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第六話 爆弾

「……うわあああ!」


 僕の出現が好機と思ったのか、茶髪の男子生徒は最後の力を振り絞って、体育館の出入口に向かって片足で跳ねながら逃走を図った。

 が、それは彼の足元に突き刺さった野崎の杭によって阻まれる。


「なんだよ……お前ら関係ないだろうが!」


 その場で崩れるように倒れた茶髪生徒は、涙目になって抗議する。

 野崎はいつの間にか僕の隣に姿を現していた。なんなら置いて逃げられると思っていた僕は、内心ほっとしてしまう。

 思っているよりも野崎は義理堅いのかもしれない。多分、違うだろうけど。


「関係ないよ。だからさ、あんたはそこでこっちの決着が着くまで待ってなよ。私たちと眼鏡の彼、勝った方があんたを殺す」

「か、勝手に決めるなあ!」


 眼鏡の男子生徒が、怒号と共に再びハンマーを体育館の床に振り下ろす。


「あっそ。じゃあ今すぐ殺しちゃうけどいいの? あなたの持ってるそのハンマーより、私の杭の方がずっと速いよ」

「……なんなんだよ、クソ、僕の気持ちも知らないで。……じゃあいいよ、邪魔するお前らも、僕が全員ぶっ潰してやる」

「うん、懸命だね」


 上手いな。

 素直に感心してしまう。これだけ激情に飲まれた相手を、その執着心を利用してこっちの提案に無理やり乗せた。


「ありがとう、野崎」

「別に。一人はほとんど瀕死だし、こっちの方がポイント稼げるなって思っただけだから。求が馬鹿ってことは今後もずっと忘れない。求も覚えてて。……場合によっては、求のことも私は簡単に殺す」

「……わかった。気をつける」

「まあ、まずはここを乗り切ろっか。私と求で、あの巨大ハンマーの眼鏡くんを殺さなきゃ。ゲームオーバーは嫌なんでしょ?」


 野崎はその場で指を伸ばすストレッチのようなものをしながら、耳打つように言った。


「それで、求のウロコってなんなの? それがわかんなきゃ、作戦の立てようがないんだけど」

「……試すタイミングなんかなかった」

「はあ」

 あからさまなため息で返された。


「あー! 清々しくて逆に元気出てきた! ……わかった。じゃあこの今回でちゃんと、求のウロコ、使って見せて。それが協力する条件」

「見せてって言われても、まだ使い方が……」

「大丈夫、あのね、ウロコを使うには……」


 それから野崎は僕の耳元で、ウロコの発動条件について囁く。


「……それ、どういうこと?」

「言葉通りだよ、何も難しいことないって」

「何ごちゃごちゃ言ってんだあ! お前らさ、人の邪魔してるって自覚があんのかよ!」


 眼鏡の男子生徒は痺れを切らしたように、地団駄を踏んで苦言を呈す。


「このゲームはただの殺し合い。邪魔も何もないでしょ。ねえ眼鏡くん、そっちこそ、ゲームと復讐の区別もつかないの?」

「僕に説教するな!」


 野崎の煽りは見事に彼のボルテージを刺激し、ついに沸点に達した。ドガン、と振り下ろした彼のハンマーは、僕たちの足元まで続く亀裂を生む。


「あれ食らったら終わりだね」

「こんなに怒らせる必要あったのか?」

「いいの。我を失った人間ほど御しやすいものはない」

「……誰の言葉?」

「私の格言」


 そう言うと、野崎は眼鏡の男子生徒に向かって駆け出した。


「じゃあ、求はウロコ出すことにだけ集中して! 隙あらば攻撃してきてもいいから!」

「野崎を巻き込んだらダメだろ!」

「当たるわけないじゃん」

「だ、だから! ぼっ、僕を蚊帳の外にするなって言ってるだろ!」


 眼鏡の男子生徒は迫り来る野崎に向かってハンマーを横に構え、そのまま薙ぎ払うように振る。

 対して野崎は、体育館の床に向かって左手を突き出すと、そこから杭を床に刺し、杭が伸びる反動を利用してハンマーを避けた。地面に残った杭の胴体をハンマーが綺麗に撃ち抜き、頑丈そうな杭が真ん中から簡単にへし折れる。


「ほら、御しやすい」


 左手を軸に空中で側転のように身を翻した野崎は、残った右手のひらを眼鏡の男子生徒の顔に向け、杭を伸ばす。が、それは頬を深く掠めて、芯は捉えられなかった。


「った……!」


 頬から絵の具のように鮮明な赤い血液を流しながら、男子生徒はハンマーを構え直す。野崎はそれに合わせて距離を取った。


「求! まだ出ない?」

「……やろうとは、してる」


 よく見ると、野崎は肩で息をしていた。

 当たり前だ。野崎にとっては今日、これで四人目の戦闘になるのだから。

 命のやり取りを連続でこなして、これだけ動けるのが既に常軌を逸している。


「おっけい、じゃあ引き続き頑張って!」


 野崎は近づこうとする眼鏡の男子生徒に杭を飛ばして牽制する。杭はそこまで射程が広くないらしく、五メートルほど離れている今は容易にハンマーで弾けるほどの威力しか出ていないようだった。


「次は……絶対ぶっ潰す……」


 男子生徒も怪我をしたことで逆に冷静になったのか、無闇な大振りはもうしてくれそうにない。


「……はあっ……ははっ、やってみなよ」


 絶えず軽口を叩いてはいるが、野崎の体力も無限じゃない。むしろ、もう余裕なんてないんじゃないか?

