「謝るのは私のほうだ、カイム。
巻き込んでしまった」
「巻き込んだ? それこそ気にすんなよ。
首を突っ込んだのは俺の勝手だし。
それに――いやなんでもねえ」
危なく『お前が気になるから』なんて言うところだったのでカイムはしっかりと口を塞ぐ。
変な意味があるわけではない。
個人的な好奇心だ。
消防車や救急車が通ったときに振り向くような、その程度の事をずっと追いかけ続けたからだ。
だから深い意味は無いと自分に言い聞かせる。
「なんでもない……か。時としてその言葉は他者を傷つけるぞ?」
そう言ってジーンはおもむろにカイムに密着するかしないかの所まで顔を近づける。
パッチリと開いた瞳と長い睫毛がとても印象的だった。
「期待した言葉が欲しい時もある、女ならば誰でもな」
耳元に囁くような猫なで声を小さく紡ぐ。
間近で見るジーンの顔はよく出来た彫刻のように美しく、気のせいか頬が少し赤らんでいる気がする。
頬の明るみに気がつくと不思議な事にジーンから香る甘い匂いが敏感に鼻腔を刺激した。
「……う、いや……まあ……その」
カイムはジーンから目線を外せない。
少しでも動けば唇を奪われ――心さえ奪われてしまうほどの距離に対して免疫が無いのだ。
生まれて初めての距離感はどうしても理解できない。
「ほれ……伝えるのだ」
「い、いや……」
(わからんが、とてつもなくヤバイ気がする!
言ってしまってもヤバイが、言わなくてもヤバイ気がしてならない!)
脳味噌は言ってはいけないと理解しているのだが、体はジーンに掌握されたように言いたくて仕方ない。
もし、もし言ったら彼女はどう反応するのかと。
「ほれ、早く言わんと……言わんと……」
ジーンの吐息が自分の唇にかかる。
(な、何かがヤバイ、何かがヤバイ!
まだ覚悟が出来てねぇぞ、おい!)
何の覚悟か分からないがカイムは一世一代の動揺を体に抱えていた。
しかし振り払う気も起きない。ただ現状を見守るばかりだ。
「い、言わんと――――――――――――ふ、ふはははは」
「――は?」
口から大量の空気と唾を噴出しカイムの顔をしっとりと湿らせる。
ジーンは突然腹を抱えて笑い出し、ベッドの上を何度も笑い転げる。
「ふはははは、さ、最高だ!
な、なんだその困った犬のような顔は……ふ、ふはは、あ、ありえん。
実にありえんよ――!
はやく、は、早く言わんから、わ、私が、耐えられんかっただろうが……ふはっ、ふはは!」
「て、てめえ、ジーン!
またからかったのかよ!」
「いや、ほんと、カイムはからかい甲斐がある……な、なんだ、何を期待しておったのだ?」
目に涙を浮かべ、ヒーヒー言いながらジーンは腹を押さえる。
「うっせぇ! ほっとけ! そ、それよりもだ」
カイムは空気を切り替えるように泣き笑うジーンをしっかり見つめ、声のトーンを落とす。
「聞かせてもらう。
ジーン、お前が何者なのか」
その声を聞いたジーンは眼に溜まった涙を指で拭き取り、気持ちを整えるように大きく息を吐いた。
「……それは興味本位か?」
「言わなきゃ分からないか?」
二人は向き合い、部屋には静寂が訪れる。
気付かなかったが、ドアの外では足音がたまに通り過ぎて一日の始まりを告げていた。
「……そうか。そうだな、カイム」
ジーンは瞳を伏せ、ぎゅっと真っ白のマフラーを握った。
「なあカイム。今の世界をどう思う?」
「どうって……いたって普通だろ」
質問の意図は分からないがカイムは思ったことを口にした。
世界は今日も普通に廻り、どこかで小競り合いもあれば、脳味噌が緩んだほど平和な国さえもある。
「普通……か。
カイムらしい答えだが、これが『普通』の状態だろうか。
いや、そもそもこの世界に普通は存在しないのかもしれない。
人間が住み行く世界での普通は『生物絶滅』へ一直線だからな」
話の流れが個人の感想から世界へと広がり、カイムはジーンの次の言葉を待った。
「人間は何もしなければ争いと破壊を延々と起こす生き物だ。
生物界では弱者の癖に他の生物を知恵という武器で滅ぼし絶滅へと追い込む。
限りなく繁殖を繰り返し生態系バランスを崩す。
勿論、知恵を扱う副作用として慈しむ心なども生まれるが極少数だ。
何が言いたいか分かるかカイム」
「……人はいらないって事か?」
こんな話どこでも聞かされる話だ。
妙な宗教は別として、生物学として学校でも聞かされた事があるとカイムは思い出した。
そのときはこれほど極端な話でもなかったが。
「違う。
他の生物を喰い散らかしながらも自らの種族も絶滅へ向かい、それでも増えようとする人間の浅ましさだよ」
ジーンはまるで誰かの受け売りを刷り込まれた様にカイムへと雄弁に語る。