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第19話 史上最弱のお人よし

「……っ」


 目蓋が焼けるように熱い、そして眩しい。


 まだ覚醒しきれていない脳は睡眠を必要とし、接着剤でくっ付いた様な目蓋は一向に離れる気すらなかった。


 いつの間にか腹部だけに掛けられているタオルケットを足で乱暴に吹き飛ばし、カイムは寝返りを打つ。


「……あちい……」


 面倒なのでそのまま寝てしまったワイシャツは皺だらけになり、中のTシャツもろとも汗でびっしょりだ。


 ネクタイなんて首に巻きついている。

 頭も体も粘り気があり、昨日の寝苦しさを彷彿とさせた。


 カイムは寝たままボリボリと頭をかき、いつ眠りに落ちたのか思い返そうとした。が、睡眠を欲する頭は何を考えていたかすら思い出せなくて、ずーんと重い頭痛だけを届けてくれる。


「どのくらい寝れた……?」


 重すぎる目蓋を何とか持ち上げ、頭上にある棚へと目をやる。

 時刻は――。


「十一時半!」


 叫ぶと同時に体はバネのように跳ね起き、眠気は地球の裏側まで吹き飛んだ。


 考えるまでもなく、足はベッドから離れ、着ていた服は放り投げられる。


 そこから瞬間移動のように風呂場へと駆け出し、数分でシャワーを浴びた後、身だしなみを数秒で整え、立ち鏡の前でネクタイを締めた。その間約十分。


 これ以上急いでも遅刻には変わり無いのだが、せめてもの悪あがきかカイムは鞄の中身を適当にチェックしすぐさまリビングを抜ける。


 ご飯を食べる事も考えたが、この際、昼飯を買って朝飯兼用として凌ぐしかない。


(金は無いが、仕方ねぇ!)


 真っ赤なスニーカーを急いで履き、すぐさま鍵を掛け走り出す。

 ここから学校までなら走って二十分ほどか、運がよければもう少し早く着けるはずだ。


 数段飛ばしで階段を駆け下り、日差しが降り注ぐ路上へと飛び出す。


 こんなときシルバー・エイジだったなら、強化している部分を再生化させ全力で向かえるのだろうが、生憎カイムはただの純粋なる人間。


 腰から下についている健全な二本足で必死に走るしかなかった。


「はぁ……はぁ……至上最弱って奴は……ホント……シンドイな……!」


 こんなときくらい不思議な力に目覚めて、音速を超えて走れないものかと思う。それならば学校の成績も上がり、生活にも潤いが与えられるというものだ。


 だがカイムの妄想とは裏腹にただの足は乳酸を溜め、疲労を伝達してくる。

 そんなに都合よく超能力にも目覚める事は無かった。


(まあ目覚めてたら、シルバー・エイジ化のカリキュラムなんて受けて無いだろうさ)


 赤信号になった横断歩道で足止めをくらい、カイムは仕方なく停止する。


 見上げた空は真っ青でもう夏なんじゃないかと思えるほど高い。


 全てを燃やし尽くすような太陽だけが唯我独尊と叫び地上を焼き焦がしている。


 そんな中ぽっかりと空に浮かぶ飛空艇には本日のニュースが電光掲示板で次々と流れていた。


 どこの国に女皇が訪問しただとか、某研究が頓挫したなど流れる中で『公共物破損、多発、犯人はシルバー・エイジか? 注意』の文字がなんとなくカイムの目に焼きついた。


「まさかな……」


 無闇に破壊工作をする人物たちも存在するが、最近は表立って行動する犯罪者はいない。


 外からの侵入者がただ暴れた可能性もあるが、わざわざ目立つような態度をとる意味が無いし、本来進入するだけでも至難の業だ。ならば――、


「相川絢……?」


 それしか考えられなかった。

 襲われてから二日目、やっと世間へ情報が流れ出していた。


 完全に理性を失い派手に暴れているのだから、見つかるのも時間の問題だと思っていた。

 これで警備軍が捕まえてくれれば事件は解決に向かうはずだ。


 しかし、あれだけの武装で危険を振りまいているのだ、捕らえるのは大変だろう。


 と、そこまで考えて、カイムはとある事に気が付いた。


(本当に……捕まえられるのか……?)


 理性を失っているから処分したりしないよな?

 思いたくもない思考が頭を飛びかう。


 警備軍は基本『大人』達が集まった軍団だ。

 そこにシルバー・エイジは存在しない。


 何故ならシルバー・エイジは成長期における人間にしか施せない手術だからだ。


 遺伝子を組み替える、または新たにナノマシンを注入し、内部から成長期の変化を通じて作り変えさせていく。


 徐々に作り変えられた体は定着すれば、打ち込まれた機能を『再生』することが出来る。


 だから完成しきった体を持つ大人にシルバー・エイジは存在しないのだ。

 この手術が始まったのもさほど最近なので、警備軍の配備には至っていない。


 だからこそ、シルバー・エイジ相手に軍は最悪の手段をとるかも知れない。


 彼らから見れば誰だってバケモノだ。


 人間の皮を被った『再生者』達。

 再生化できない人間から見れば恐怖の塊でしかない。

 しかも今の相川絢には話も通じなければ意思の疎通も出来やしない。


(そんな事って………………無いよな?)


 カイムは静かな街を見回した。

 時刻はお昼を前にしているせいか人通りは少ない。


 けれどこんなに少ないものだろうか。


 通りを歩いている人が一人もいない。

 まるでこの街に自分だけが取り残されているようだった。


 陽炎が揺れる中、マンションの細い路地から軍服に身を包んだ警備軍の一人が歩いて来るのを確認できる。


 手には細長い筒のような物――小口径自動小銃M16が握られている。


「……緊急事態ってことか」


 だから外を歩く人もいないのかもしれない。


 信号機はいつの間にか赤から青へと変わっていた。

 警備兵は何事も無かったようにその場を離れ再び歩き出す。


 一瞬、横断歩道の先を見つめた後、カイムは学校とは別方向へと駆け出した。

 目指す場所はどこでもない。


 見つけたいのは相川絢。

 どうすることも出来ないがせめて警備軍より先に保護してやりたかった。


 それに出来ればジーンも見つけてやりたい。


 きっと警備軍はそれなりの人員を配備しているはずだから、外をほっつき歩かせるのも危険だと思えた。


 一番良いのは両方を見つけられる事。

 そして相川絢に理性を取り戻してもらう事。


 そうすればこの件は何とか治まるはずだ。

 だが、それはとても難しい。


 具体的な手段も思い浮かばないし、何より自分には彼女を抑えきるほどの力が無い。


「イヤな予感しかしねえな……!」


 額を伝う汗を拭いカイムは街中を走る。


 ときたま警備兵とすれ違うが、迷った学生風なので白い目で見られる事はあっても事情聴取をされるまでには至らなかった。


 生活地区となる第四地区にはマンションなど大型建築物が所狭しと並んでおり、ときたま広めの公園や、小さな公園が住民に癒しを与えている。


 隣の第三地区のように店や娯楽施設は無く、あるのはコンビニや銭湯など生活に直結する施設しかない。


 もし相川絢が隠れる場所があるなら――いや、無理だろう。


 あの状態ではきっと自らの意思で行動したりはしていないはずだ。

 そうなればどこにいるのか推測すらできはしない。


 カイムはとにかく目に付いた公園に足を運んだ。


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