 焦る胸中を必死に静めながら、僕はさっき野崎が言っていた、『ウロコを出すコツ』のことを思い出す。


『ウロコを出すには、怒ればいいの。なんでもいい、昔のことでもなんでもいいから、とにかくキレて』


 キレろって、言うほど簡単なことか? 自分で言うことでもないけど、僕は感情が薄い方だ。そのおかげで、こんなゲームに巻き込まれていても発狂せずにいられている自覚がある。


「ちまちま飛ばしてきやがって! ああもう、クソまどろっこしいなあ!」


 杭での牽制に慣れたのか、眼鏡の男子生徒のハンマーの振りが段々最小限になる。野崎の杭が次から次へと、爪楊枝みたいに軽く弾かれ、体育館の壁に突き刺さる。確実に、彼と野崎との距離はさっきよりも狭まっていた。

 過去のことでもいい、と野崎は言っていた。僕は記憶を掘り返し、なんとかトリガーになりそうな怒りの種がないか思い返す。なんなんだこの作業。

 野崎の真似をして右手を広げ、凝視してみても、何も起きる気配はなかった。背中の冷や汗が止まらない。


「求!」


 疲労困憊の野崎が、振り絞るように僕の名前を呼ぶ。


「私が死んでも、絶対逃げんな!」


 なんだよ、それ。


「よそ見してんじゃねえよ!」


 振ったハンマーの勢いと共に、眼鏡の男子生徒は一気に野崎との距離を詰める。

 普通、そういうときは逃げろって言うんじゃないのか。


「つ、潰れろ!」


 そして、最後の瞬間は訪れようとしていた。


「一回も本気でやらずに死んだら、人生丸ごとつまんないよ! 求!」


 自身に対して振りかぶられた巨大なハンマーじゃなく、野崎はただまっすぐと、僕の目を見つめていた。

 なんで、こんなときに僕の名前を呼ぶんだ。


「……なんで」


 ――なんで僕は、ここで突っ立ってるんだ。


 そのとき、僕の右手に確かな感触があった。

 それは、野崎の姿がハンマーに押し潰されるのと、ほとんど同時の出来事だった。


「……出た」


 僕の右手に握られていたのは、ラジコンを操作するリモコンのような形状の、頂点にボタンのついた、黒いスイッチのようなものだった。

 それを認識すると同時に、脳内に音声が流れる。あのサカナの声をもう一段階機械的にしたような、チープな合成音声だった。


『バクハタイショウをセンタクしてください』


 爆破……?

 耳慣れない言葉に思考がうまく回らない。それに、たった今目の前で野崎が殺されたんだ。これ以上、何かを考える余地があるわけない。


『バクハタイショウをセンタクしてください。……コウホをカシカします』


 合成音声がそう言った途端、僕の視界に白く縁取られたものが映る。それは野崎が押し潰された、ハンマーの下のクレーターにぽつんと存在していて、床やその他のものを透過して見えた。

 シルエットだけしかわからないが、まるでぐしゃぐしゃになったちり紙のようなかたちをした『それ』は、おそらく……。


「おい、つ、次はお前だよ。女の子にばっかり戦わせる卑怯物。僕、嫌いなんだよ。お前みたいな、く、口だけの偽善者がさあ」


 眼鏡の男子生徒はハンマーをゆっくりと持ち上げ、僕のことを睨みつけながら言う。

 僕の中で、疑念がひとつ、確信に変わる。


「……『選択』」

「おい、何ぶつぶつ言ってんだよ。目の前で、お前を庇って女の子が死んだんだぞ? 罪悪感とか、湧かないのか?」


 彼の目には、よほど僕が薄気味悪く映っているのだろう。すぐに襲いかかってくればいいのに、糾弾は続く。

 大きく、僕は息を吸い込んだ。

 僕の解釈が正しければ、こうするのが一番、正しい判断だ。


「野崎! さっき貸したアレ、思いっきり上に投げてくれ!」


 返事はなかった。代わりに、眼鏡の男子生徒の掠れた笑い声が響く。


「こっ、この期に及んで……お前、見てなかったのか? 野崎とかいう子は今……」

「遅いよ、求」


 どこか嬉しそうな声と共に、押し潰れた体育館の床下から、ところどころが血で汚れた白い塊が、眼鏡の男子生徒の目の前に向かって飛んでくる。

 空中で広がったそれは、ヒラヒラとした動きで眼鏡の男子生徒の肩の上に着地する。


「は? なんだこれ……布……?」

「爆弾だよ」


 そして僕は、スイッチを押し込んだ。

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