「ではこれから実験を開始する。
飛ばせばそのまま宇宙航行に出しても構わない。
今回の初実験では一カ月での帰還を予定している。
プロジェクト・ノアの成功は我が『全生物の平和』の大いなる一歩になるだろう」
通信が途切れたと同時にEGの水槽から大量の水が排出され始めた。
カイムの目の前にいた所員たちも各々自分の役職へと去っていく。
一人その場に取り残されたカイムは、とりあえず先ほどの金髪男の後に着いて行ってみた。
一人でいると怪しいのは百も承知だが、誰かと居るのも十分危険な気はする。
しかしこの男なら案外大丈夫な気がする――、
「あれ、お前誰?」
頭をかいて振り返った金髪と目があったのは、そう思った矢先だった。
「やっ、えっと俺ですよ、俺」
今までばれなかったので完全に油断していたカイムは、作り笑いを浮かべ後ずさる。
「んー……? 俺って言われてもな、名前は?」
「名前、名前ね。えーっと、」
(やべぇ、どうする……!)
この男一人だけなら叩き伏せる事が出来るか?
と頭を過ぎったが辺りには多数の研究員が存在し、外にはあの武装した奴らもいる。下手に動く事は出来ない。
「いや、やっぱいいや」
片方の手を面倒くさそうに振り男は猫背のまま再び歩き出した。
予想外の事にカイムは逃げ出す事も忘れ、結局男の後に着いて行く。
「俺、名前覚えられないんだよね、一緒に飯食った奴しか」
「は、はあ……」
男はEGに近づき、そのまま手すりを下っていく。
近くで見れば見るほど圧迫感がある。
全体のカラーは白がメインカラーとなっており、ところどころに紫のアクセントが入っていた。
丁度肩の高さまで下った辺りで腕の方に伸びた道に曲がり、男は手に持ったノートパソコンをEGの肩部分に繋いだ。
カイムが肩から下を見下ろすとまだ薄く白い液体が腰の辺りまであって、全体像は掴めなかった。
「よっと……けどあれだな。顔だけは絶対に忘れないわけだ」
よれよれになった煙草を取り出し、ライターで火をつけ煙草を咥えながらキーボードとEGを何度か見比べる。
「輪郭から、瞳の位置、鼻の高さに口の開き方。眉毛の太さにほくろの位置。それにお前、髪形元に戻っちゃってるぜ、侵入者さん」
言われ、はっと頭を抱える。
だが即興で作り出したオールバックは解除されていなかった。
「……おー、当たった、当たった。やっぱお前が侵入者か」
はっはっは! と金髪男は笑い、ノートパソコンから目を外した。
「見たところ随分若いが、ここの学生だよな」
「は、はい」
この男は何をしたいのか、言葉から真意を探るがいまいち感覚がつかめない。
軽そうでいてのらりくらりとした印象があるのだ。
「よくもまあ、侵入したよなあ。何処で情報を得たんだよ」
「こ、個人的な手段で……」
「ほー、個人的ねえ……ここのセキュリティは相当なもんだが、まあ穴もあるっちゃあるよな」
パソコンに再び目線を落としぱちぱちとキーを何度か叩きながら、金髪は興味があるのかないのかよく分からない仕草で受け答えをする。
「でも危ないからしちゃダメだぜー。さあ、帰った帰った」
シッシッと犬を追い払うように手を振る。
「俺を……捕まえないんですか?」
「んー? んなことして何の得がある?」
男はさも当たり前のようにカイムを見た。
「お仕事が一番大事でしょ。それとも捕まえてほしいわけ?」
「いや、そう言うわけじゃなくって……」
「なら行ったらいい。今なら大丈夫だ。
誰も気づきゃしねーよ。
ここのビル、最上階まで登れば緊急避難経路に出るから地上まで行けるぜ。
物凄く登るけどな」
咥えた煙草がゆっくりと上昇しては消えていく。
この男を信用していいものかカイムは迷った。
けれど今ここで自分だけが脱出しても意味は無いのだ。
「……ご忠告感謝します。けど、ここに来たそれなりの理由があるんです」
足場によって遮られているが、ジーンが捕らえられているであろう場所をカイムはじっと見つめる。
「素直な気持ちを俺は一度たりとも聞いてない」
ジーンは本当にこんな研究の一部になりたかったのか。
あいつは自ら離れたけどそれは本意なのか。
思えばいつもからかわれてばかりで本心なんて聞いた覚えがない。
「……青春だねぇ」
と、只一言、金髪はニヤニヤ笑った。
「だから俺はこれからすごく迷惑かけると思います。見逃してくれると助かります」
「あいつが何のために存在してるか分かって言ってる?」
あいつ、とはジーンの事だろう。
何も言い返さないカイムを見て男は言葉を続けた。
「これから新しい開拓地を探して宇宙へ飛ばされるんだぜ、びゅーんてな」
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りさ。『全生物の平和』は全生物の平和維持を唱えている。
まあ実際は人間を主軸に置いた奴らには変わりないが……これから起こる核戦争と言われる人類滅亡に備え、地球という貴重な遺伝子の塊を宇宙へと飛ばし新天地にて文明開化してもらおうって、泣かせる話」