恐る恐る動かない相川に近づき、様子を確かめる。
肌は黒煙のせいで煤けていて、制服も所々焼け焦げ、以前よりも悲惨な状況になっていた。
だが、それもここで終わりだ。
この状況から脱出し、人畜無害となった相川絢を警備軍に連れて行けば、きっと問題は解決する。
「俺にも、助ける事ができた……」
――――解決する、はずだった。
ジーンを抱えなおし彼女に手を伸ばした瞬間の出来事。
壁に備え付けの火災報知器がやっと異常に気づいたのか耳障りな音を響かせる。
同時に天井に備え付けられた旧型のスプリンクラーが燃え盛る地上に雨をばら撒き、一気に室内気温は下がり始めた。
「げ、タイミング悪いぞ!」
これだけ炎上しても、うんともすんとも言わなかった警報機が今頃になって作動したのは日頃の行いが悪いせいなのか、偶然なのか。
地上に降り注ぐ雨は燃え盛る車たちに降り注ぎ、鉄の冷やされる心地よい音と、先ほどよりも真っ黒な煙を上げる。
誰にでも等しく平等に降る人口の雨はカイムとジーンを頭からつま先まで一瞬にして濡らした。
「あ、相川……」
そして、それは勿論、目の前の相川絢にも言えた事だった。
血液に染まった赤黒い髪は洗い流され、以前閲覧したデータと同じ煌くような黒髪が――いや、それを通り越し、恐怖に染まった後のような白髪が彼女の目元を隠している。
制服に取り付いていた血液はジワジワと広がり、衣類に勢力を伸ばしていく。
そして、
「――――――トドイテタから」
雨音に溶け込むほど小さな声で相川絢は呟いた。
「え、相川……意識を……」
カイムの伸ばした手が彼女の肩に触れたそのとき、彼女の腕がカイムをがっしり掴んだ。
「……つっ!」
掴んできた腕は今までの熱量とは比べ物にならないほど熱かった。
今までは鉄を肌に押し付けられていた感覚だったがこれは『桁』が違う。
マグマにでも手を突っ込んだ様に『痛い』。
その証拠に皮膚はみるみる焼け焦げ嫌な音を立てていく。
「う、うあああああああああああああああああああああ!!」
相川はカイムを力任せに放り投げた。
隙を見せた一瞬の出来事にカイムは対応できず、左肩から妙な形で着地してジーンを手放してしまった。
「う、がぁ……」
針の突き刺すような痛みが左腕を支配し、肩からは妙に重い痛みが圧し掛かる。
(ジーン……!)
それでもカイムはまだ動く右手を必死に動かぬ彼女へと伸ばした。
「うあああ、うああああ!
アキャハハ、フハア\アアア\ああああああ! @abcdeああああ11111111111111111111111111111000000000001011010101110101011101」
「あ、相川……?」
彼女は白髪に変わり果てた頭を抱え、狂ったように地面に頭を打ち付ける。
何度も何度も打ち付ける。
数秒もしないうちに地面は赤い血液に染まり、降り注ぐ雨に寄ってすぐ流される。
「やめろ、相川!」
「00101001001011010101010101011111001010000010101111」
彼女が叫ぶ音はもはや言葉ではない。
口から呪文のようにプログラムの暗号が次々と流れていく。
歌うように、やけに高い声は教会で昔聞いた天使たちの歌声をカイムに錯覚させた。
洩れるプログラムの中、相川を匿うように真っ白い蒸気がふつふつと湧き出しているのに気がついた。
人口の雨が彼女の体を冷やしているにも拘らず、彼女の持つ熱は降り注ぐ水分すらも蒸発させる。
「相川、やめろ、相川あああ!」
「***************」
頭を打ちつける音が突然やんだと思うと、聞きなれない『音』がこだました。
それは音のようでもあって音のようでもない。
直接脳に響いたような感覚。
だがとても今の人間の脳では理解できない音域だった。
――――『再生の言葉』が紡がれた。
カイムの眼には世界の時間が止まったように映った。
降りしきる雨は空気中で停止し、それでいて地面を跳ねる水を目視できる。
空気はゆっくりと流動し、手に取るように風の動きが分かる。
音は全てが消えとてもクリアな世界が広がっていた。
破壊された建物も車両も全て美しい廃墟に見える。
側面に開いた穴から注ぐ月明かりが相川を照らしていた。
額を真っ赤に染め天を扇ぐ白髪の少女。
爆発が起きた。
相川を中心に水蒸気が次々と爆発し、地上にあるものを根こそぎ吹き飛ばしていく。
廃車も元がなんだか分からなくなった鉄くずも、コンクリートの固まりも全てが押しやられた。
刹那の爆発は駐車場をただの空間へ作り変えてしまった。
天井からピチャンと一粒の水滴が落ちる。
そこにはぱりぱりになった制服の上から、陽炎のように揺らぐ青い炎のドレス――命名するならば『炎姫の正装』を纏って立つ相川絢の姿があった。
相川は先ほどまでの狂乱が嘘だったようにただ静かに立ち尽くしている。
まるで、初めて猿から人へと進化した生き物が己の存在を認識している最中のようだった。
駐車場の全方位の壁に押し付けられた瓦礫は見るも無惨に黒焦げで、ときたま大きな音をかき鳴らし何台かの車が地面へと転落する。
「あ、あいか、わ……」
その中で多数の車に押しつぶされる形になって、下敷きになっている迅葉カイムの姿があった。
幾つかの車が盾になったのか即死する事はなかったが、もう動けるほど力もなく、ただ地面を弱々しく掻いているだけだった。
剣へと変化している右手はカイムに止めを刺す為に動き出す。一歩、また一歩と、音もなく彼女は歩いた。
「き、気がついた……のか?」
氷のように冷静になった相川を見てカイムは弱々しく笑った。
「*****、*******、**、**********」
発する音は認識できない。音の韻も感情と言うものが見えなかった。
でもそれでも、この冷静さがあれば大丈夫だろうとカイムはどこかで思った。
これなら警備軍もすぐに攻撃に移るはずは無い。
きっとなんとかしてくれるはずだ。
水面を飛ぶように歩く彼女はカイムの手が届くか届かないかの距離でピタリと静止した。
そして無表情のような、悲しいような、喜んでいるような表情を浮かべ、剣を構える。
「命をとれば良いというものではないぞ?」
ピチャンと水がどこかで弾けた。
「お嬢の言っている意味は高次元過ぎて理解できぬが、つまりあれであろう?
『せめてもの礼だ、苦しそうだから止めを刺してやろうかのお』という奴であろう?」
構えていた剣をそのままに相川は声の主に視線を向ける。
声の主はお気に入りのマフラーを何度も叩き黒い煤を払い除けながら、カイムと相川の間まで歩いてきた。