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第二話 狼とサカナ

 転校したばかりの教室は、いつだってどこか刺々しい空気に満ちている。

 親の都合で一年に一回は転校してきた身分でも、この雰囲気にだけは一向に慣れない。

 珍しいものを見るようなあの『目』も、僕が現れると自然にワントーン低くなるあの『声』も、全部、僕という異物に対しての、紛うことなき敵意だ。

 今回も、僕は面白みのない転校生として、そんな針のような視線に晒される、はずだった。


 大抵の場合、転校生には引率の教師がついて、場合によっては生徒玄関から教室までのエスコートをしてくれる。

 それがなかった段階で、既に異変は起きていたのだ。

 始業時間の五分前になっても、僕を迎えに来る人影は見当たらなかった。

 僕は自己紹介の時間の都合上、遅刻ギリギリの登校になったわけだが、それにしても、駆け込みセーフを狙う生徒の姿すら、一人も確認できなかった。よほど規律に厳しい校風であればまだしも、この学校はごくごく普通の、偏差値だって中の中、通っている生徒の半分が地元の中学を出ているという田舎の高校なので、それもないだろう。

 始業のチャイムが鳴る中、僕は転校前の手続きの際の記憶を頼りに教室を目指す。

 二年の教室は分かりやすく、一年・三年の階に挟まれた二階にあった。

 向かうまでの階段も不気味なほど静かで、自分の足音の始まりから終わりまでをしっかり聞き取れる。

 それに、一段、また一段と階段を上っていく度、なぜだか校内が暗くなっているような気がした。室内灯の明かりは変わっていないのだけど、踊り場の大きな磨りガラス越しの外からの光が、まるでタイムラプスのように移り変わって、黒く染まった。

 なんだ、これ。

 心臓が今までにない脈拍で動いている気がした。途端に静けさが質量を持って首に手を回してきているような、得体の知れない不気味さが僕の足を止める。


「うわあああ!」


 二階から、誰かの叫び声が聞こえた。

 それも一人のものではなく、何人もの声が混ざっている。阿鼻叫喚で編まれた音の束が、鼓膜に響く。

 逃げよう。直感的にそう思う。が、肝心の足が動いてくれない。

 ガラッ、という、教室の引き扉特有の音がする。それに続いて、教室を飛び出すような足音が続々と。

 足音の群れはバラバラの方向へ散る。こちらに向かってくるものもあった。


「……誰?」


 顔も知らない女生徒が一人、慌てた様子で僕のいる階段の踊り場の方へ顔を出す。彼女の頬には小さな赤い点のようなものがついていた。点は水のような質感で、頬から顎に向かって自然落下していく。赤い、線を残しながら。


