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第十話 私は死んでも得がしたい


 サカナの力の影響は、もちろん僕や野崎の家族にも及んでいた。

 僕と野崎の家は思っていたよりも近所で、同じ住宅街の端と端辺りに位置していた。住宅街を通り抜けるように僕と野崎はお互いの家に家族の存在がないのを確認し合ってから、明日以降のことを話すため、ひとまず野崎の家に上がる運びとなった。


「緊張しないでいいからね」

「不思議と全然してないな」


 僕も野崎も、言葉にはしなかったけれどこの状況にどこか気分が浮ついていたんだと思う。少なくとも僕は家族と確執のある境遇にはないけれど、言い換えるなら、いきなり檻の鍵を開け放された兎のような気分だった。外に出る、一人で生きる、そういう選択肢が自分の人生にも実はあったんだと耳打ちされた感じがした。

 野崎は、どうなんだろう。失礼な想像だけれど、なんとなく、例えば彼女が家族とリビングで団欒していたり、そういう光景はあまり浮かんでこない。

 僕の想像する野崎の部屋は、多分、


「ここが私の部屋」

「うん、なんか安心する」


 こんなふうに、必要以上のものが置かれていない、シンプルで殺風景なものだ。


「どういう意味?」

「そのまんまだよ。意外なところがなくて、落ち着く」


 白いシーツが敷かれたベッドと中身の埋まっていない本棚、窓際に置かれた机の上にはシャーペンとボールペンが一本ずつ並んだペン立てがあって、モデルルームでももう少し雑音があるだろうってくらいに削ぎ落とされた六畳間。

 野崎から感じるイメージそのままだった。余計なことはしないしいらない、実存するものに大した価値はない、みたいなポリシーを具現化したような空間だった。


「たまに求はわかんないこと言うよね。まあいいや、そこ座って」


 ベッドを指差しながら野崎は言う。少し遠慮しながらも、僕はそれに従った。


「まずは私たちの戦力を把握するところから始めよう。疑うべきは味方からってやつだね」


 野崎は机の引き出しから新品のノートを一冊取り出し、シャーペンを横向きに口に咥えながらベッドの上に飛び乗った。家猫みたいな動きだな、と僕は思う。

 そして彼女はベッドの上でノートを開くと、『私』、三行ほど空けて『求』と書いた。


「改めてか細い戦力だ」

「大事なのは頭数じゃないよ。むしろ二人だからこそ、持ってる武器を最大限、余すことなく使い切れる」


 顎に手をやり戦略家面をつくった野崎は、『私』の隣に『杭……超便利』と書いた。いや事実かもしれないけど、多分、本物の戦略家は『超』とか使わない。


「私のウロコはもう説明しなくてもいいよね?」


 そう流そうとする野崎に、僕は口を挟む。


「そういえばひとつ気になってることがあるんだけど、野崎ってワープとかしないよね?」

「……何言ってんの?」


 飛んだことを言った自覚はあるけれど、そんなに怪訝な顔をされるとは思っていなかった。


「いや、ごめん。たださ、あのとき、確かに野崎がハンマーに叩き潰されたように見えて。少し距離はあったけど、避けられるようなタイミングはどこにもなかった気がする」


 僕はあの瞬間、野崎の死を確信していた。本気で動揺していたし、ある意味、そのおかげでなんとか、自分のウロコが出せたような気がする。

 ハンマーの威力は確かなものだった。まともに食らえば人間の体なんて簡単に平たい肉塊になるだろう。


「でも、野崎は無傷だった。杭の力だけで、あんな真似ができるとは思えない」

「ああ、あれね。……ちょっと待って、わかりやすく絵にしてあげる」


 野崎はやっと僕の発言の意図を理解したらしく、ノートの空いたスペースに簡単なイラストを描き始める。

 この眼鏡をかけた棒人形は、きっとあの男子生徒なのだろう。うん、なんかすごく大きなハンマーも持ってるし。それで、きっとこのトゲトゲまみれの棒人形が野崎だ。


「最後の攻撃の前、私、無駄に杭を飛ばしまくってたでしょ?」

「ああ、うん」


 あれは僕の目にも、体力が尽きた野崎の、苦し紛れの抵抗にしか見えなかった。


「あれで意識を散らしているうちに、足元の床を杭でボロボロにしてたの。ほら、こんな感じで」


 言いながら、野崎はトゲトゲの棒人形の足元をシャーペンでカッカッとつつく。


「それで、こう!」


 野崎は意気揚々とした口ぶりで、棒人形の足元から下方向に勢いのある矢印を描いた。


「あ、えっと」


 言いづらい。

 この説明、逆に頭がこんがらがる。


「……要は、野崎はずっと最後の攻撃を想定してて、ハンマーが自分に当たる前に、くり抜いた床下の空間に落ちてたってこと?」

「そういうこと。そのとき、床下からも杭を伸ばしてハンマーにぶつけてたから、あの眼鏡の人もちゃんと何かを叩き潰したって手応えはあったはずだよ」


 呆れた。

 説明を受ければ一応理解はできたけれど、思いついたってそんなアイデア、あの土壇場で実行する勇気は普通ない。


「ぶっつけ本番だったからそれなりにハラハラしたけどさ、結果的に求のウロコもちゃんと見れたし、やってよかった」

「……確かにすごいけど、危険すぎる」

「なんで?」

「なんでって」

「まあ殺されるのはムカつくけどさ、最悪、死んでも生き返るじゃん、このゲーム。死ぬこと怖がってなんにも得られないより、私は死んでも得をしたい」


 合理的というかなんというか、僕からしてみれば、それは人間離れした価値観だった。


「まとめると、このゲームで大事なのは、どんなウロコを持ってるか、より、どうやってウロコを使うのか、だよ。魚野郎が求に言いたかったのも、わかんないけどそういうことなんじゃないかな」


 野崎の言葉はおそらく核心をついていた。明日からは既にウロコを知ったスケールメイトとも交戦することになるだろう。情報の優位性はどんどん失われていく。


「じゃあ、考えなきゃいけないのは僕の方だ。僕のウロコ……きっと、持ち物を爆弾にするって武器なんだけど、威力が一定なのかどうか、持ち物って解釈にどれだけの幅があるのか……まだ全然掴めてない」

「それなんだけど」


 僕が弱音を吐いていると、野崎が身を乗り出し、ずいっと僕の目の前に顔を近づける。


「私、わかっちゃったかもしれない。求のウロコの正体ってやつ」


 そんなに近くで喋らないでくれ、と言いたかったけれど、それよりも野崎の言葉の内訳の方が気になった。


「……根拠は」

「勘」

「だよね」

「でも、多分当たってるよ」


 意地の悪い笑みを浮かべてそう言うと、野崎はベッドから勢いよく飛び降りた。のわりに、着地はしゅたっと静かに決めてみせる。

 そして野崎は、何か妙案でも思いついたような顔をして、


「――ねえ求、ちょっと今から出かけない?」


 と言った。

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