「そんな……荒唐無稽な話……銀河系には人が住める星は無いでしょう」
火星や金星も第二の地球として上げられるが、ジーン一人飛ばしたところでどうにかなる話ではない。
余りにも子供がすぐに思いついたような話で馬鹿馬鹿しささえ感じる。
「テラフォーミング計画は結局企画倒れだったからな。
まあ『全生物の平和』は『平和』の為なら手段を選ばない暴君なのさ。
俺達科学者には関係ないが、上の奴らは違う。
真剣に考えた結果が『それ』なんだろうよ」
「どれだけ時間がかかると――、」
反論しかけカイムの頭の中でいくつかのピースが空いたパズルにかちりと埋まった気がした。
ジーンの不死性。
遺伝子を解析する能力。
信じられないような話だが筋は通っている。
何億光年の先に未開の地をもし見つけたとして、訳のわからない原生生物を内部から作りかえる。
そうして生物の進化を一から見つめ、第二の地球を作り上げる計画。
「そ、それが『プロジェクト・ノア』。
旧約聖書にのっとるなんてちょっと洒落てるよな。
まあノアの方舟があったとされるアララト山から飛ばすはずだったんだが、あそこは危険区域だからさー」
「けど、原生生物を内部から作り直す……そんな事が」
「できんだろ、お前らだってその一部じゃん」
「え……」
鼓動が早くなったのを感じる。
その言葉の意味を脳は直感的に理解していて、額から雫が垂れた。
「その副産物なんだよ、シルバー・エイジはさ」
なぜか心臓がぐっと掴まれたような気がした。
この軍事基地――いやサンイースト州にある五つの軍事基地全てがジーンの研究から生まれた副産物であり、未だに研究材料として扱われている。
その言葉はまるで誰かの手の内でシルバー・エイジは弄ばれているような気さえした。
軍事基地の学校は今の時代さほど珍しいものではない。
普通の学校に行くより学費は安く、待遇も良い。
その代わり徴兵制度のように有事の際の戦力、抑止力として戦いに赴く義務が課せられる。
だが世界はギリギリながら停戦状態。
今にも崩れそうな平和を維持してる。
しかしそれすらも誰かの手の内で進められていて――。
動き出した思考は止まらず、想像だけが独り歩きを始める。
「で、こいつが現代版ノアの方舟ってわけ。
未知の外敵に対する戦力を持ち合わせ永久機関を装備した宇宙船ってな」
煙草を携帯吸いがら入れに押し込み金髪男はパソコンに映った映像を見つめる。
「ん、どうした?」
「あ……随分壮大だったもんで……」
男の声にカイムはハッと我に返る。
「そうだよ。壮大だ。
あの娘はこの『壮大』を生まれた時――作り出された時から背負っている。
そしてこれからも永遠と知れない未来を独りで生きる。
人類の為、ひいては地球の為にな。
それをお前は止めようとしてるんだ、お分かりか?
