目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十七話 危機

 次第に、喚声が大きくなってくる。


 悲鳴と怒号が交錯し、かなりの激戦となっているのは間違いない。

 だが、視界が開けたとき。

 そこに広がった光景は、予想を上回っていた。


「罠じゃったけん……」


 地下とは思えぬ広大な空間。

 そこには、百を超える蟲人が陣を敷いていた。

 十余人の味方は劣勢で、完全に押されている。


 蟲人は半包囲の輪を徐々に縮めており、バーバク隊の陣形は崩れつつあった。


 弾丸のごとく、二人が駆け出した。

 ティグヘフが右、オミードが左である。

 陣形の端は複数人を相手にし、最も負担が大きい。

 崩壊しかかっているのも、両端である。


 薄暗い空間を切り裂き、キミヤーの矢が飛ぶ。

 通常の矢ではない。

 鳴くようなかん高い音を立て、上空を飛び去る。

 倒すための矢ではない。

 増援を知らせるための合図である。


「てめえら!」


 戦場に、雷声が響き渡る。


「援軍だ! ティラーズで二番目の美女が駆けつけたぜ! ちったあカッコいいとこ見せやがれ!」


 バーバクは健在だ。

 中央の先頭で、大刀を振り回して暴れている。

 キミヤーを二番目と言うとか、愛妻家のバーバクらしい科白であった。


 だが、その声に応える声は、弱々しかった。

 押し込まれて疲労がたまり、すでに傭兵たちは限界が近い。

 戦いの歌は先ほどの戦闘で中断され、すぐには使えない。

 まずは、この包囲されそうな状況、そして疲労による身体能力の低下を何とかしなければならない。


大地よ護れザーミーン・ロエディバール!」


 両手を大地に突き、一気に魔力を流す。

 広範囲に展開された魔力が、岩を隆起。

 音を立てて盛り上がった地面が、広がっていた蟲人たちの前に立ち塞がる。


「こいつは女神のご加護ってやつじゃないか! 神殿のお嬢ちゃんたちの前で、もう踏ん張れねえなんてやわなこと言う野郎はいやしないよね!」


 アーシエフの声が、だいぶ潰れている。

 必死に叱咤をかけていたのだろう。

 右の翼端を支えているのが、アーシエフのようだ。

 隆起した壁を利用しつつ、到着したティグヘフと協力して眼前の蟲人を斬り伏せる。


 一方、オミードも左の翼端に到着。

 すれ違いざまの一閃で二人の蟲人の首を飛ばし、その死骸を敵陣に蹴り込む。

 そのまま回転するように剣を振るい、一時的に敵の攻勢を押し戻した。


「あいつの強さはでたらめなのよ……」


 援護の矢を射ながら、ボルールがこぼす。

 日頃競い合っている仲だけに、オミードの力が骨身に染みているのだろう。

 微笑ましいが、そんなことを考えている場合ではない。

 ザーミーンは、次に両手を空に向けて広げた。


光よ降り注げベザール・ノール・バフホード!」


 大量の魔力が、上空に吸い上げられる。

 正直、この魔術はまだ完璧には扱えない。

 光の魔術は、母であるイラの得意な術である。

 女神の神官は、基本水と大地の魔術しか扱えないものだ。

 ザーミーンに流れる古代種プラチャティの血が、この術の行使を可能とさせる。


 上昇したザーミーンの魔力が、天井付近で炸裂する。

 上方から、散開する驟雨しゅううのように光が降り注ぐ。

 薄暗い地下の空間が、明るい光に満たされた。


「キャキャッ!」

「グギャ」


 光が傭兵と蟲人たちに向かって飛び、吸い込まれていく。

 蟲人は手を止め、眩しそうに顔をそむけた。

 勢いが、明らかに鈍っている。

 一方、傭兵たちの攻撃には、力強さが戻ってきている。

 この光は、敵には弱体化を、味方には強化を施す強力な術だ。

