神殿にはキミヤーもいるので、不安はない。
そもそも、彼女はずっと神殿で暮らしてきたのだ。
幼い頃はアレイヴァの神殿で育ち、十四のときに王都の神殿に移った。
神殿は、ザーミーンにとっては生活の全てであった。
「安心なさい。あなたの弟は生きているわ、ザーミーン。ファリド様は、以前アレイヴァの神殿長をなさってた。いまは娘のシャフラー様にお譲りになったけれど、いまだお元気よ」
「そ、そうですか! ファリドはまだ生きているんですね」
キミヤーに、自分の部屋をまで案内される。
その途上、ザーミーンは自分の家族の情報を教えられた。
フィルーズも知っていたであろうが、少女の情緒を鑑みて同性のキミヤーに任せたのだろう。
「元気も元気。とても百十二歳とは思えないわ。いまだに外見は三十代で通じるもの。さすがは
古代種は、アレイヴァより東方の森に住む太古の種族だ。
人より長命で、個々の能力は優れている。
だが、繁殖力が弱く、個体数が少なかった。
東方の森で、
人と交わることは少ないが、アレイヴァの民とだけは交流があった。
だから、エスファンディアルが古代種の妻を迎えたのは極めて異例ではあっても、可能性はあったと言える。
「あのう、それで、母は……」
ザーミーンがずっと気になっていたのは、母の安否であった。
少女と一緒に王都に出てきた母は、王と一緒に戦ったはずである。
王都が陥落した以上、生存は絶望的かもしれない。
だが、古代種である母がそう簡単に死ぬとは思えない。
しかも、母は
その力は、古代種の中でも最も強いはずだ。
「──イラ様の生死はわからないわ。
「──ハダスが来ていたじゃっど! ナマク湖ではラエドとマージドしか見かけなかったけん……」
一人相手にするだけでも苦戦が必至の相手である。
あの父ですら、ラエドの前に敗れ去った。
それを二人も相手にしては、いくら母とはいえ立ち向かえるとは思えない。
ザーミーンは、心臓がぎゅっと摑まれたような感覚に陥った。
「預言者に不意を突かれて、イラ様は囚われてしまった。どうなったかは、伝わっていないのよ」
「捕まった……死んだわけでは、ないんですね?」
あるいは、死よりも苦しい運命かもしれない。
だが、死亡が確認されていないことに、ザーミーンは一縷の望みを持った。
イラは古代種である。
人よりも、神に近い存在なのだ。
そう簡単に死ぬことはない。
「あくまで伝聞だからわからないけれど、そう伝わっているわね」
「──おかん、生きとるけえ!」
助け出さなくちゃ。
ザーミーンの瞳に、火が灯る。
今までどこか流されている雰囲気だった少女の全身から、燃え上がるような熱気が生じる。
キミヤーは、僅かに危惧を覚えた。
ザーミーンの決意は尊重したいが、暴走する危険性もある。
「そう、いずれね。砦を攻略していけば、王都の様子も探れるわ。そのためにも、まずは足下をしっかりと固めないと。物事には、段取りが必要なのよ。料理も戦いも同じよ」
厳しい言葉とは裏腹に、キミヤーの眼差しには優しさがこもっていた。
ザーミーンにも、それは感じ取れる。
父を失い、目指していた目標を喪失してしまった。
だが、こうして導いてくれる人はまだいるのだ。
ザーミーンが案内された部屋は、それほど広くない下級神官の部屋であった。
奥には布が立てかけてあり、中は入り口からは見えない。
中央の卓には書物が置かれており、一人の少女が真剣に読み漁っていた。
「ボルール、入るわよ」
キミヤーが声を掛けると、少女は飛び上がって返事をした。
「は、はい! キミヤー様、お帰りだったんですか!」
「よく勉強しているようね、ボルール」
並べられた書物は、聖句や儀式のやり方など神官としての基本知識のようであった。
自分も幼い頃学ばされたな、とザーミーンの目が遠くなる。
「こちらはザーミーン。アレイヴァの神殿長の親戚の子よ。今日から、この神殿で生活するわ。ザーミーン、彼女はボルール。シャーヒーン卿の妹よ」
「へえ、東部から来たんですね。あたしはボルール。キミヤー様付きなのよ」
ボルールは、ザーミーンより一、二歳若そうだ。
だが、小さな胸を張り、キミヤー付きを自慢しているように思える。
鼻っ柱は強そうだが、ザーミーンは可愛らしいと思った。
「うちはザーミーンです。よろしくね、ボルール」
「ボルール、ザーミーンは
後で呼びに来るわと言い残し、キミヤーは自分の部屋に戻っていく。
ザーミーンは、おずおずと部屋の中に入った。
ボルールは、無遠慮に新しい住人を観察している。
「東部の田舎者のくせに、その年で聖印を持っているって? いいわね、シャフラー様の親戚は。東部では血縁を大事にするそうだものね」
聖印は、上級神官の証である。
ボルールが身につけているのは聖符であり、それは下級神官に与えられるものであった。
「西部では実力がすべてよ。見てなさい、あたしだってすぐに中級神官に上がってやるんだから」
兄より負けず嫌いで好戦的な感じはするが、それでもどこか同じ血が流れているのを感じる。
やっぱり、シャーヒーンの妹だけのことはあるわ、とザーミーンは思った。
「ほら、ぼけっと突っ立ってないで、座りなさいよ。紅茶の
ボルールは忙しなく喋る。
ザーミーンが上級神官でも、関係ないようだ。
同室にしたということは、同格として接しろということだろう。
これはキミヤーの配慮なのだ。
それを、ボルールは聡く感じ取っていた。
「ど、どうも」
狭い部屋で、ザーミーンはボルールの対面に座るしかない。
陶器の碗が差し出される。
ポットから紅茶を注ぐと、香気と湯気が立ち上った。
温かい。
一口飲んで、そう思う。
砂漠の夜は、冷たく寒い。
その夜を、一人で長く歩いていた気がする。
気を失ってからたいして日は経っていないが、なんとなくそう思ってしまうのだ。
「それで、どうしてキミヤー様と一緒に来たのよ。あの方は、
矢継ぎ早に喋るボルールに、ザーミーンは苦笑した。
王都の神殿でも、こういうお喋りの子はいたものだ。
紅茶をもう一口すすりながら、ザーミーンはキミヤーが自分を一人にしないためにわざわざボルールを同室にしたのだと気づいた。
その心遣いが、いまのザーミーンには嬉しかった。