どれほどの予算がつぎ込まれ、どれほどの人員が動員され、多くの人間たちが時間と労力、生活と人生を賭けてこのプロジェクトに期待をしているのか」
ノートパソコンからピョインと間抜けな音が聞こえ、男はそれを合図に手早くEGに繋がったコードを抜きとった。
「ロマンチストも良いが、お前にはそれを全て止めるほどの覚悟があるのかい?」
パソコンを脇に挟み、男は煙草を取り出そうとし――空になったゴミを胸にしまった。
「全人類が戦争によって滅亡するのを止める決意、一億発以上ある核を一人で受け止め世界を救う力、そして一生あの娘を守る意思。
そういう事だ。
ここで手を出すってのはさ。
お前にはあるのか? 無いなら今すぐここから立ち去れ。
全て忘れて安穏と現実を生きろ」
金髪が初めて正面からカイムを見据えた。
手入れのされていない金髪、そこそこ若いくせに不精髭でけだるいイメージを持っている。
だが瞳は獣のように鋭い。
見ただけで人を噛み切るような鋭い瞳だ。
「……」
真実に圧倒されカイムの口は開かない。
ゴクッと唾を飲み込むだけが精一杯だった。
騒がしかった室内が今ではまるで静まり返っているような気さえしてくる。
勿論雑多な音は聞こえている。
けれどカイムの耳はまるで遮断されたように何も受け付けない。
と、突然警報が鳴り響き、オレンジの照明等からレッドへと変更される。
ザザッとマイクに音声が入りヨシュアとは別の研究員の声が全館に響き渡った。
『<01>精神育成制御用学生が脱走した模様。
打ち上げに支障が出る前に確保、場合によってはそのまま射殺も已むを得ない!』
「あらー見つかっちゃったようだね」
回転する赤ランプを見つめながら男は先ほどまでの軟派な雰囲気に戻る。
「で、どーする。ん?」
上ではヨシュアの激昂する声が聞こえる。
慌ただしさは色を変え次々と武装が運び込まれている音がカイムの場所まで届く。
人々は慌ただしく走り、研究と確保の両方に振り回されているようだった。
今まで動けなかったカイムだったが諦めたように頭を落とし、自嘲的に笑い声をあげた。
「そか。いや、知っていたとしても誰もお前を責めやしないさ。
誰にもどうにもできない。
彼女はそういうもんなんだからな。
力があっても頭があっても仕方ないって事で。
ここまで彼女を想って来ただけでも立派なもんだ」
肩を落としているカイムの肩を二度叩いて金髪は適当に励ました。
「じゃ案内するよ。
その白衣はやるからどっかで燃やしてくれ――」
歩き出した男にカイムはゆっくりとした動作で着いて行く。
緩慢な動きで階段を上り、慌ただしく所員が走り回るロビーを見下ろした。
そこには武装した研究員に囲まれ、器具に括りつけられているジーンが見えた。
「騒がしくなってきたな、急ぐか」
早足に歩く男は邪魔な研究員を手で押しのけながら進む。
「おい?」
だが背中に気配が無くなったのを感じ振り返るとそこにカイムの姿は無かった。
カイムはただ離れた位置から固定されたジーンをじっと見つめている。
色の無い瞳でうなだれるジーンをずっと。
金髪は肩をすくめ、カイムのところまで戻り、腕を掴む。
「行くぞ」
だが彼は一歩も動かなかった。
もう一度強く引っ張るがカイムの足は地面に根を張ったようにびくともしない。
「見つかんぞ?」
魂の抜けた人形のようにカイムはずっとジーンを見つめていた。
そこに見える感情は悲しみか、自分への自虐か。
「はあ……将来有望な学生がここで死ぬのは見るに堪えんからな、行くぞ」
もう一度腕を強く引っ張るが反応は無い。
「……俺、俺……」
震える唇をやっと開き、カイムは言葉を吐く。
「……見捨てるしかできないのかなあ……」
見開いた目からはとめどなく涙が流れ、震える声がやっと声を絞り出しているのだと気づく。
「お、俺……には……何も出来ないの……か?
これから起こる事も、ジーンの事も……少しは、し、知ってんのにさ……」
「死に急ぐなよ、学生」
「誰も……ジーンの味方……い、いねえじゃねえか、気持ちを知ろうとは、したのかよ……」
「学生……」
「EG、『全生物の平和』、シルバー・エイジ……?
そんな、もんクソ喰らえだ……!
何でお前ら全員、力も頭もあんのに……誰も気づいてやらねぇんだよ……!
犠牲の上に成り立つもんなんて、なんも、なんもねえだろうが……!」
流れる涙を拭いもせずカイムは膝をつく。
金髪の腕からするりとカイムの腕が抜け落ちた。
「いいよ……なら、なら止めてやる。
こんな救いようもない悲劇の再生……俺が止めてやる……!」