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第7話 或る自殺者の願い 其ノ肆

「──奏」


  不意に背後から白蛇さんの声が聞こえ、私ははっと顔を上げました。私が中々戻って来ないので、心配して見に来てくれたのでしょうか。


「如何でしたか? あの死者の願いを、聞き出すことは出来ましたか?」


「……はい、白蛇さん」


  白蛇さんの方へと向き直りながら、私はこくりと頷いてみせました。


「……奏? 泣いているのですか?」


  涙の痕に気付いたのでしょう、白蛇さんが不思議そうに小首を傾げながら、重ねて私に尋ねます。


「……はい、恥ずかしながら。久作さんの切なる願いが余りにも、物悲しいものでしたから。同情……憐憫。それらに近い感情をどうしても、抱いてしまって」


「久作──そう、それが彼の者の生前の名前だったのですね」


  夜空を見上げ、何処か遠い目をしながら、白蛇さんはその名を噛み締めるように口にします。


  白蛇さんは続けて、


「愛する家族を流行病で喪って現世に絶望し、突発的に自死したとはいえ、彼は元々真っ当に生きていた人間。そんな彼の境遇を耳にすれば、同情や憐憫といったものを抱くのも致し方のないことでしょう」


  死者に同情するなど以ての外──厳しい口調でそのように忠告されると思っていた私は、白蛇さんの意外な言葉に思わず目を丸くしました。


  意在言外──言葉に出さずとも私の思ったことを鋭敏に読み取ったようで、白蛇さんは心底不服そうに頬を膨らませ、シュー、シューと独特な噴気音を鳴らします。


「──私のことを、貴方は一体何だとお思いなのですか。人の心を理解出来ぬ、血も涙もない化け物だとでも?」


「い、いえ……! そのようなことは──」


  ぷくっと頬を膨らませ、威嚇音を発する白蛇さんを宥めながら、そんな彼女の姿を愛おしく思う私がいました。何時も無表情で何処か超然とした雰囲気をその身に纏っているからこそ、余計にそう思えたのかもしれません。


  暫くの間、そうしてむくれる白蛇さんを宥めていたのですが、白蛇さんも流石にこのままでは話が進まないと思ったようで、軽くコホン、と可愛らしい咳払いを一つすると私に問いました。


「それで──久作の願いは?」


「はい、白蛇さん。久作さんの願いは……大正十年に流行性感冒で命を落とした奥さんと娘さん──彼女たちにもう一度逢うことでした。もう一度逢って、二人に謝りたいと」


「大正十年……流行性感冒……成程、成程。それで彼は……」


  納得したように独り、白蛇さんは小さな呟きを発します。大正十年、流行性感冒という二つの言葉から、白蛇さんは久作さん一家を襲った一連の悲劇がスペイン風邪によるものだと看破した様子でした。


「……如何ですか? 久作さんの願い、叶えて頂くことは可能でしょうか?」


  私が訊くと、白蛇さんは困ったように眉をひそめながら、


「本来、自殺者の願いを我等産土の神が聞き届けることはありません。自ら、生の道を絶った者。たとえ、永劫の孤独の中を彷徨うこととなろうとも……それが、彼等の選択した道ですから」


  ですが、久作さんは生から解放されようと、自ら望んで死んだわけではありません。半ば夢遊病に近い形で、無自覚のうちに首を縊った人です。それ故に、自ら望んで生を絶った者たちとは異なり、まだ救いの芽はあると白蛇さんは言います。


  何より、亡くなった奥さんと娘さんが何らかの未練を残していたなら、久作さんのように此岸町を彷徨っている可能性が高く、そう言った観点からも彼の願いを聞き届け、そして叶えることは可能とは決して言い切れないが、だからと言って決して不可能というわけでもない──白蛇さんは慎重に言葉選びをしつつ、私にそう告げました。


  聞く人によっては歯切れが悪いように感じるかもしれませんが、神とて決して全能ではないことを白蛇さんは自覚しています。救えるものもあれば然り、救えないものもあります。故に白蛇さんは、何かを為す時は断言することを可能な限り避けたがる癖がありました。


  西洋のゴッドと、日本のかみは根本からして異なる存在。西洋が神を全知全能の創造主として喧伝するのに対し、日本の神はそれぞれ役割が分担されていたりします。神であるからには優秀であることに間違いはないのですが、何処かしら欠如していて互いに欠点を補い合う必要があったりするのです。


  白蛇さんはそういう意味では、極めて日本的な神さまでした。自分が全知全能ではないことを弁え、絶対に出来ると断言はしない。あくまで可能性があるとだけ言い、少しでも可能性を確実へと変えるために力を尽くす。白蛇さんは、そのような御方でした。


「──少々、お時間を頂きます。久作の願いを聞き届けられるか否かを確かめるためにはまず、彼の妻と娘が死者として此岸町を彷徨っているかどうか……それを、この目で確かめなければなりません」


  それ即ち、白蛇さんが社を暫く留守にするということです。白蛇さんが不在の間、私はどうやって悪意や敵意持つ死者や怪異から身を守れば良いのでしょう。


「…………」


  不安が顔に出ていたのでしょう。白蛇さんが表情を和らげながら、優しく言い聞かせるように言葉を紡ぎます。


「そう、心配そうな顔をしないで下さい。大丈夫──私が一時的に社を離れても、好き好んで入ってくる死者や怪異はいません。何より、貴方に渡した御守りが護符として機能し、貴方を死者や怪異から守ってくれます。私が不在の間、若し久作が再び社へとやって来たなら、五日後の夜に鳥居の前で待っているよう伝えなさい。宜しいですね?」


「はい──分かりました」


  不安はあれど、久作さんのために力を尽くすと白蛇さんが協力を約束してくれたのです。ならば、私に出来ることは一つ……白蛇さんを信じることのみでした。


「さぁ……今日はもうお休みなさい、奏。何も考えず、ゆっくりと。心と身体を休めるのです。明日も宮守としての仕事があるでしょう?」


  くすっと笑いながら、私に社務所へと向かうよう、白蛇さんはそっと背中を押して促しました。促されるまま、私は社務所へと歩を進めます。


  チリン、と風に乗って鈴の音が耳に届き、ふと振り返ると──白蛇さんの姿は掻き消えていました。


  どうか、久作さんの願いが成就しますように。そして、白蛇さんが社へと無事に戻ってきますように。


  星空を見上げ、心の中でそう願いながら、私は白蛇さんの言いつけに従い、心身を休めるべく社務所へと戻りました。

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