「……うわあああ!」
僕の出現が好機と思ったのか、茶髪の男子生徒は最後の力を振り絞って、体育館の出入口に向かって片足で跳ねながら逃走を図った。
が、それは彼の足元に突き刺さった野崎の杭によって阻まれる。
「なんだよ……お前ら関係ないだろうが!」
その場で崩れるように倒れた茶髪生徒は、涙目になって抗議する。
野崎はいつの間にか僕の隣に姿を現していた。なんなら置いて逃げられると思っていた僕は、内心ほっとしてしまう。
思っているよりも野崎は義理堅いのかもしれない。多分、違うだろうけど。
「関係ないよ。だからさ、あんたはそこでこっちの決着が着くまで待ってなよ。私たちと眼鏡の彼、勝った方があんたを殺す」
「か、勝手に決めるなあ!」
眼鏡の男子生徒が、怒号と共に再びハンマーを体育館の床に振り下ろす。
「あっそ。じゃあ今すぐ殺しちゃうけどいいの? あなたの持ってるそのハンマーより、私の杭の方がずっと速いよ」
「……なんなんだよ、クソ、僕の気持ちも知らないで。……じゃあいいよ、邪魔するお前らも、僕が全員ぶっ潰してやる」
「うん、懸命だね」
上手いな。
素直に感心してしまう。これだけ激情に飲まれた相手を、その執着心を利用してこっちの提案に無理やり乗せた。
「ありがとう、野崎」
「別に。一人はほとんど瀕死だし、こっちの方がポイント稼げるなって思っただけだから。求が馬鹿ってことは今後もずっと忘れない。求も覚えてて。……場合によっては、求のことも私は簡単に殺す」
「……わかった。気をつける」
「まあ、まずはここを乗り切ろっか。私と求で、あの巨大ハンマーの眼鏡くんを殺さなきゃ。ゲームオーバーは嫌なんでしょ?」
野崎はその場で指を伸ばすストレッチのようなものをしながら、耳打つように言った。
「それで、求のウロコってなんなの? それがわかんなきゃ、作戦の立てようがないんだけど」
「……試すタイミングなんかなかった」
「はあ」
あからさまなため息で返された。
「あー! 清々しくて逆に元気出てきた! ……わかった。じゃあこの今回でちゃんと、求のウロコ、使って見せて。それが協力する条件」
「見せてって言われても、まだ使い方が……」
「大丈夫、あのね、ウロコを使うには……」
それから野崎は僕の耳元で、ウロコの発動条件について囁く。
「……それ、どういうこと?」
「言葉通りだよ、何も難しいことないって」
「何ごちゃごちゃ言ってんだあ! お前らさ、人の邪魔してるって自覚があんのかよ!」
眼鏡の男子生徒は痺れを切らしたように、地団駄を踏んで苦言を呈す。
「このゲームはただの殺し合い。邪魔も何もないでしょ。ねえ眼鏡くん、そっちこそ、ゲームと復讐の区別もつかないの?」
「僕に説教するな!」
野崎の煽りは見事に彼のボルテージを刺激し、ついに沸点に達した。ドガン、と振り下ろした彼のハンマーは、僕たちの足元まで続く亀裂を生む。
「あれ食らったら終わりだね」
「こんなに怒らせる必要あったのか?」
「いいの。我を失った人間ほど御しやすいものはない」
「……誰の言葉?」
「私の格言」
そう言うと、野崎は眼鏡の男子生徒に向かって駆け出した。
「じゃあ、求はウロコ出すことにだけ集中して! 隙あらば攻撃してきてもいいから!」
「野崎を巻き込んだらダメだろ!」
「当たるわけないじゃん」
「だ、だから! ぼっ、僕を蚊帳の外にするなって言ってるだろ!」
眼鏡の男子生徒は迫り来る野崎に向かってハンマーを横に構え、そのまま薙ぎ払うように振る。
対して野崎は、体育館の床に向かって左手を突き出すと、そこから杭を床に刺し、杭が伸びる反動を利用してハンマーを避けた。地面に残った杭の胴体をハンマーが綺麗に撃ち抜き、頑丈そうな杭が真ん中から簡単にへし折れる。
「ほら、御しやすい」
左手を軸に空中で側転のように身を翻した野崎は、残った右手のひらを眼鏡の男子生徒の顔に向け、杭を伸ばす。が、それは頬を深く掠めて、芯は捉えられなかった。
「った……!」
頬から絵の具のように鮮明な赤い血液を流しながら、男子生徒はハンマーを構え直す。野崎はそれに合わせて距離を取った。
「求! まだ出ない?」
「……やろうとは、してる」
よく見ると、野崎は肩で息をしていた。
当たり前だ。野崎にとっては今日、これで四人目の戦闘になるのだから。
命のやり取りを連続でこなして、これだけ動けるのが既に常軌を逸している。
「おっけい、じゃあ引き続き頑張って!」
野崎は近づこうとする眼鏡の男子生徒に杭を飛ばして牽制する。杭はそこまで射程が広くないらしく、五メートルほど離れている今は容易にハンマーで弾けるほどの威力しか出ていないようだった。
「次は……絶対ぶっ潰す……」
男子生徒も怪我をしたことで逆に冷静になったのか、無闇な大振りはもうしてくれそうにない。
「……はあっ……ははっ、やってみなよ」
絶えず軽口を叩いてはいるが、野崎の体力も無限じゃない。むしろ、もう余裕なんてないんじゃないか?
