少女は戻らぬ過去を懐かしむように闇を見つめた。
そこにあるのはただの教室。
陽が昇ればまた騒がしい喧騒に包まれるのだろうが、今は墓地のように静まり返っている。
「ただ静かに降り積もり、風に吹かれまたどこかへと消えていく。陽に溶かされ天に昇り、そしてまた地上に舞い戻る。
何年も何十年も眺め続けた。こうして思い出だすとそれも悪くなかった気がする」
カイムの脳裏には窓辺に寄りかかり物憂げな顔で幾日も外を眺める少女の姿が浮かんだ。激しい嵐の日も星々が煌く夜も少女はただ一人で外界を眺めている。
ときには首に巻いた白いマフラーを抱き、息を吐き出す。部屋は暖かく白い息など出るはずも無いのだが、少女は何度か息を吐き続けていた。
「お前は一体……?」
寄り道をするように少女は教室へと足を踏み入れ、慈しむように一つの机を撫でた。その行動がカイムにはとても儚げに映り、まるで今にでも消え去ってしまいそうな幻想に見える。
「全人類を救う唯一のバケモノだよ」
今まで暗かった教室に月明かりのカーテンが徐々に差し込んでくる。きっと今まで隠していた雲が晴れてきたのだろう。
そこに立つ少女はマフラーを指で下げ口元を顕にして笑った。
それはとても美しく、歳相応の少女には到底見えなかった。
「……は?」
突然話が飛んだような気がする。
見惚れていた事に慌てて気付き意識を整理してみたのだが、やはり言葉を理解できなかった。
南極から突然全人類まで話が飛躍したのだ、ついて来いと言う方がどうかしている。
「無駄話をしてしまったな。行こうか迅葉カイム」
「お、おい……さっきの意味は」
「言葉どうりだがの?」
悪戯に彼女は笑い教室を出て行く。首に巻かれたマフラーはずりずりと地面に擦れながら彼女に引かれていく。
「お前、本当に不思議ちゃんだな?」
「ミステリアスな方が女はもてるのであろう?」
「……時と場合によるだろう」
お前の場合は大人っぽい見た目も必要だがな、と付け足そうとしたが何とか口をつぐんだ。一言多いようではまた機嫌を損ねかねない。
「迅葉カイムはどのような女性が好みなのだ?」
「と、突然何を言い出すんだよ!」
廊下に置かれていた観葉植物に足をぶつけ、カイムはたたらを踏む。
「ミステリアスが嫌なら何がいいのかと、ただの知的好奇心だが」
「ん、どんなのって……」
そんな事を真剣に考えた事がない。昼間に見た葵坂の生徒は確かに美人で可愛かったが、自分には不釣合いな気がする。
かと言ってどんな人間が合うのかと言われても知りようがない。
「遺伝子的には相手がぐいぐい引っ張っていく方が合いそうか……いや、逆に迅葉カイムが引っ張っていく方も悪くなさそうだな」
「勝手に占いすんなよ」
「失礼であろう。ゲノムDNAに書き込まれた塩素配列を確認しておるのに」
「見えるかそんなもん」
「見える。
それによれば普通過ぎる遺伝子しか持たない迅葉カイムには、尊重し伸ばしてくれる配偶者か、強気に引き上げてくれる配偶者が合うと見ているのだ。まるで私のような、な!」
ふふんと鼻を鳴らし少女は腰に手を当てる。
遠まわしに『私のほうがお姉さん!』と自己主張しているのだ。
「プロポーズは間に合ってる、昼にもされたからな」
「ほう……今逃がしてしまっては一生出会えぬぞ?
こんな良い美人」
「自分で言うな」
「チッ……今度は動揺せぬのかツマラン」
両手を放り投げやけに上機嫌に少女は歩く。今にも鼻歌を歌いださん勢いだ。
「いつまでもガキの言葉に動揺させられてられますかってんですよ」
「やはり色気でないと迅葉カイムは引っかからんか……」
「何処に色気がありますか」
「……本当は見たかったんであろう?」
「ぐ、な、何言ってんだこの変態野郎、そんなもんホイホイ見せるもんじゃねえんだよ! ほら、ここだよここ、ここが目的地だよ!」
カイムはニヤニヤ笑う少女を追い抜き扉が開いている図書室に足を踏み入れた。古臭い匂いが辺りに立ち込め、香りから歴史を感じる。
葵坂ほどの名門になればなるほど古い貴重な本も存在しているのだろうが、今回の目的は別にある。
柔らかい絨毯を踏みカイムは目に付いたパソコンに向かう。
――と、そこでカイムは違和感に気が付いた。
パソコンのディスプレイから光が洩れているのだ。綺麗に整理されている机の上で青白く周囲を照らしている。
慎重にカイムはパソコンへと歩み寄る。少女も同じ事を感じたのか息を殺しながら後を着いてきた。
警備員も巡回しているような校内で図書室だけパソコンを消し忘れているはずがない。これは明らかに、何かある。
恐る恐るディスプレイの前にカイムと少女は立つ。
「……こいつ」「ふむ……」
そこには開かれたファイルがあった。
ファイル名は【学生番号20001 二年 相川絢】とある。
写真は入学時に撮影したものか少し緊張気味にはにかんでいる。
長く黒い髪が印象的で雰囲気から優等生で誰にでも明るい少女をカイムに彷彿とさせた。