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第43話 シリウスの過去⑨


 月日が経つうちに、誰もがマリアンヌのことを『聖女』と呼ぶようになった。

 マリアンヌは「戦争で力を使い果たした」として、戦争以降は“生を司る能力”を使うことはなかったが、それでも聖女の称号は消えなかった。

 そして活躍の褒美として、皇族たちとともに城で暮らすこととなった。

 褒美でもあり、同時に聖女を囲う意味もあったのだろう。



 一方で俺は、冥界の仕事をこなす毎日を送っていた。

 マリアンヌの助けた魂があまりにも多かったため、冥界と地上の魂のバランスが崩れてしまったからだ。

 現在は地上の魂が多すぎるため、“死を司る能力”で調整をする必要がある。


「……ついに俺のところにも来たか」


「ついに? 俺は、噂にでもなっているのか?」


「ああ、みんな噂してるぜ。お前は狂った人殺しだって」


 ベッドから飛び起きた男の手には、剣が握られていた。

 いつ襲われても応戦できるよう、布団の中に忍ばせて寝ていたのだろう。


「生憎、俺はただで殺されてやるつもりはない。返り討ちにしてやる!」


「俺は、眠るように穏やかに仕事を済ませるつもりだったのだが……」


「そんなもん知るか。俺には妻と息子がいるんだ。俺がいなくなったらあいつらはどうなる!? 穏やかだろうが何だろうが、死ぬわけにはいかない!」


「……妻と子ども、か」


 俺が呟いた途端、男が剣を刺し出した。

 避けようとしたが、軟弱な魔法使いでは、素早い剣捌きに身体がついていかなかった。

 結果、男の剣は俺の胸に突き刺さる。


「人を殺してきた報いだ」


 そう言って男が剣を抜くと、俺の胸からは大量の血が吹き出した。


「……やはり戦争を経験した者は迷いが無い。この前の男もそうだった。一瞬の迷いが死につながると知っているから動けるのだろうか」


 俺は、一歩、また一歩、男に近付く。


「でも俺はその経験が無いせいか、いつも迷いが出てしまう。こっちの都合で生かしたのに、またこっちの都合で殺すなんて、あまりにも惨いのではないか、と。それとも予定外の生を得たのだから得をした、と思ってもらえるのだろうか」


 男は俺とは逆に、一歩ずつ後退する。

 すぐに背中が壁に当たった。


「眠るように穏やかな死なら、受け入れてもらえるのではないか。いいや、死ぬ瞬間にこれまで生きてきた世界を見ていられないのは、可哀想なのではないか。果たしてどちらが正解なのか、俺には分からない」


「お前……どうして平然としている!?」


 男の質問に、俺は自嘲気味に答える。


「俺は、人間じゃないから」


 俺は自身の胸に手を当てると、自分に向かって回復魔法を使った。

 自身の寿命を使って自己治癒力を高める。

 しかし冥界の住人である俺に寿命は無いから、傷をどれだけ回復させても死ぬことはない。

 みるみるうちに胸に空いた穴は塞がっていき、元通りになった。


「穴が空いたままにしていても死にはしないが、みっともないだろう?」


「ひっ!? 化け物!?」


「優秀な魔法使いならこのくらいは出来るんじゃないか? ……いや、どうだろう。心臓を一突きにされたら、魔法を使う前に息絶えるか」


 俺は男の元へゆっくりと近付き、耳元で囁く。


「俺は理不尽に命を奪いに来たわけではない。お前はあの戦争で死ぬ運命だった。だから、魂を狩るのが少し遅れただけだ」


「死にたくない、死にたくない、妻と子どもを置いて死ぬなんて、嫌だ、死にたくない、どうか俺がいなくなっても幸せに、嫌だ、死にたくない、生きたい、俺もともに生きていきたい」


 男はもう俺に剣を刺す元気は無いようで、祈るように独り言を呟いていた。


「さようなら。せめて冥界では安らかに」


 祈る男の胸元に手をかざし、“死を司る能力”を使うと、男はその場で力なく崩れた。


 俺は男の身体をベッドに寝かせ、手を合わせてから宿屋に帰った。




 “死を司る能力”を使った後は、決まって酒を飲んで過ごす。

 酒が思考力を鈍らせ、感情を麻痺させるからだ。


「人間が酒を好むわけだ」


 俺は人間の魂を狩る、人間とは違うこの世界の異物なのに、人間と同じく酒で酔うのは何ともいい気分だった。


「さて、もう一本…………しまった」


 気付いたときには、すべての酒を飲み切ってしまっていた。

 宿屋に帰ってからずっと飲み続けていたせいだ。


「……寝るか」


 俺に睡眠は必要ないが、何も考えたくないときは寝てしまえばいい。

 しかし。


「こいつもか」


 これまでの人間たちと同じく昨日の男も、俺が目を瞑ると瞼の裏に現れた。

 恨めしそうな顔で俺のことを見つめている。何をするわけでもない。ただずっと、見つめているのだ。


「やめろ!」


 両手を振り回してみるが、男には当たる気配がない。

 当然だ。男は昨日、俺が殺したのだから。


「俺だって、殺したくて殺したわけじゃ……俺の気持ちがどうであれ、俺が殺した事実は変わらないが……じゃあ俺にどうしろって言うんだ」


 男は、暴れる俺を黙って見つめている。

 ただ静かに、まるで死んでいるかのように。


「どうして死にたくないなんて言うんだ。妻と子どもの心配をするんだ。そんなことを言われたら……」


 俺は冥界の住人で、人間は数として考えるべきで、魂の数を調整するために殺すのは当然のことで。


 ……だけど、殺したくなかった。

 生きたいと願う者を、殺すことなんかしたくなかった。


『冷静なフリをしているあなたも、きっともう手遅れよ』


 マリアンヌの声が聞こえた気がした。




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