俺とマリアンヌは酒場で情報収集をすることが多かった。
なぜなら酒場では、下世話な会話が飛び交うからだ。
あそこの家の爺さんが不治の病にかかったらしい。あそこの家の奥さんが毒薬を買ったらしい。あそこの家の旦那さんは暴力沙汰ばかり起こしているらしい。
いくつものテーブルでいくつもの下世話な会話が繰り広げられている。
しかしこの日の酒場は、共通の話題で持ち切りだった。
「もうすぐ隣国と戦争が起こるらしいぞ」
「前にも言われていたが、結局何も起こらなかっただろう?」
「今回は信憑性がある。武器商人の羽振りが良くなっているからな。きっと国が武器を買い揃えているんだ」
「そういえば、兵士になった息子が、訓練が厳しくなったと手紙に書いていたな」
「隣国で暮らす彼女から手紙が来なくなったのは、戦争が起こるせいか?」
俺は酒場の客たちの会話に耳を傾けながら、頼んだ酒を喉に流し込んだ。
「……どう思う、シリウス?」
「戦争の噂が本当なら、また冥界が忙しくなるだろうな」
「そうじゃなくて。私たちに出来ることはないかしら」
第三者のような意見を口にする俺に対して、マリアンヌは意外なことを言ってきた。
「俺たちに出来ることなんて無いさ。俺たちは皇族じゃなくて、ただの町民なんだから」
「そうじゃなくて……力を使って、よ」
周りを気にしてマリアンヌは声を潜めた。
そんなことをしなくても、がやがやとうるさい酒場ではわざと耳を傾けない限り、周りの客の会話内容など聞こえない。
「私が“生を司る能力”を使って、あなたが魔法を使えば、すぐに戦争は終結するわ。あなたは私よりも、いいえ、きっと誰よりも強い魔法使いじゃない。魔法で出来ることがたくさんあるはずよ」
俺はマリアンヌの言葉に大層驚いた。
なぜならマリアンヌの発言は、特定の国に肩入れをする、という意味なのだから。
「冥界の住人が人間同士の争いに手を貸すことには賛同できないな。俺たちが助けた方の国が有利になりすぎる」
「だけど戦争が早く終われば、死者が少なくて済むわ」
戦争による死者は少ないに越したことはないが、それでも俺はマリアンヌの意見を断固として受け入れなかった。
「人間同士の争いは、人間だけの手で決着をつけるべきだ。俺たちは関わるべきじゃない」
「それなら両方の国を助ければ……!」
苦し紛れのマリアンヌの意見を、これまたすぐに否定した。
「それは戦争を長引かせるだけだ。そもそも両方の国の兵士を救う立場になれるわけがない。必ずどちらかの陣営として戦争へ行くことになる」
「それなら、国に属さずに単独で戦場へ行って……」
「単独で戦場の真ん中に現れて、両国の兵士を平等に助けるつもりか? その意見が現実的ではないことくらい分かるだろう。戦場の真ん中でも、死者数は真っ二つにはならない。優勢な国の死者数は少なく、劣勢な国の死者数は多くなる」
その上、誰を助けるかによって、戦況を大きく変えてしまう恐れもある。
一人で何十人もの敵を倒すような兵士を蘇らせるか否かで、戦況は全く別のものとなってしまうだろう。
両方の国を平等に助ける場合、考慮すべきは人数だけではないのだ。
それに冥界でも地上でも、マリアンヌとは長い付き合いだ。
彼女の性格はよく知っている。
「なあ、マリアンヌ。両方の国を救うことは、両方の国を救わないことでもある。君は目の前で倒れた兵士がいても、こっちの国はあっちの国よりも多く兵士を救っているから助けない。なんてことが出来るのか? 腐れ縁の俺が断言する。マリアンヌには無理だ」
俺が言い切ると、マリアンヌは何度か口をパクパクとさせたものの、言葉が出てこないようだった。
黙って目の前に置かれていた酒をあおった。
「……戦争なんか、起きなければいいのに」
「その意見には、俺も賛成だ」
それから一週間も経たないうちに、戦争が始まった。
マリアンヌは「戦争に医療チームとして参加する」と書き置きを残し、宿屋を出て行った。