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第61話 世界は思い通りになりません


「町はいかがでしたか」


 リアが私の髪を梳きつつ、質問をした。

 リアは世間話としてこの話題を振ったつもりしれないが、町でのアレコレは軽く返答できるようなものではなかった。

 たった一日が、ものすごく濃かったのだ。


「町娘を威嚇したり、商人のすごさを感じたり、仄暗いお仕事にどんよりしたり、地道な作業に驚いたり、シャーロットの顔面力に沈んだり、金の匂いを嗅ぎ取ったり、これまでの認識を改めたり、イザベラお姉様の幸せを願ったり、町を走り回ったりしました」


「よく分かりませんが……刺激的だったということですかね?」


 自分で聞いてもよく分からない説明を、リアは無難な言葉でまとめてくれた。


「はい、刺激的でした。人さらいにも遭いましたし」


「人さらいに遭ったのですか!?」


 町に人さらいがいることを知っているリアでも、まさかたった一日で遭うとは思っていなかったらしい。

 リアは声を裏返らせて驚いていた。


「大丈夫ですよ。人さらいは気絶しましたから」


「さすがはシリウス様です」


 リアはシリウス様が人さらいを退治したと考えたようだ。

 私でも、あの現場にいなければ、同じように考えていただろう。

 しかし。


「人さらいたちは、勝手に気絶したと言いますか……」


「勝手に気絶ですか? 間抜けな人さらいだったのですね」


 事実を知らないリアが楽しそうに笑っていたので、そういうことにしておこう。

 あんなにも攻撃力の高い腕輪を私に持たせていることがバレたら、きっとシリウス様はリアにお小言を言われてしまう。


 リアは基本的にはシリウス様に従順だが、私に何でも与えようとする教育方針にだけは反対をしている。

 シリウス様は善意のつもりでも、欲しいものが何でも手に入る環境にいると私がダメな大人に育ってしまうかららしい。

 私もリアの意見に賛成だ。

 シリウス様からのプレゼントはこの上なく嬉しいが、与えられることに慣れ過ぎると傲慢な人間に育ってしまう可能性があることを、私は侯爵家で学んだ。


 兄であるジャン・クランドルは、望むものを何でも与えられたためにあんな性格に育ってしまったのかもしれないと、今ではそう思う。

 甘やかされ過ぎたせいで世界は自分の思い通りになるという勘違いをしてしまい、思い通りにならないものに腹を立てていた。

 侯爵も途中で自分の教育方針が間違っていたことに気付いたようで、ジャンを叱るようになったが、時すでに遅し。

 叱られたジャンは反省をするどころか、自分が叱られることに腹を立てる性格に育ってしまっていた。


 人の振り見て我が振り直せとばかりに、私は「世界とは自分の思い通りにならないもの」として生きるようになった。

 ……イザベラお姉様も、私と同じだったのだろうか。

 イザベラお姉様が侯爵に叱られているところを、私はほとんど見たことがない。

 そのことがジャンをより苛立たせていたが、ジャンがイザベラお姉様を表立っていじめることはなかった。

 実の兄妹だからなのか、出来の良い妹をいじめるという事実をジャンのプライドが許さなかったのか。

 その理由は、私には分からない。


「ところで、シャーロット様の顔面力とは何ですか?」


 リアの声で、私は現実に引き戻された。


「ものすごい美人は、見た目だけで相手を落ち込ませることが出来るんです」


「クレア様はシャーロット様の顔を知って落ち込んだのですか?」


「落ち込みました」


 お人形のような見た目のシャーロットと比べると、誰だって見劣りしてしまう。


「私、自分のことをそこそこ可愛いと思っていたんですが、あくまでもそこそこでした」


「そんなことを思っていたのですね」


「思っていました」


 この城へ来てから、美味しいものをいっぱい食べて、元気に身体を動かして、勉強もして。

 とびっきりの美人ではないものの、自分のことを、健康的で活発で知的な美少女だと思っていた。スタイルだって悪くない。

 だが、本物の美には勝てないと、シャーロットの似顔絵を見て悟ってしまった。


「シャーロットに負けないよう、シャーロットの似顔絵を買ってもらいました。自分を磨いて、あの顔に勝つことが目標です」


 そう言うと、私は自室の壁に貼られたシャーロットの似顔絵を指さした。

 あれが、この城にある唯一のシャーロットの似顔絵だ。


