二人は潜入ルートを戻り、再び森の中へ消え大きく迂回し、一番近いバス停まで戻った。
途中ライオンが暴れだし再び闇へと消えて行ったが、カイムは追おうとする少女を制した。猫とは自由気ままなものなので、追った所で同じ結果になるからだ。
「野生動物をあんまり虐めるんじゃねーぞ」
バス停の時間を確認し――やはり最終が過ぎ去ったことを知ったカイムは少女と二人、長い長い寮までの道を歩き出した。
「虐めてなどおらん。
あんなに可愛いのに、何故、迅葉カイムはライオンを保護しない」
ライオンを手元から離された事が気に喰わないのか頬を膨らませ少女は歩く。
漫画なら擬音が頭の上に浮かびそうだ。
「一々保護してたら家が埋まっちまう。
それに猫とか犬なんてこの辺には沢山いるから誰も気にはとめないさ……、と
そろそろその長ったらしい呼び方やめてくれねえか、聞いてるほうが疲れる」
ん? と少女は頭に疑問符を浮かべカイムに視線を向ける。
「これが名前ではないのか?」
「ああ、名前だ。けどフルネームで呼ばれるのも……なあ」
悪くはないが、なんだか居心地が悪い。
そう聞くと少女は少し俯き、ぶつぶつと小さく呟いた。
「フルネーム……フルネーム……ふむ、そうか、ではなんと呼べばいい」
「なんてって……普通でいいよ、迅葉でもカイムでも」
「普通? 普通とはなんだ?」
本当に物を知らないように少女は首をかしげた。
「あー……普通ってのは、こう……世間一般的な……ああ、もう苗字でも名前でもどっちでもいいってことだよ」
「苗字に、名前か?」
呟き、そしてまた考える。
「どういう意味だ?」
「意味って、本当に分からないのか?
苗字ってのは……その、一族の総称みたいなもんで、名前はもっと個別って言うか……」
あーうー、と言葉を交えながらカイムは説明する。
苗字や名前なんて感覚で分かるものであってちゃんと説明しろと言われて要領がつかめない。
「ほー……つまり迅葉一族のカイムくんと言うわけだな」
ポンと手を打ち少女は頭の上に電球を光らせた。
「そうだ」
時代錯誤な言い方だが大方合っている。
「では、普通、友ならばなんと呼ぶのだ?」
「世間一般的にか? まあ名前じゃないか」
同居人ジャック=フレミングを思い出し、そういや今日から合宿で帰ってこないとか言っていた事が頭を過ぎる。
カイムの答えを聞いた少女は「ふむ」と頷き、
「ではカイムだ。カイムと呼ぶにしよう」
「お、おお」
(なんか名前で叫ばれると照れ臭いな……)
眩しすぎる少女の視線が見られなくてカイムは目を反らし頬をかいた。
考えてみれば異性から名前で呼ばれたのは初めてだった。
こんな小学生みたいな奴でも照れる事は照れる。
「で、おまえの名前はなんて言うんだ?」
「私の名前か?」
腕を組み少女は突然唸り始める。
「まあ言いたくないなら良いけど」
「いや、そうでは無いのだが……そうだな。
個体を認識する為に付けられた名称ならば……あるにはあるのだが、改めて考えてみるとカイムと随分印象が違うと思ってな」
「そんな変わった名前なのか?」
「<01>だ」
「ぜ、ぜろわん……?」
まるで研究対象のような名前だった。
「そうか、その反応を見る限りやはり
少女は悲しそうに俯く。
その瞳はどこか寂しげでカイムには口を挟む隙間がなかった。
それ以降、少女は無言で歩き続け、カイムもかける言葉が見つからず二人の会話は打ち切られてしまった。
時計の針は日が変わってから一時間ほど過ぎている。
そのせいか交通量も人の行き来もない。
あるのはたまに光を灯しているコンビニと自動販売機くらいだ。
随分歩き続け寮までもう少しと思った頃、少女は突然口を開いた。
「……名とは大切なモノの気がする」
カイムは立ち止まった少女を見つめた。
少女は視線を上げ夜空を見上げる。
つられる様にカイムも視線を上げると今日は綺麗な満月だった。
「星、月、地球にも名はある。
星座はそう見える事からその名がつけられるであろう?
人の名もきっと意味が込められておるのだろう。
なら……私は、」
「意味がないわけじゃないだろう」
え? と少女が見上げるカイムを見た。
「親とか分かんねーけど、それは名前じゃなくコードネームみたいなもんだ、多分。
きっと本当の名前だってある」
「しかし私はそれを憶えて……いや、知らないのかもしれない」
「なら今付ければいい、お前がお前の意味をさ」
「そんなことも出来るのか?」
まるで懇願するような声にカイムは少女を見る。
言葉遣いは達観した大人の様だがやはり子供の様な脆さをどこかに持っていて、逆にそのアンバランスさが痛々しかった。
「出来るさ、まあ本当の名前を思い出すまでの名前になるだろうが」
カイムは明るく笑い少女の頭を撫でた。
少女はくすぐったそうに目を細め自然と頭を差し出す。
サラサラとした良質の布のように髪質が滑る。
今までこんなものに触ったことは一度も無かった。
余りに手触りの良い金髪だったのでカイムは我を忘れそうになったが、懐いてきている少女を見てハッと我に帰る。
(って、よく考えたら物凄く恥ずかしい展開になってないか!)
微妙に臭い台詞を語りながら少女の頭を撫でている。
認識してしまった以上このままでいるわけにもいかなくて、カイムは撫でるのもそこそこに自らの手を引いた。
「……あぅ」
少女は名残惜しそうにカイムの掌を見つめ――そっと距離を取る。
カイムは離れた体温がこんなにも寒いものかと気付くのに数秒かかった。
「私が私である名前……意味と言う意味ならば、ある」
とろんとした目から、普段どおりのパッチリとした瞳に戻り少女はカイムに向き直った。
「ジーンだ。私はジーン」
「……遺伝子か」
それにどれ程の意味がこめられているか今のカイムには知る由もない。
だが少女は力強くそうカイムに伝え、唇を引き締めた。