焦る胸中を必死に静めながら、僕はさっき野崎が言っていた、『ウロコを出すコツ』のことを思い出す。
『ウロコを出すには、怒ればいいの。なんでもいい、昔のことでもなんでもいいから、とにかくキレて』
キレろって、言うほど簡単なことか? 自分で言うことでもないけど、僕は感情が薄い方だ。そのおかげで、こんなゲームに巻き込まれていても発狂せずにいられている自覚がある。
「ちまちま飛ばしてきやがって! ああもう、クソまどろっこしいなあ!」
杭での牽制に慣れたのか、眼鏡の男子生徒のハンマーの振りが段々最小限になる。野崎の杭が次から次へと、爪楊枝みたいに軽く弾かれ、体育館の壁に突き刺さる。確実に、彼と野崎との距離はさっきよりも狭まっていた。
過去のことでもいい、と野崎は言っていた。僕は記憶を掘り返し、なんとかトリガーになりそうな怒りの種がないか思い返す。なんなんだこの作業。
野崎の真似をして右手を広げ、凝視してみても、何も起きる気配はなかった。背中の冷や汗が止まらない。
「求!」
疲労困憊の野崎が、振り絞るように僕の名前を呼ぶ。
「私が死んでも、絶対逃げんな!」
なんだよ、それ。
「よそ見してんじゃねえよ!」
振ったハンマーの勢いと共に、眼鏡の男子生徒は一気に野崎との距離を詰める。
普通、そういうときは逃げろって言うんじゃないのか。
「つ、潰れろ!」
そして、最後の瞬間は訪れようとしていた。
「一回も本気でやらずに死んだら、人生丸ごとつまんないよ! 求!」
自身に対して振りかぶられた巨大なハンマーじゃなく、野崎はただまっすぐと、僕の目を見つめていた。
なんで、こんなときに僕の名前を呼ぶんだ。
「……なんで」
――なんで僕は、ここで突っ立ってるんだ。
そのとき、僕の右手に確かな感触があった。
それは、野崎の姿がハンマーに押し潰されるのと、ほとんど同時の出来事だった。
「……出た」
僕の右手に握られていたのは、ラジコンを操作するリモコンのような形状の、頂点にボタンのついた、黒いスイッチのようなものだった。
それを認識すると同時に、脳内に音声が流れる。あのサカナの声をもう一段階機械的にしたような、チープな合成音声だった。
『バクハタイショウをセンタクしてください』
爆破……?
耳慣れない言葉に思考がうまく回らない。それに、たった今目の前で野崎が殺されたんだ。これ以上、何かを考える余地があるわけない。
『バクハタイショウをセンタクしてください。……コウホをカシカします』
合成音声がそう言った途端、僕の視界に白く縁取られたものが映る。それは野崎が押し潰された、ハンマーの下のクレーターにぽつんと存在していて、床やその他のものを透過して見えた。
シルエットだけしかわからないが、まるでぐしゃぐしゃになったちり紙のようなかたちをした『それ』は、おそらく……。
「おい、つ、次はお前だよ。女の子にばっかり戦わせる卑怯物。僕、嫌いなんだよ。お前みたいな、く、口だけの偽善者がさあ」
眼鏡の男子生徒はハンマーをゆっくりと持ち上げ、僕のことを睨みつけながら言う。
僕の中で、疑念がひとつ、確信に変わる。
「……『選択』」
「おい、何ぶつぶつ言ってんだよ。目の前で、お前を庇って女の子が死んだんだぞ? 罪悪感とか、湧かないのか?」
彼の目には、よほど僕が薄気味悪く映っているのだろう。すぐに襲いかかってくればいいのに、糾弾は続く。
大きく、僕は息を吸い込んだ。
僕の解釈が正しければ、こうするのが一番、正しい判断だ。
「野崎! さっき貸したアレ、思いっきり上に投げてくれ!」
返事はなかった。代わりに、眼鏡の男子生徒の掠れた笑い声が響く。
「こっ、この期に及んで……お前、見てなかったのか? 野崎とかいう子は今……」
「遅いよ、求」
どこか嬉しそうな声と共に、押し潰れた体育館の床下から、ところどころが血で汚れた白い塊が、眼鏡の男子生徒の目の前に向かって飛んでくる。
空中で広がったそれは、ヒラヒラとした動きで眼鏡の男子生徒の肩の上に着地する。
「は? なんだこれ……布……?」
「爆弾だよ」
そして僕は、スイッチを押し込んだ。