「クレア様。自分を磨くことはいいことですが……シリウス様はそこまで相手の顔の美醜にこだわらないと思うのです」


「そうなんですか!?」


「はい。シリウス様は自分の顔が特別に美しく、それ以外の顔はドングリの背比べだと思っている節があるのです」


 確かにシリウス様は自分の顔にとても自信を持っているようだった。

 たった数時間の変装でも、自分の顔の造形を変えることを嫌がっていたほどだ。


「相手が美人であろうとなかろうと、シリウス様は特段気にしないと思うのです。人間の顔の美醜はドングリレベルの差だと思っているので」


「シリウス様は美人が好きなわけじゃないんですね!?」


「本人に聞いてみないと分かりませんが……シリウス様が美形と認めるのはご自分の顔だけだと、リアは思うのです」


 シリウス様は極度のナルシストだったのか。

 しかしこの場合は、ナルシストが功を奏したかもしれない。

 いくら磨いたとしても、私はお人形のようにはなれない。それでもシリウス様に愛される可能性はある。


「今、シリウス様は執務室ですか?」


「いいえ。新しい素材を仕入れたからと、研究部屋にこもって作業をしています」


 研究部屋。この城の中にある、唯一使用人が掃除をすることを許されない部屋のことだ。

 危険な薬品や鋭い武器があるからというのが理由らしいが、誰も片付けをしないため、物が積み上がって倉庫のような状態になっている。


「前にチラッと見たことがありますが、あの部屋すごいですよね」


「そうなのです。汚すぎるから片付けたいといくらお願いをしても、片付けをさせてもらえないのです」


「魔法で掃除してるんじゃないですかね、シリウス様自身で」


 シリウス様は店で行なっていたように、魔法でホコリを集めている可能性が高い。

 それならいくら物が多くても、隙間をぬってホコリを集められる。

 部屋の美化という点に関しては、根本的な解決にはならないが。


「きっとシリウス様自身も、何が置かれているのか忘れているのです。忘れるような物なら処分してしまえばいいと、リアは思うのです」


「あー、うん。リアの気持ちも分かります。ですがあの部屋には、シリウス様の趣味が詰まっているのではないでしょうか」


「趣味、ですか」


 趣味で集めているコレクション品は、本人以外にはゴミのように映ってしまうことが多々ある。

 しかし本人にとっては紛れもなく宝物で、それを他人の価値観でゴミ扱いするのは良くないことだと私は思う。

 家族のコレクション品をゴミと勘違いして勝手に捨ててトラブルになることも、割とあるらしい。


「シリウス様は魔法の研究がお好きですので、魔法の素材になるものは、すべてが宝物に見えている可能性があります。ですので、あの部屋はシリウス様にとっては宝の山なのかもしれません」


「……そう言われると、あの部屋を片付けることが良くないことのような気がしてきました」


 正直なところ、何にでも限度があって、あの部屋の汚さは限度の外だと思うが、話が丸く収まりそうなので黙っておくことにした。


「森の中で暮らしていますから、仕事だけをしていると鬱々としてしまいます。趣味を持つことも大切だと思いますよ。ですから私も趣味を見つけないと」


「クレア様は、シリウス様を追いかけまわすことが趣味なのだと、リアは思っていました」


 否定はしないが……そうか。私はシリウス様を追いかけまわすことが趣味の女だと思われていたのか。


「リアの趣味は何ですか?」


「それは……ちょっと待っていてくださいね」


 そう言って部屋を出て行ったリアは、少しして小さな箱を持って戻ってきた。


「これです」


「箱の中にガラスの破片がいっぱい……これがリアの趣味ですか?」


「そうなのです。リアの趣味は、町へお仕事に行った際に、キラキラしているものを集めることなのです」


 そっかあ、リアの趣味はガラスの破片集めなのか……って、それならシリウス様の収集癖に理解があってもおかしくないのに。

 いくら収集家でも、自分の趣味と合致しないものはゴミに見えてしまうものなのだろうか。


「よく分からないけど、リアのコレクションを見て私の趣味にも火が点いたみたいです」


 そして、勢いよく立ち上がる。

 私も趣味を行なうとしますか!


「シリウスさまぁー!」


 私は甘い声でそう叫びながら、研究部屋という名の倉庫へと向かうのだった。




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