僕たちで、全員を殺す?
とんでもないことを言い終え、実に満足そうな顔をしている野崎に、僕は苦言を呈する。
「そもそもそんなこと無理だ………とかいうのは置いておいて、なんでそれがこのゲームを終わらせることに繋がるんだ?」
僕の指摘は想定の範疇のこと、とでも言いたげに野崎は不敵な笑みを浮かべ、そばにある自転車の鍵を外した。銀色のシンプルなカゴ付き自転車、これは野崎のものなのだろう。
「帰りながら話すよ、求も自転車通学?」
「……僕はバス通学だよ、家は近いけど、前に事故したことがあって」
「じゃあ送ってくよ、後ろ乗って」
「道路交通法違反だ」
「細かいこと言いっこなしだよ」
「個人のモラルの話じゃなくて、近頃はそういうの、普通に補導対象になりかねないよ」
僕が真っ当な意見を述べると、野崎は少し驚いたような顔をする。
「……もしかして求、気づいてない?」
「何に」
「じゃあ尚更、乗って」
「……わかった」
名誉のために言っておくけど、僕は普段から、こういう暗黙のルールや社会的規範は守る方だ。これはあくまで野崎に強制されただけで……とか理由をつけている時点で、既に普段の僕じゃない。
それでも僕が野崎の自転車の後ろに乗ってしまったのは、さっきまで殺し合いの中に身を投じていたからなのか、そこで彼女に少なからず守られたからなのか、わからなかったけれど、なぜか心の奥の方に、妙な高揚感があったことだけは事実だ。
こんなものに呑まれるとろくなことにならないな、と思いながら、僕は野崎の制服に触れないよう、自転車の金具をしっかりと握る。
「発進!」という子供みたいな声が、駐輪場に響いた。
そしてそれからすぐ、僕は野崎が驚いた理由を知ることになる。
違和感を覚えたのは、学校から住宅地に続く坂道を下り始めてすぐのことだった。
「やけに静かだ」
この坂を下ればすぐに住宅地や地元の小学校がある。今朝はバスの車窓越しにも、そこから聞こえてくる子どもたちの声や、選挙カーの音声なんかがしていた。
それが今は、野崎の漕ぐ自転車のカラカラとした音と、坂のそばに生えた木々が風に揺れる音くらいしか聞こえてこない。
「そりゃそうだよ、私たち以外誰もいないんだもん」
野崎はさらっとそんなふうに返す。
「そうだけど、こんなに静かなのは不自然だ」
僕がまだ納得し切れずに言うと、野崎がクスッと笑う。
「そう、不自然。まるで、私たち以外の人間が全員この世界から消されてるみたい」
野崎のやけに確信に満ちた口ぶりで、僕はようやくこの違和感の正体に気づく。
「……まさか」
そのまさかだった。
◇ ◇ ◇
野崎の意外にまともな運転で坂を下り、住宅地に出てもなお、街には人の気配ひとつしなかった。
それどころか、道路を走る車の影すら見えない。普通に考えて、五分や十分車の走らない国道なんてほとんどないだろう。
「これも、サカナの仕業か」
「しか、ありえないだろうね。部外者に知らせることはできないようにしてあるって言ってたけど、呆れた。そもそも部外者を消せば口外しようもないって……完全に独裁者の思想でしょ」
完全に無人の街を、僕と野崎を乗せた自転車は走る。意味のない信号がチカチカと点滅し、僕たちは赤信号の横断歩道を突っ切った。
確かにこれじゃあ、逆立ちして自転車を漕いだって補導なんかされるわけがない。
「……僕たちが思ってるよりもずっと、あのサカナの力は底知れないのかもしれない」
「考えても知れないことを考えるのやめようよ。別に私たち、あの魚野郎と力比べするわけじゃないんだからさ」
「毎度殺そうとしてるくせに」
「チャンスは挑まなければ掴めない!」
「矛盾してるよ」
「してないよ」
なんだかこうやって話していると、もしこのデスゲームがなかった世界線があれば、野崎とはちゃんとした友人になれたのかもしれない、そんな甘い空想を抱いてしまう。
そんなわけ、ないんだけど。
僕は他人がうっすら嫌いだ。
