」


 シリウス様がベルを鳴らすと、執務室に紅茶とお茶菓子が運ばれてきた。


「いいだろう。この前の続きを話すことにする」


 ティーカップに紅茶が注がれたのを合図に、シリウス様は昔話を始めた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?