「……えっと、今日、転校してきた、」

「逃げて!」


 その瞬間、女生徒の胸から何かが飛び出した。いや、正しくは、背中から貫通した、黒くて大きな、地面にうちつけるための杭のような何かが、その鋭い切っ先を覗かせていた。


「……おかしいの、みんな……こん、な……」


 血のアーチが足元の床まで飛び散る。


「何言ってんの、初めに人殺したのはあんたの方でしょうが」


 崩れ落ちる女生徒の体の後ろから現れたのは、黒いウルフヘアの女生徒だった。少し切れ目のようになっている目尻が特徴的な、まさしく狼みたいな女の子。


「え、あ、」


 口の隙間から言葉未満のものが零れる。


「……君、転校生なんだね」


 女の子は僕の存在を確かめるように視線をやると、そう言いながら右手に大きな杭を出現させる。

 ダメだ。殺される。


「生きたい?」


 女の子は僕の方に杭の先を向け、捕食者の目をしながら問う。

 一瞬のうちに僕は考える。理由はさっぱりわからないが、人が死ぬような、殺し合うような何かが起きている。そして、この女の子はきっと、人を殺すことに躊躇がない。

 僕がここで曖昧な返答をすれば、この女の子は慈悲のつもりで、あの杭を僕にも突き刺すのだろう。楽にしてあげる、そんな一方的な優しさで、僕は殺される。

 それでも、この問いに嘘をつく選択肢はないような気がした。そんなものが通用するわけがないという、確信に似たものがあった。


「……生きたいだとか死にたいだとか、考えたことがないからわからない」

「あっそ」


 女の子は左手にも杭を出現させる。

 終わった。完全に、女の子の中で判決は下ったらしい。


「じゃあちょうどいいや、手伝って」


 女の子はそう言うと、両手の杭を背後に向かって突き出す。


「……がっ」


 彼女の背後から、串刺しになった男子生徒が倒れるのが見えた。彼の手には黒いサバイバルナイフのようなものが握られていたが、すぐに塵となって消えた。


「こっち来て」


 女の子はすぐに僕の近くまで走ってくると、そのまま僕の手を引いて玄関の方へ向かった。立て続けに人の死を目撃した僕の頭はフリーズ状態で、ただ女の子の力に従うように、ついていくことしかできなかった。


「玄関から出るより、こっちの方がいい」


 階段下の金属製の扉を指さし女の子は言う。扉の上部では非常口のマークが緑色に光っていた。

 ギイイ、と重低い音が鳴り、どうやら中庭に続く扉が開いた。さっき感じた違和感の通り、非常口の外はまるで真夜中のように暗く、後者の窓から漏れる灯りでなんとか足元が見えるような状態だった。つい数分前まで朝だったはずなのに……。


「足元気をつけて」

「あ……うん」


 非常口、というくらいだし、ここから人が出入りすることは滅多にないのだろう。歩みを進める度、伸び切った草が制服の隙間から足首に触れるのを感じる。


「ねえ」

「ん?」


 僕の呼びかけに女の子は振り向く。その仕草だけだと、本当に普通の女子高生としか思えない。

 そう、とても人を殺したばかりだとは思えないほど、彼女は落ち着いていた。


「……これってどういう状況? 今、ここで何が起きてるの?」

「私の名前は野崎とがり。自己紹介とか恥ずかしいから一回で覚えてね」

「……いや、聞いてないんだけど」

「君は?」


 女の子は自分のペースでしか話さない性格らしい。


「掛田。掛田……求」

「求か、可愛い名前。私のことは野崎でいいよ」


 野崎はそう言うと、ピタリと足を止めた。中庭の端の、用具入れのような倉庫のすぐそばだった。


「あんまり動くと目立つから、しばらくここで隠れてよっか」


 言うと、野崎は倉庫の陰に隠れるように膝を曲げた。


「野崎、さん」

「野崎でいいって」

「野崎、もう少し説明がほしい。君たちは何をしてるの? その……さっきの人たちも、ここの生徒なんでしょ? なんで、」

「なんで殺し合いなんかやってるのって?」


 僕が言い淀んでいたことを、野崎はさらりと言ってのける。


「さすがに普通の感性の高校生が自主的に殺し合いなんかやらないよ。これはさ……『サカナ』が言い出したの」

「サカナ……?」

「そう、サカナ」


 僕は驚きで声をあげそうになってしまった。

 だって、僕の問いに答えたその声は、野崎のものじゃなかったから。血が通っていない、無機質な合成音声のようなその声の主は、僕と野崎の頭上に突如現れた。


「ウワサバナシとはハずかしいなあ」


 真っ黒な体色の、空中を泳ぐ大きな魚。そう言い表すしかない『何か』が、僕らに向かってそう語りかけてくる。それは声で、というより、意味を持った信号として、頭の中に直接響いているみたいだった。

 気持ちが悪い。見た目とか、空中を浮いている仕組みとか、そういうことじゃなくて、存在が、違和感そのものだ。これは……こいつは、この世界に存在してはいけない何かだ。そんな直感的な嫌悪感が喉奥まで上がってくる。


「ようこそ、スケールメイト、サイゴのヒトリ。……テンコウセイのカケダくん」


 そして、ゆったりと尾びれを靡かせながら、『何か』は名乗る。


「ウワサをしてくれてありがとう。……ワタシが、サカナだよ」

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