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第17話 さよらな

「ああ、名前なぞ私には勿体無いものだが、カイム、お主なら許そう。

 この名を呼ぶ事を」

「相変わらず大げさだな……」

「生涯この名を呼べるのはカイムくらいだ。喜ぶがいい」


 少女……自らをジーンと名づけた少女は、まだ照れ臭いのか頬を赤く染めながら胸を張った。


「はいはい、仰せのままに」


 まるでお姫様の様に踏ん反り返っているジーンに、カイムも恭しく執事のように頭下げた。


「では夜も随分更けて参りましたので、ジーン様の寝床へと護衛させていただきましょうかね」

「カイムはこの辺なのか?」

「ああ、その角を曲がってすぐのでかい寮の三階……って言っても、どの寮もでかいけどな」


 密集しているマンションは全て十階建前後。

 新旧築年数に違いはあれど、殆どが学生寮だ。


「ふーん、そうか」


 興味があるような無いような素振りでジーンは周囲を見回し、「では、帰るか」と呟く。


「送る、いつもはどこで寝泊りしているんだ?」


 まさか野宿はあるまいと思ったカイムだったが、


「野宿」


 思ったとおりの答えが返ってきた。


「南極ほど寒くもない。

 それに不法入国の身としては、どこぞに宿を借りるなどできんからな。

 ああ、しかし心配無用。

 適度に暖かい茶色で太い厚紙と青いシートを現地調達しておる」


「それは世に言う、ダンボールとブルーシートって奴だぞ……」

「なかなかに暖かい代物だ」


 カイムの悲しい視線なんてどこ吹く風、ジーンはノーベル賞ものの大発見をしたかのように大きく頷いている。


「だから気にするでない」

「気にするなっていってもな……」


 自宅を目の前にして、他国の少女が野宿なんて聞いたら放っておけるわけが無い。

 そんな事出来る奴がいたら鬼か悪魔だ。


「ならうちに来るか?

 同居人は丁度帰ってこないし、幾ら七月でも女の子に野宿はお勧めできないだろう」


 視線を上げると自分の部屋が見え、まだ光が灯ってない所を見ると今日は外泊なのだろう。


「いや止めておこう。

 男の縄張りに足を踏み入れては何をされるか知ったことではない」


 悪戯っぽく笑いジーンは手を振った。


「さよならだ、ここでな。今度こそ二度と会う事はあるまい」

「二度とって……こんなときは『またな』って言うもんだ」


 相変わらず大げさな単語を使うジーンにヤレヤレと肩をすくめる。


「断られるとは思ったけどな。せめてそこまで送ってやろうか?」

「いや、見送らせてくれ。追われてはかなわん。男というのは――」

「それはもういい。どこでそんな知識身につけたんだか……」

「拾った本だ。なにやら裸体の男女がくんずほ――」

「あーあー! もういい、分かった! じゃ俺が先に帰るからな。何かあったら来い。無理にとわ言わねぇけど、寒かったり、変な奴がいたら、遠慮せず来い」


 そう言ってカイムは「じゃあ、また今度な」と手を挙げて寮へと歩いていく。

 ジーンは最後までカイムの去る背中を見つめ、いつまでも手を振っていた。


「いや、カイム。やはりだよ」


 姿が見えなくなってもジーンはずっと道を見続けた。

 静かになった住宅地には物音一つ響かない。


 と、猫の小さな足音が聞こえた。

 ジーンはどこか名残惜しそうに道から視線を外し、振り返る。


「ライオン……どうした?

 アヤツ等を見つけたのか?」


 ジーンはしゃがみ足元のライオンの頭を撫でた。

 ライオンは何も言わず、闇夜に輝く瞳をジーンに向ける。


「それとも、最後の別れか?

 それにはちと早いな。見つけるまで消えたりはせぬよ」


 街灯はチカチカと点滅し、誰もいない道を照らしている。

 ジーンはライオンを胸に抱き、立ち上がった。


「お主ならば見つけられると思ったのだが……獣の方が鼻は効くであろう?」


 犬や猫は人間のもっとも長い友人と聞く。

 そして友人といえば共に助け合い、生きて行くものだと言うことも知っている。


 しかし意思の疎通が上手く出来なくては意味が無いのかもしれない。


「それでもライオンは私に寄ってきてくれたがの……」


 勿論カイムも――。


「いかんな、どうも年寄り臭くなっておる。

 独り言も、獣に話す事も……どうやら感情が強くなったようだな」


 独り言が多くなったと言いながらも喋りながらジーンは笑う。

 人と対話し感情を芽生えさせたのはこれが初めてだったが、これが良い事か悪い事なのか、現状の自分においては分からない。


「……悪いか。いや無意味なのかもしれん」


 今日は早々に休むとしよう、と考えたとき、耳障りな金属音が耳に届いた。

 それは、地面に牽かれながらも全てを力任せに切り裂く暴走の刃。


「と、思ったがまだ寝るには早そうか」


 誰もいなかった街灯の下に、赤黒く染まった女が口元を歪ませた。


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