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第三話 生きるリユウ


「死ね」


 物騒な呟きとともに、サカナに向かって、見覚えのある黒い杭が飛んでいく。それは一切の躊躇いもなく、こちらに温度のない目を向けるサカナの脳天を貫……かなかった。

 サカナの顔の数ミリ手前で静止した杭は、その勢いの全てを失って落下する。ドス、という音を立てて、杭が地面に突き刺さった。


「いきなりひどい。コワいなあ、キミは」

「被害者ヅラできる立場かよ、人殺し」

「? ワタシはヒトリもコロしていないが? むしろヒトゴロしはキミのホウだとオモうけど」


 全くもってサカナは無表情なのだけれど、とぼけている顔が浮かんでくるような口調だった。まるっきり次元が違う生き物のそれ、という感じがした。

 僕はさっき目にしたものもあり、内心、少しサカナに共感してしまう。


「そういう屁理屈で逃げられると思ってる精神性がムカつくんだよ、あんた。わざわざ殺し合いになるような餌ぶら下げて、傍観者のふり……」


 そこまで言って、急に野崎は黙った。

 いや、正しくは、喋っている途中で、完全に彼女の動きが静止した。不満そうに口を歪めて、今にもつらつらとサカナに文句を続けそうな格好のまま、野崎は糊で固められたようにピタリとその動きを止められていた。


「スコしダマっていなさい、『クイ』のショウジョ。そこからサキは、ワタシのクチからハナすとキめているんだ」


 どうやらこれも、サカナの仕業らしい。どうやらこいつは、完全に僕たちを支配下に置いている。


「シンパイせずとも、ワタシがスケールメイトにキガイをクワえることはないよ」


 僕の心を読んでいるみたいにサカナは言った。


「……わかった。説明を続けて」

「このゲームはね、ニンゲンたちがタダしく『生きる』ためのゲームなんだ」

「生きる、ための?」


 生きる。そう口にした瞬間だけ、サカナの無機質な声に体温じみた何かが宿ったような気がした。そのアンバランスな抑揚が、不気味さを増長させる。


「スケールメイトにエラばれたキミたちには、これからイッシュウカンをかけてタタカッてもらう。イチニチのゲームはきっかりハチジカン。そのアイダ、ヒトをコロすと『ポイント』がハイる。そしてイッシュウカンゴ、それまでのポイントをタしてイチバンオオくのポイントをカクトクしたものに、ワタシはアタえる。……『生きるリユウ』を」

「生きる理由……って、そんな抽象的な」


 サカナの説明は簡潔で、内容だけなら理解できた。

 でも、殺し合いの果てに得られるものが『生きる理由』? そんな不透明なものを前に、人間が殺し合うなんて、納得がいかない。


「ははっ、」


 サカナは笑った。いや、実際にはサカナに表情の移り変わりなんてないのだけれど、でも、確かに笑った。


「ホウシュウにセイゲンなんてツけたらオモシロくないじゃないか。ベツにカネでもゴウテイでもクルマでも……それこそコイビトだっていい。そのニンゲンのイチバンノゾむモノを、ワタシはアタえるつもりだよ」


 サカナの口調は変わらず平坦で、でも、だからこそこの発言も、決して大袈裟なものじゃないという確信を持たせるだけの説得力みたいなものがあった。

 今こうして真昼間を夜にしたり、野崎の動きを完全に一時停止させたりしている超常の力が、この宙を泳ぐサカナにはある。人間は自分の目で見たものを信用するようにできている。それこそ人生に心底困っている人間なら、こんな話に縋ってもおかしくはないのかもしれない。

 ……でも、


「それ、あんたになんのメリットがあるんだ」


 結局のところ、このサカナの目的はなんなんだ。クラスメイト同士の殺し合いという場を設けて、際限のない報酬を支払って、こいつの手元に残るものは? 話を頭の中で消化しても、肝心のそれが見えてこない。


「キミはヤサしいんだね。そんなシツモンをされたのはハジめてだよ」

「……気味が悪いだけだよ」

「ショウジキでいいね。じゃあワタシもショウジキにハナすけど……メリットなんてくだらないこと、カンガエえてるわけないだろ。ワタシはワタシのやりたいことを、チョッカンにシタガってやってるだけだ。そこにソントクはないし、だからとイってキミタチへのホウシュウをダしシブるつもりもない」


 サカナの言葉選びには一切の迷いがなかった。


「イジョウ、このことについてのシツモンはウちキりだ。ツギは、ワタシからハナさせてもらう」


 サカナは、もう満足だろ、とでも言いたげに淡々とことを進めようとする。その態度には、追及は許さない、という隔絶があった。

 背中に、冷や汗が垂れるのを感じる。

 そもそも会話が成立しているのが不思議なくらいなのだ。この生き物を僕たちの物差しで測ること自体がナンセンスなのだろう。考えを改め、僕もこれ以上の追及は諦めることにした。

 僕が頷くと、サカナは満足そうに瞬きをする。


「うん、キきワけがよくてカンシンだ。……では、スケールメイトサイゴのサンカシャであるキミに、これをワタしておこう」


 そう言うと、サカナはその場で身震いをする。その動きに連動するように、サカナの胴体から鱗のような物体が一枚、空中に躍り出た。それは薄暗闇の中でも淡く光っていて、そのゆらゆらとした動きを反射的に目で追ってしまう。

 まるで散り落ちる桜の花びらのような挙動をしながら、その鱗は僕の方に向かってきた。


「どこでもいい、フれてみてくれ」

「触れるって……これに?」


 サカナは頷く。体の半分ほどを使ってダイナミックに。

 恐怖と、ほんの少しの好奇心が胸に湧いていた。僕はサカナが落とした鱗に、そっと右手の人差し指で触れてみる。

 すると、鱗は僕が触れたその瞬間に、一瞬だけ白く光り、消えてしまった。


「それがキミの『ウロコ』だ。もしキミがこのゲームで『生きるリユウ』をホッするなら、きっとヤクにタつ」


 それだけ言い残すと、サカナは瞬きの間に姿を消した。


「いなくなった……? なんだよ、ウロコって。……まだ、何も説明されてないんだけど」

「……できると思ってんの?」


 意味をなさない嘆きを零す僕の視界の端で、野崎がさっきの続きを口にした。


「……ねえ、求。もしかして、私止まってた?」


 状況を素早く把握したらしい野崎の横で、僕は力なくうなだれることしかできなかった。

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