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第十三話 彼は奇術師の顔をして

 またか。

 そんなふうに目の前の光景を処理しようとしているこの感覚がそもそも変だと、僕はしばらく気づけなかった。


「求、固まってる場合じゃないでしょ」

「……ごめん、大丈夫だ」


 大丈夫なのは、本当に大丈夫か?

 大きな血溜まり、その中心に横たわるのはクラスメイトの胴体、添えられるように落ちている、ボーリングの玉くらいの大きさの頭部。

 そんな惨劇を前に、それとは違う、もっと底冷えする恐怖を自分自身に対して覚える。

 もしかすると僕は、目の前で人が死ぬことに慣れてきているんじゃないだろうか。


「あんなことができるウロコはまだ見たことない」


 野崎の言葉に僕は同意した。

 佐野の死に様を見る限り、何か刃物のようなもので首を切断したと考えるのが妥当だろう。でも、そんなものが飛来したような音も、気配も、全くなかった。


「どのみち、ここに隠れていたら出てくるはずだ。姿だけでも見ておいた方がいい気がする」

「……いや、それはなし」

「なんで」

「俺がもうすぐそこまで来てるからね」


 そう言いながら、僕たちの隠れている路地の更に奥から、一人の男子生徒が姿を現す。彼は長い黒髪を後ろで留めた、一見女生徒と見間違えそうなほど整った顔をしていた。背丈は体格も相まってすらっと細長く、百八十センチあるかないか、というくらいの長身だった。


「求、あれの準備」


 野崎は俊敏な動きで杭を構え、戦闘態勢に入る。僕がポケットから『あれ』を出そうとすると、男子生徒は両手を上げ、「ちょっと待って! 特に野崎ちゃん!」と言った。


「……どういうつもり?」


 戦闘態勢を保ったまま、野崎が訊く。

 僕も同じ心境だった。


「こんな数的不利丸出しで戦いに来るわけないじゃん。俺は降参しに来たの」


 降参? 僕の困惑はいっそう増す。

 きっとそれは野崎も同じはずだったけれど、僕の知っている彼女は、そんなことに悩む暇があったらこの男子生徒を排除することを選ぶだろう。


「あっそう、じゃあ死んで」


 ほら。


「マジでせっかちすぎるって、野崎ちゃん。このゲームが始まるまで、全然そんな感じじゃなかったじゃん。どっちかっていうと大人しくて無害って感じの、ザ・クールビューティーって印象のさ……」

「もう喋らなくていいよ、戸塚くん」


 野崎は言いながら杭を振りかぶったが、僕は彼女の肩を叩いてそれを止めた。


「……また中途半端なおせっかい?」

「違うよ。ただ、話くらい聞いた方がいいと思って。もしかすると、僕たちに得のある話かもしれない」


 半分は本心で、もう半分は嘘だった。

 僕は二人のやり取りに、何か引っかかりを感じていた。その答え合わせをしたかったという気持ちが、隠しているもう半分の内訳だった。


「三分だけ好きにしていいよ。意味ないって思ったらすぐ殺す」

「わかった」

「あれ? 俺の命、なんかすっごく軽く扱われてない?」


 その軽い調子の話し方が野崎の神経を逆撫でするんだよ。言ってやりたかったけど、それこそただのおせっかいだろう。


「戸塚……って、君の名前?」

「そうそう、俺が戸塚。戸塚巴が俺の名前ね、転校生の、なんだっけか」

「掛田求」


 なぜか僕じゃなく野崎がそう言った。


「ああそう、掛田くんね。昨日の中間発表のとき、生き残ってたよね君も。ポイントも取ってたし。パッと見、このゲーム向いてない感じなのになんでだろって朝の集まりのときから思ってたんだけど。……なるほどね、野崎ちゃんのおかげか」


 なんだか一言多いというか、余計な言葉が多い人だな。あといちいち所作が大袈裟だ。

 でも、おかげで僕が感じた引っかかりの正体がわかった。


「君もだよね。昨日も一人、殺してた」


 昨日も、と付けたのは、さっきの佐野の件も、ほぼ間違いなく彼の仕業だと決めつけた上でのカマかけだった。


「そうだよ」


 僕のカマかけなんて気にも留めていないっていうふうに、戸塚はあっさりと認めた。


「でも誤解しないでほしいんだけど、昨日も今日も正当防衛の結果なんだ。俺、別に『生きる理由』なんか興味ないしさ、ただ、殺されるのは嫌なだけ。平和主義者ってやつ、わかる?」

「平和主義者に用なんかないんだけど」

「……でも、野崎は戸塚くんの名前覚えてたよね? それも、少し驚いた。二人って、このゲーム以前に関わりかあったりしたの?」


 なんでこんなこと訊く必要があるんだ。それは僕が一番よくわかっていた。


「何? 妬いてんの掛田くん。大丈夫だよ、孤高の一匹狼、野崎ちゃんに気安く話しかけられる男子なんかいないって、それは俺も例外なくね。俺が話しかけるのは、なんとなく俺のこと好意的に見てるなって女子だけだから。多分、一年のときも同じクラスで、一回だけ同じクラス委員になったことあったから、俺の名前がわかるのもその名残だよね?」


 野崎は不服そうに戸塚の言葉に頷く。確かにこの雰囲気は、友人なんて体温の感じられるものじゃ到底なかった。


「ほらほら、掛田くんが心配するような仲じゃないよ俺たち」


 そう言いながら軽薄な笑みを浮かべる戸塚はどこかこなれた様子で、日頃からこういう異性に関する誤解を解く機会が多いのだろうと推察できた。

 そもそも誤解を招くような自体を招かなければいい、なんていうのは僕のような人間関係に消極的な人間の発想で、きっと彼にとってはそれすら対人関係で生じるイベントごとのひとつにしかすぎないのだろう。

 なるほど確かに、相入れる気はしない。


「あのさ、戸塚くん。そろそろ要件だけ言えない? 私たち、ここで時間無駄にしてる場合じゃないの」


 僕はスマホの画面をちらと見る。ジャスト三分。野崎のストレスメーターはタイマーの代わりになるかもしれない、なんて場違いなことを思ってしまった。


「おっけい、じゃあマジで要件だけ」


 言うと、戸塚の体は何かに引っ張られるみたいに宙へ舞い、軽い身のこなしで彼は後ろ宙返りを披露する。ただの身体能力とは何かが違う、浮遊感のある動きで。

 まるでアクション映画のスタント映像だ、と僕は思う。

 そして彼は着地する。いや、厳密に言うと、着『地』はしていなかった。

 彼が立っていたのは、薄暗い路地裏の、空中。

 戸塚の体は、僕と野崎の目線の高さくらいの虚空に浮かんでいた。

 彼は奇術師のような底の見えない笑顔で、崩れてしまった後ろ髪を結び直しながら、自信たっぷりの声で言った。


「俺のこと、二人の仲間に入れてよ」

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