扉は、開け放たれていた。
砦の中には、下へ降る階段が続いている。
すでに、突入部隊は中に入っていったようだ。
弓で援護していたフォルーハルの姿もない。
恐らく、一緒に行ったのであろう。
階段は、二人並ぶのがやっとくらいの幅である。
だが、二人並んでは剣を振ることができない。
ティグヘフを先頭に、ザーミーン、ボルール、キミヤーの順番で降りていく。
壁は、溶岩が冷えて固まったかのような黒っぽい岩である。
岩には赤い筋のようなものが走っており、それが不気味な脈動とともに光源にもなっていた。
下手に触ると、そこから
「だ、大丈夫よ、ザーミーン。あんたの後ろには、あたしがいるから。目を光らせているからね」
周囲を見回すザーミーンに、ボルールが声をかける。
下級神官であるボルールは、まだ自分の身体の内部でしか魔力を扱えないはずだ。
身体能力は並の兵よりあるから、膂力が強い
それでも、ボルールの声には震えがある。
彼女の強がりは、自分の不安を隠すためのものだろう。
階段を降りると、大部屋のような空間があった。
破壊された家具と、蟲人の死骸が散乱している。
ここにいた小隊を制圧し、さらに奥へと行ったのであろう。
「キミヤー様」
下級神官が一人、部屋に残っていた。
彼はキミヤーを見かけると、小走りに駆け寄ってくる。
「道が三方向に分かれています。フォルーハル殿が左に、バーバク殿が正面に、副神殿長とべバール殿が右に行かれました」
「なんだ、オミード。分散したのか。いい考えとは言えねえな」
「仕方ないだろ、ティグヘフ。どのみち地下じゃ大集団じゃ身動きできない。調べてない道から挟撃を食らうよりいいだろう」
ティグヘフは、下級神官の若者とも親しいようだ。
年齢も同じくらいである。
友人なのかもしれない。
もっとも、ティグヘフは誰とでもいつも親しげではあるのだが。
「右に行くわよ」
それぞれの構成員を考えると、右に行くのが正しい。
もともとザーミーンはマージアールとともに行動する予定だったし、べバールもいる。
だが、なんとなく正面に向かうべきではないか、という予感もある。
嫌な気配が一番強いのが、正面であった。
「キミヤー様、正面に行きましょう」
それぞれの道を調べていたティグヘフが、キミヤーの方針に異を唱えた。
「左右は蟲人の足跡しかありませんが、正面には
ティグヘフの進言に、キミヤーの顔に迷いが生まれた。
それは、いつも果断な彼女には珍しい表情であった。
なるほど、確かにティグヘフの情報は正しいかもしれない。
だが、ここで傷を負ったザーミーンを連れて行くのが正しいのか。
彼女は、そう考えているように見える。
「中央を行きましょう。嫌な予感がします」
ティグヘフの意見に賛同する。
それを聞き、キミヤーの目から迷いが消える。
眼差しに、決意が宿った。
「副神殿長か、フォルーハルが戻ってからでもいいのよ?」
「いえ、それだと間に合わないかもしれません」
それでも、キミヤーは最終確認をしてきた。
べバールがいないいま、ザーミーンの命の責任は自分にある。
そう考えているのだろう。
「行きましょう」
ザーミーンが、言葉を重ねる。
キミヤーが頷いた。
「わかったわ。ティグヘフ」
「了解ですぜ。真ん中と」
ティグヘフを先頭に、中央の道を選ぶ。
下級神官のオミードも、一緒に来るようだ。
マージアールから、キミヤーと一緒に行動するように言われているらしい。
足を引っ張るなよ、とティグヘフがからかっている。
オミードはボルールを見た後、胸を張った。
「少なくても、おれはここ最近の模擬戦でボルールに負けたことはないぞ」
「女の子相手に威張るな。それに、おまえ試験の成績は負けてるじゃないか。知っているんだぜ」
軽口を叩くティグヘフとオミードを前にして一行は進む。
不真面目に見えつつ、二人はてきぱきと自分の仕事をこなす。
ティグヘフは、前方の警戒。
その後ろで支援するオミード。
二人で活動した経験がありそうな連携である。
目で会話しつつ前進する二人に、ザーミーンは舌を巻いた。
「オミードさんは本当に下級神官なの?」
思わず、ボルールに尋ねる。
ボルールは、ちょっと嫌そうな表情を作った。
「あいつ、魔術を使わない近接戦闘なら一番強いのよ。座学の成績が悪いから、魔力を外に出せないんだけれど」
なるほど、かなり偏った技術の持ち主のようだ。
下級神官は、自らの体内でしか魔力を操れない。
魔力を身体の外に発することができるようになると中級と認められる。
膨大な魔力を持ち、広範囲に魔力を展開できるようになって初めて上級神官になれるのだ。
そのためには、知識を積み重ねて試験に合格し、神の秘蹟を受けなければならない。
オミードは、身体を動かすことに特化した才能を持っているのだろう。
中央の通路には自然の勾配があり、下に降りていっているようだ。
暫く行くと左右に分岐があり、ティグヘフが立ち止まって調べる。
バーバクは、ここで部隊を半分に分けていた。
胸騒ぎが、さらに強くなる。
「
「──急ぐわ」
後続を待つ手もある。
だが、部隊を分けたバーバクの身も心配であった。
少数になったところで敵の主力とぶつかったら?
蟲人は、決して侮っていい敵ではない。
人間より、身体能力は高いのだ。
左の坂道を降りていく。
本来なら、ザーミーンは力が湧いてくるはずだ。
ここは、神脈が通る地。
上級神官ならば、魔力が活性化して新陳代謝も上がる。
あれくらいの傷ならば、十分程度で傷跡が消えるはずである。
だが、地下からは女神の力を感じない。
感じるのは、もっと禍々しい歪な力だ。
「──剣戟の音だ」
「血の匂いだな」
ティグヘフとオミードが、同時に異変を察知する。
前方で戦いが起きている。
首の後ろの毛が、ちりちりと逆立つ。
いい予感ではない。
「戦闘準備。突入するわ。わたしとボルールが弓で援護。ティグヘフとオミードは前進。ザーミーンは、わたしたちの前衛で待機」
キミヤーの指示が飛ぶ。
素早く二人が駆け出した。
後を追いながら、ちらりとボルールの様子を見る。
短弓を携えながら駆ける少女の目にも、覚悟の光がある。
(キミヤー様の生徒なだけはあるけん)
二年前の自分だったらどうだったか。
まだ王都に来たばかりの頃。
初陣での失態。
思い出すと恥ずかしくなる過去だが、それに比べればボルールは立派なものだ。
(うちが守らないと)
偉大な両親がいてそう呼ばれているだけだ。
だが、そう呼ばれている以上、恥ずかしい行動はできない。
自分にできることを。
精一杯を、やるだけだ。