「あ、相川絢、聞いてくれ!」
カイムはとっさに彼女の名前を叫んだ。
その声に反応したのか相川は一度だけ、停止した。
「俺は迅葉カイム、カイムだ!
そんで、こ、こいつはジーン!」
何故自分でも自己紹介しているのか分からない。
混乱に乗じて気でも変になったのかもしれないと思ったが、カイムはそれでも叫び続けた。
「それで、お前は相川絢……さん、だよな、調べた。知ってる」
ジーンを両手で抱いたまま、電源の切れたロボットの様になっている相川へと出来るだけ話しかける。
人間らしい感情を呼び起こせばもしかしたら、気が付くかもしれない。
だから会話から始めるのだ。
(な、何事もコミュニケーションだろうが!)
やけっぱちになりながら、頭の中では次の言葉を生成する。
「助けたいんだ。だから再生化を解いてくれ……このままだとアンタ――」
ブォンと下方向から空へと鉄の右腕が跳ねた。
その一撃は畳を力任せに吹き飛ばし、天井を豆腐みたいに切り裂く。
そしてばらけた黒い前髪の隙間から、深い深い茶色の瞳が覗いていた。
「大丈夫だ、誰もアンタを傷つけない!」
だがそんなカイムの声も空しく、相川の攻撃は止むことを知らない。
視界はジーンに注がれ、昆虫のように首を何度か左右に回した後、突然カイムへと走り寄った。
「お、おい!」
ジーンを抱いたまま全力で後方へと下がる、相川の一撃がカイムの首を正確に狙い、真横から振り抜かれた。
「うぁぁ!」
全力で下がったのが良かったのか、偶然床に転がった缶ビールを踏んでカイムは背中から盛大に転ぶ。
しかし腕に抱いたジーンは離さない。
次に空から降る剣を転がって回避し、とっさに十四インチのテレビへと隠れた。
「げ……」
電化製品のバリケードはあっけないほど簡単に鉄クズと化す。
人間で言ったら脳味噌辺りをつぶされたテレビは、剣に突き刺さったまま彼女の力に持ち上げられ、テレビごとカイムを叩き付けた。
鉄板で全身を叩かれたような激痛が走り、カイムはジーンを抱きかかえたまま窓ガラスを突き破る。
幸いベランダがあったおかげで頭から地面へと落ちることは免れた。
「ちったあ、普通の人間には優しくしろよな……!」
両脚に力を入れカイムは立ち上がる。大丈夫まだそこそこ動けそうだ。
「イタイの……イタイノ……? コレはイタミ……? ああああああ、イタイイタイイタイ!」
左腕で自らの頭を抑え相川は目に見えない何かを振り払うように、部屋の中で剣を振り回す。
凶剣はちゃぶ台を叩き割り、ジーンが寝ていた布団をボロボロに引き裂いてる。
カイムは意を決してベランダに手をかけた。ジーンを片手に抱え下を眺める。
大きく息を吸った後、とにかく声を上げて跳躍した。
「うぉぉぉっ!」
気合いを込め、地面へと着地した――ハズだったのだが、自分の体重に耐え切れず、土の絨毯を無様に転がる事となった。
(く、せっかく相川絢と会えたのに、どうする事もできやしねぇ!)
対抗する手段も、行動不能にする術も持たないカイムには逃げることしか出来ない。
見上げたメロウ先生の部屋からは頭痛を抱えた少女のように相川が飛び出してきた。
その姿はまるで真夏に彷徨う幽霊。黒髪を触手の様にばら撒きながら、ベランダから力任せに飛び立つ。
己の右腕を天高く振り上げ、ビル壁ごとカイムを両断しようとしている。
「ウグ……アアアアアアアイウウウウアアアッァア!」
しかし体が言う事を聞かないのか、見上げていたカイムを外しコンクリートの壁を一撃の下に粉砕した。
カイムはその苦しそうな背中に走り寄り、ジーンを小脇に抱えて背後から相川にしがみ付く。
「苦しいのか、何があったんだ……お、おい、暴れんな!」
密着したカイムを引き剥がそうと、相川絢はただ乱暴に剣を振り体を大きく振り回す。
これでは出会ったときと同じだ。
あの時と同じように彼女から引き剥がされてしまう。
それではまた同じ結果が生まれる気がした。
だからカイムは左腕だけで必死の思いで相川の背中に掴まる。
右手に抱いたジーンも投げ飛ばされないようにしっかり抱いた。
「ダシテ! カラダが……アツイ……だれかだれかああああ!」
相川の体から発せられる熱はカイムの肌を徐々に焼いていて、バーベキューの鉄板でも直接肌に当てられているようだった。
相川はうなされながら、半壊している壁に剣と再生化していない左腕を何度も叩きつける。
まるで精神を焼かれた人間のように何度も何度も奇声を上げながら壁を叩く。
「ウアアアア、ウッァアァ!」
「あ、相川……!」
相川の左手は徐々に血に染まっていく。
自分の耐久度も考えずに手を叩きつけているからだろう。
(く……! なんで何も出来ねぇ……!)
一人の女の子も救えず、一人の少女を助ける事も出来ない。
(能力もあって頭も良い何処かの誰かなら……助けられたっていうのか……?)
考えが頭を過ぎった瞬間、カイムのはらわたが突然煮えくり返った。
許せないのだそんな事を考えた自分が。
そんな、自分を否定し他人に期待した考え。
「おっ……うわ!」
カイムの体が重力を失った。
振り回していた相川の左腕が偶然カイムの体を掴み、乱暴に引き剥がされたのだ。
ただ暴れているだけならまだ耐える事は出来た、しかし本気で掴まれると人間のカイムには太刀打ちできる力など存在していない。