警備軍もまだ事態を把握できていないのか、どこかに拠点を構えている風ではない。
数人が街中を捜索し、『破壊活動』の原因を探っている程度に見えた。
手に物騒なものを持っているのは相手がシルバー・エイジだった場合の処置だろう。
「ここも居ない……!」
何度目かの公園を見てカイムは再び路上へと走る。
人が居ないのは平日の昼間だからなのか、警報状態だからなのか、またはその両方だからか……人がいない方が活動しやすいが、余りに居ないのも自分が目立ちすぎて動きにくい。
「げ、マジか」
路地を曲がり走っているとき、真っ二つに斬られ地面に転がっている自動販売機を見つけた。
切り口は叩きつけられたようにひしゃげていて、地面にはおびただしい数の液体をこぼしている。
間違いない。
彼女だ。
相川絢がここを通過したのだろう。
他にも崩された塀、フラフラとした線が地面のコンクリートを切断している。
彼女は熱にうなされた様にまだこの地を徘徊している。
「……急がねえと」
再び駆け出したとき、視界に白い何かが映った。
それは素早く動いているようで、すぐさまカイムの目の前から消えてしまった。
(あれは……白衣?)
研究者が着ているような白衣の裾に見えた気がする。
何故この場に? とカイムは思ったがその白衣が消えた方に角を曲がる。
(もう居ないか)
警備軍も出ているのだ、もしかしたら要請でも受けて科学者たちが出ているのかもしれない。
ならば居ても不思議では無いのだが、今まで目撃していなかっただけになんとなく気になる。
警備軍と科学者たちが警報を敷いてまで捜索している。
そう思うと『やばい事』に首を突っ込んでいるような気がジワジワと湧いてきた。
まるで世界の裏に手を突っ込んだような感覚が心を浸食し、走って火照った体すらも芯から冷やしていくようだ。
それでも――と、カイムは己を奮い立たせ再び目に付いた公園へと足を踏み入れる。
気が付くとそこは自分のマンションに程近い、丁度裏側に位置する場所だった。そこそこ遠いが自分の部屋の窓すら確認できる。
この時間ならば本来子供たちが遊んでいるのだろう。
滑り台にジャングルジムなどが物静かに公園で佇んでいる。
カイムはゆっくりと歩き注意深く人が隠れていそうな場所を探す。
遊具の中、トイレの中、植え込みの中――、
「……あれか?」
林と呼べるほど背の高い木達が植えられた中に足を踏み入れると、ブルーシートが見える。
砂埃と土で薄汚れていて、ただ捨てられているように見えなくもない。
しかし中央はほんの少しだけ膨らんでいてゴミかなにかに覆い被さっている様にも見えた。
カイムはブルーシートの前で立ち止まり、ネクタイを緩め、大きく息を吸う。
しゃがみ込み、そっと手を伸ばしてブルーシートに手をかけた。
ごわごわとした感触が指先に伝わり、ビニール特有のバリバリとした音がその場に響く。
中のモノとシートが張り付いているのか、剥がす音はベリベリと大きく、地面にひかれた薄汚れたダンボールは赤黒い液体を吸って重量を増しているように見えた。
初めに見えたのは血で汚れた金髪。本来の色が綺麗過ぎるせいか、赤はより深く見えた。
次に見えたのは苦しそうに歪めた幼い表情。
首に巻かれた純白のマフラーはぐしゃぐしゃに汚れ彼女の体にへばりついている。
そして――ぱっくりと切断された腹部。
中が出ないように必死に押さえられた両腕。
くの字に曲がっている足。
「……ジーン」
手に持ったブルーシートを投げ捨てカイムはジーンに呼びかけた。
触れた体は人形のように冷たい。
「起きろ、ジーン!」
耳元に訴えかけるが彼女の体温を感じない。
口元からは息をしている気配が無く、首の脈も動いてはいない。
手を握ろうとカイムは腕を伸ばすが、彼女の掌は自らの腹部を塞いでいる。
どういう理屈か血がおびただしく噴出している形跡は無い。
ダンボールが吸っている血は多分、一番初めに流れ出したものだろう。
傷口を確かめようとカイムはそっと彼女の指を腹部から剥がす。
もしかしたらまだ助かるかもしれない。
「う……ぐっ……!」
指の間から見えた『モノ』を目にし、カイムはジーンから目を背け彼女に背中を向けてしまった。
胃からこみ上げてくるすっぱいものを感じ、地面に手を付く。
「うっく……」
(ダメだ、押さえろ押さえろ押さえろ押さえろ)
意識では押さえる事が出来ても体は言う事を聞かない。
初めて目撃する『生々しい人間』にカイムは抑えきることなんか出来ない。
(あれはジーンなんだぞ――……!)
友人を見て逃げるなんて……あってはならない、けれど、
「うぐあ……!」
カイムはその場を這うように移動し、離れた場所で胃の中の物を全てぶちこぼす。
朝ご飯を食べていなかったのが良かったのか、こみ上げてきたのは胃酸だけだ。
口の中はすっぱく、喉が焼けるように痛い。
目からは涙がこぼれて、鼻水がとめどなく流れる。
「くそ……ちくしょう……!」
涙を流しながらもカイムは口元と鼻を拭い何とか立ち上がった。
おぼつかない足取りで再びジーンに向き直り、腰を下ろす。
「ジーン……起きろ……ジーン」
腹部に当てた手に自らの掌を重ね、カイムは耳元に呼び続けた。
重ねた手は冷たくて自らの熱もどんどん吸い込まれていく。
何故昨日、必死に彼女を家に連れていかなかったのか。
せめて自分もジーンと一緒に野宿していればこんな事にはならなかったかもしれない。
疲れてさえいなければ、深夜の喧騒に気づけたかも知れない。
脳裏に浮かぶのは嬉しそうにハンバーガーにかぶりつく姿。
偉そうにポテトを食べる姿。恥ずかしそうに夜の廊下を歩く姿。
そして頭を撫でたときの歳相応の少女の姿。
どれもこれもが嬉しそうに生きていた。
「ジーン……こういう事なのか……二度と会う事は無いって……」
彼女と出会ったばかりなのに、ずっと昔から知っている気さえしてくる。
その別れ際に彼女は必ず、大げさで寂しい言葉を口にしてきた。
さよならだ、と。
「なんで、さよならなんだよ……お前こんなとこに、こんな風になるために来たのかよ……?」
自分の熱が彼女を蘇らせはしないかとカイムはずっと彼女の掌に手を重ねた。
けれど脈は動かない。口から空気が漏れることもない。
「おい、起きろ……! 違うんだろ? なあ、まだやる事あるんじゃねぇのか?」
真っ白の頬に熱を持った雫がぽたぽたと落ちる。
何故自分がこんなに泣いているのか分からない。
二度しか逢った事もない相手に。
何故自分がこんなにも悲しいのか分からない。
どうして何も出来なかったのか分からない。
ジャックは言った。
気になるなら気が済むまで首を突っ込んでみると。
だから、本来ならそこまで気にはしないだろうが、気になるところまで踏み込んでみた。
そして踏み込んだ結果が――これだ。
「ジーン……!」
自分に力が無かったせいだろうか?
もし自分がシルバー・エイジでこの基地の人間のように特殊な力を持っていたならば、結果は違っていただろうか。
出会ったときに相川絢を助け、ジーンを目的地に送り届ける事さえ出来たのではないだろうか。
(俺が無力なせいで……!)
出会ったのが俺じゃなければ、能力もあり頭のいい奴だったなら、ジーンはこうならずに済んだのではないだろうか。