 ザーミーンの力量が足りないためそこまで上下の幅はないが、イラの術ならばそれだけで逆転していたかもしれない。


 押される一方だった傭兵たちも、ようやく反撃に出始めていた。

 だが、押し返すほどの状況にはなっていないようだ。

 少しずつ蟲人は討ち取っているが、如何せん数が多い。

 戦列の空いた穴は、すぐに後続が埋めてしまう。

 膠着となり、揉み合っている形となった。


「何やってんだ、虫けらども! ちんたらしてるやつは、頭を叩き割るぞ」


 戦場全体に、怒声が響き渡る。

 戦列の後方に、人より頭一つ分以上大きな男が現れる。

 両手に巨大な戦斧を一本ずつ持ったその男は、額に大きな角を持っていた。


 独角族ワヒドルクン

 額の一本の角からは、黒い魔力が溢れ出している。

 はち切れんばかりに鍛え上げられた筋肉は、素手で人間を引き裂ける力を持つ。

 皇帝ラエドに率いられた独角族の魔鎧騎兵ファリシャイターンは精強無比。

 ザーミーンは直接見ていないが、父のエスファンディアルも一敗地に塗れた相手である。

 とはいえ、この砦の守将は、マージドの部下。

 ラエドの精鋭より強くなければいいのだが。


 咆哮が、大気を震わせる。

 この声には、魔力が乗っている。

 ザーミーンの術と同系統のものだ。

 傭兵たちの動きが止まり、反撃の勢いが鈍る。

 そこに、地響きを立てながら独角族ニザールが突進する。


「ひゃはははははは!」


 跳躍。

 そして、振り下ろされる二丁の重撃。

 前線にいた二人の傭兵が、頭蓋から両断される。

 噴き出す鮮血を浴びながら、ニザールは歪んだ笑みを浮かべた。


「ひゃーははは! この程度か人間ども! このニザールの砦に踏み込んで、無事に帰れるとは思ってねえよなあ」


 赤黒い血を浴びながら笑う凶相。

 バーバクの部下たちは気勢を削がれ、我知らず一歩下がった。


「下がるんじゃねえ! こいつはおれが倒す!」


 大刀を引っさげ、バーバクが前進する。

 彼の意志は、まだ萎えていない。


「やっとお出ましかよ、一本角タクシャフがよお。てめえをやれば戦いは勝ちだ。そっちから来てくれるとはありがたいぜ!」

「はっ、人間にしては威勢がいいな。もしや、サドゥシュトゥン砦のタイシルを倒したべバールってのは、てめえか?」

「うるせえ、おれはべバールじゃねえ。おれさまの名は、バーバクだ!」


 バーバクの大刀が唸りを上げる。

 激しい火花。

 だが、重い斬撃を、ニザールは二丁の斧でしっかりと受け止める。

 したたる血を舐めると、独角族の戦士はにやりと笑った。


「軽いな、バー……何とかって言ったか。そういや、べバールってのは、隻眼って言うじゃねえか。てめえも片目潰せば、ちったあ強くなるのか?」

「ほざけ! おれは、べバールには負けてねえ!」


 続けざまに二撃、三撃と連打を繰り出す。

 ニザールはそれを確実に斧で受け止めると、挑発を繰り返す。


「どうした傭兵。息が上がってねえか? そんなんでこのニザールを殺すつもりか? タイシルを殺した男はどうした? 助けてもらった方がいいんじゃねえか?」

「減らず口を!」


 上方からの振り下ろし。

 それを、ニザールは受け止めず、身を捻ってかわす。

 空いたバーバクの頭蓋に振り下ろそうと、斧を振り上げる。

 だが、重量のある大刀を、バーバクはそのまま弧を描いて振り上げた。


 甲冑が砕け、ニザールがたたらを踏んだ。

 血が噴き出し、凶相がさらに歪む。


「てめえ……面白い技を使うじゃねえか」

「おれの名はバーバク、貴様を殺す男だ!」


 さらに、一歩踏み出す。

 追撃の一撃を、ニザールの頭上に振り下ろした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?