真っ白い部屋。右側にはマジックミラーが貼られている。
目の前の大男は先ほどから私の顔を覗きこんでは睨みつけ、筋張った拳で何度も何度も机を叩いている。
繰り返される言葉の意味を私は理解している。
それでも私は首を縦に振ることはない。
エージェントと呼ばれる男が私の前に現れたのは数年前。エージェントはいわゆるアンドロイドで脳は人のものを持つ。容姿が美しいタイプで0A(ゼロエー)と呼ばれていた。後続のQ4(キューフォー)やエイリアンタイプが最近では主流で0Aはこの頃には珍しかった。Q4やエイリアンタイプは人型であったりするが人の脳を搭載するものは少ない。
新しい部署、丁度コーヒーを片手にサエキがデスクに戻った時だ。彼、エージェントは部署内で挨拶を済ませて最後にサエキの元へ来たところだった。
『こんにちは。初めましてエージェントです。』
エージェントは新人らしく腰を直角に折り日本式と呼ばれるお辞儀をしてみせる。サエキは少し椅子を引き、立ち上がった。多分顔を引きつらせていたに違いない。
『どうも。サエキです。』
『サエキさん、よろしくお願いします。』
『ええ、どうも。』
アンドロイドというのは普通に人にまぎれて生活している。人と同じ権利を持ち、殆ど人と同じ。違うのは年を取らない、間違わないくらいだろうか。
エージェントは0A、職場の男女問わずが彼に振り返る。すらりとした体躯にスーツ姿が美しい。時折はにかんでみせるのはプログラムだろうか。
職場の女性たちは簡単に虜になった。仕事が出来るアンドロイド、それだけでも素晴らしいものなのだろう。
ヘッドセットマイクを取り外しデスクに置くとサエキは溜息を付く。仕事とは言え、泣き叫ぶ人たちの声を長く聞くのは耐えられない。罵声も飛んでくる。
クレームコールセンターではないのに何故これほどまでに皆狂っているのか。
一本煙草を取り出して火をつけると上から声がした。
『サエキさん、煙草はあまりよくありませんよ?』
ちらりと視線を上げるとエージェントだ。
『うん、分かってる。でもやってられないこともあるから。』
『フフ、じゃあ食事にでも行きませんか?』
『は?』
サエキが驚くとエージェントは頭を掻きながら笑った。
『ええと・・・駄目ですかね?僕(アンドロイド)では。』
『・・・そんなことはないけど。食べるの?』
『ええ、ちゃんと消化もしますよ。』
『そっか。』
『どうですかね?』
エージェントが両手を後ろに回してサエキを覗き込む。
サエキはそれを見て破顔した。
『いいよ。行こう。』
エージェントがサエキを連れて行ったのは所謂飲み屋で、人間の大将とアンドロイドが働いている。客も入り乱れ面白い様相だ。
『ここは美味しいんですよ。サエキさんも気に入るといいですが。』
エージェントが狭い店の中を先に歩き、ハイヒールのサエキに道を作る。
奥の座敷に入るとエージェントはふうっと胡坐をかいた。
『慣れているね?』
サエキはハイヒールをそろえると座敷に上がり、足を崩して座る。
『ええ、このお店はよく来ます。けど・・・誰かと来たのは初めてです。』
『へえ・・・それは光栄だな。』
『フフ、実はずっとサエキさんを誘いたくて。でもいつもすぐに帰ってしまわれるから。』
『そうだった?それは悪かったね。』
『いいえ。だから今日はとても嬉しいです。』
エージェントがそう言うとサエキの言葉を待たずに店員が注文を取りに来た。
てきぱきとメニューも見ずに注文するエージェントにサエキは笑う。
『本当に常連なんだね。』
『あはは、恥ずかしいな。僕の独断で決めてよかったですか?』
『いいよ、かまわない。君のほうが詳しいだろうし。』
『良かった。』
注文の品が並び二人して黙々と食べ始める。アンドロイドと二人で食事という経験がなかったサエキは時々顔を上げてはエージェントを見つめた。
『・・・食べるアンドロイドは・・・見たことなかったですか?』
焼き鳥の串を持ったエージェントは恥ずかしそうに笑う。
『ああ、ごめん。悪かった・・・ほら、君みたいな子は殆ど見ないから。本当にね。普段はロボットです、みたいな子だったり、動物はエイリアンタイプが多いじゃない?だから・・・新鮮で、ごめんね。』
サエキは長い前髪を片手でかきあげると苦笑した。
『いいえ、大丈夫です。ある意味慣れていて・・・僕は0Aタイプで自分で言うのもなんですが綺麗な容姿なんですね。シンフォニックというモデルがいるらしいのですが、・・・でも、あそこまでは綺麗ではありませんね。』
『ああ、シンフォニックか。』
シンフォニックは少し前の時代のモデルで、宇宙一と呼ばれる美貌を持つ雌雄同体の人間らしい。沢山の写真集が残っているが今は行方不明という。
『ご存知ですか?シンフォニックは身長が2mあったという話。』
『フフ、らしいな。だからこそシンフォニックは裸の写真が多かったと聞いたな。でも美しいよ・・・私も小さい頃はシンフォニックに憧れたものだ。』
サエキがビールを片手に笑うとエージェントは少し嬉しそうに笑った。
『うん?どうした?』
『・・・いえ。シンフォニックが褒められると・・・自分の事ではないのに僕は嬉しくなるんです。不思議ですね。』
『そうか。』
『はい。』
サエキとエージェントが二人きりで会う回数が多くなり、街を二人で歩いていた頃。ふと手がぶつかってサエキがエージェントを見た。
『あ、ごめん。ぶつかったね。』
『いいえ・・・あの・・・。』
エージェントの顔が赤く染まる。
『サエキさん、手を・・・繋いでも・・・いいでしょうか?』
『いいよ。』
恋人のように大きな手がサエキの手を包み込む。綺麗な瞳がサエキを映すと優しく微笑みが浮かんだ。
そうやって互いに距離が縮まり、ある日の晩、エージェントはサエキを家に誘った。
『もしよかったら僕の家に来ませんか?』
高校生のような文句にサエキはただニコリと笑いエージェントの家へ向かった。
二人が結ばれるのに時間はいらなかった。ただほんの一押し、言葉と暖かさが二人の距離を縮める。
ベットの上で寝転がるサエキにエージェントは泣き出しそうな顔をした。
『僕は・・・幸せを感じています。』
『うん。分かっている。』
二人の逢瀬は何度も重ねられ、幾月か過ぎては深く濃くなっていった。
シティに珍しく雨が降っていた。人降雨ではない雨だ。街の中を傘の花が咲く。
この時は電飾にも負けない色とりどりの花で街は華やぐ。
人と待ち合わせを終えてサエキは鞄の中に入れておいた端末を見た。
エージェントから数件もメッセージが入っている。終いには『好きだ』の文字。
サエキは自分の頬が熱くなるのを感じて両手で覆う。
その時、ビルのモニターが光り緊急ニュースが入った。
『本日、午後八時頃。惑星754WPR66でシンフォニックが発見されました。シンフォニックは有名なモデルで、衰弱状態で発見され・・・。』
繰り返しシンフォニックのニュースが伝えられている。足を止めた人々は自分の端末を手の中で確認し、大きな話題になっているようだ。
サエキはビルのモニターに映し出されたシンフォニックの顔をまじまじと見る。
確かにエージェントに似てはいるが、少し違う。
手の中の端末にある『好きだ』の文字をボタンで消して鞄に入れると歩き出した。