無遠慮にこちらのスペースを侵してくるわりに、こちらが入れ込み始めると急に離れていく。他人は他人、そんな顔をして。そういう他人に、うんざりしている。
転校を繰り返した人間は、思い入れの薄い人間になるとどこかで聞いたことがある。僕はそれのいい例だ。
野崎のことだってそうだ。
このデスゲームがなければ、話そうとも思わなかった可能性の方がずっと高い。いつからか、僕は気の合いそうな人間ほど関わらなくなった。彼女はきっと、そのいい例だ。
「求? さっきから黙って何考えてるの?」
数分ほど意識を他所にやっていると、野崎がそう言ってこちらを振り向いた。ウルフヘアが風に靡いて野崎のシャンプーの匂いがする。目が合うと途端に気まずくなって、僕は誤魔化すように返した。
「自己反省」
「無駄」
「言い切るなよ」
「そんなことより考えることがあるでしょ。どうやったら私と求で全員殺せるのか、とかさ」
野崎は「なんだ」って顔をして、また前を向き直した。
「それ、本気だったんだ。根拠もまだ聞いてないのに真面目に考えられないよ」
「根拠は勘」
堂々と言うことか。そんなの無根拠と同義だ。
「勘だけど、多分当たってるはず。……あの魚野郎、相当このゲームに入れ込んでるのは間違いないでしょ? わざわざ報酬なんか用意して、たまに入れてくる茶々なんかも、総じてゲームを盛り上げることしか考えてない」
「それは、きっとそうなんだと思う。理由は、相変わらずわからないけど」
「無理やり理由を付けるなら?」
「完全な道楽主義者ってパターンとか?」
「もう一声」
なんなんだ、この問答。
でも、まあ、確かに仮説を立てるのは大切なことだ。わけがわからないものをわけがわからないまま受け入れるより、なんらかの前提を持っていた方が精神衛生上いい。
野崎に強要され、僕は一応考える。
サカナはなんのメリットも考慮していないと言っていた。もしこの言葉が真実だとして、それはあくまでサカナ自身にとってのメリットの話だという可能性は……。
「サカナは、このゲームを見世物にしている……?」
僕の呟きに、野崎は再びこちらを振り向く。「よくできました」とでも言わんばかりの勢いで。
「私もそう考えた。もし魚野郎が誰かの使いっ走りみたいなもので、このゲームを面白くしろって命令の元動いていたら……一方的なゲーム展開はものすごく不都合なんじゃない?」
なるほど。
確かにそれなら野崎の掲げる、『二人で全員殺害計画』にも、一応は納得のいく裏付けができた。
「こんなクソゲーやってられっか! そう思わせたら、私たちの完全勝利、そんな気がしない?」
希望に満ちた声でそう言いながら、野崎は自転車を加速させる。スピードがついた自転車のタイヤは、僅かな歩道の窪みでガタガタと揺れる。野崎の背中を中心に風景が線になる。恐怖で顔が引き攣った。
「ちょ、危ないって」
「止められないよ、ウイニングランだもん」
まずいことに野崎は上機嫌だった。しまいには両手を離してみたりするものだから、不可抗力で僕は彼女の背中にしがみついてしまう。
「せめて勝ってからにしてくれ!」
全部、あくまで僕たちの仮定が合っていたらの話で、状況は別に好転していない。
か細い糸、それもどこにも繋がっていないような先行きの見えないものを手繰り寄せるため、僕たちは明日も命の懸かったゲームに臨まなくてはならない。
どこまでも絶望に近いシチュエーションなのに、野崎の高笑いは止まらなかった。世界は自分のものとでも錯覚してるんじゃないか、そんなふうに思う自分と、なんだか少し、ほんの少しだけ、楽しいと感じている自分がいて、心の置き場所がわからない。
「よっしゃあ! 全員殺すぞ!」
野崎、
「待たれても、『オー!』とはならないよ」
君のせいで、僕は知らない自分と出会うはめになってしまった。
こんなことで笑うのはらしくない。僕らしくなんか、ちっともないのに、野崎につられて笑うのは変な居心地よさがあった。
内心、わかっていた。
大抵の場合、人間はらしくないことをするとろくでもない結末になる、と。