次第に、喚声が大きくなってくる。
悲鳴と怒号が交錯し、かなりの激戦となっているのは間違いない。
だが、視界が開けたとき。
そこに広がった光景は、予想を上回っていた。
「罠じゃったけん……」
地下とは思えぬ広大な空間。
そこには、百を超える蟲人が陣を敷いていた。
十余人の味方は劣勢で、完全に押されている。
蟲人は半包囲の輪を徐々に縮めており、バーバク隊の陣形は崩れつつあった。
弾丸のごとく、二人が駆け出した。
ティグヘフが右、オミードが左である。
陣形の端は複数人を相手にし、最も負担が大きい。
崩壊しかかっているのも、両端である。
薄暗い空間を切り裂き、キミヤーの矢が飛ぶ。
通常の矢ではない。
鳴くようなかん高い音を立て、上空を飛び去る。
倒すための矢ではない。
増援を知らせるための合図である。
「てめえら!」
戦場に、雷声が響き渡る。
「援軍だ! ティラーズで二番目の美女が駆けつけたぜ! ちったあカッコいいとこ見せやがれ!」
バーバクは健在だ。
中央の先頭で、大刀を振り回して暴れている。
キミヤーを二番目と言うとか、愛妻家のバーバクらしい科白であった。
だが、その声に応える声は、弱々しかった。
押し込まれて疲労がたまり、すでに傭兵たちは限界が近い。
戦いの歌は先ほどの戦闘で中断され、すぐには使えない。
まずは、この包囲されそうな状況、そして疲労による身体能力の低下を何とかしなければならない。
「
両手を大地に突き、一気に魔力を流す。
広範囲に展開された魔力が、岩を隆起。
音を立てて盛り上がった地面が、広がっていた蟲人たちの前に立ち塞がる。
「こいつは女神のご加護ってやつじゃないか! 神殿のお嬢ちゃんたちの前で、もう踏ん張れねえなんてやわなこと言う野郎はいやしないよね!」
アーシエフの声が、だいぶ潰れている。
必死に叱咤をかけていたのだろう。
右の翼端を支えているのが、アーシエフのようだ。
隆起した壁を利用しつつ、到着したティグヘフと協力して眼前の蟲人を斬り伏せる。
一方、オミードも左の翼端に到着。
すれ違いざまの一閃で二人の蟲人の首を飛ばし、その死骸を敵陣に蹴り込む。
そのまま回転するように剣を振るい、一時的に敵の攻勢を押し戻した。
「あいつの強さはでたらめなのよ……」
援護の矢を射ながら、ボルールがこぼす。
日頃競い合っている仲だけに、オミードの力が骨身に染みているのだろう。
微笑ましいが、そんなことを考えている場合ではない。
ザーミーンは、次に両手を空に向けて広げた。
「
大量の魔力が、上空に吸い上げられる。
正直、この魔術はまだ完璧には扱えない。
光の魔術は、母であるイラの得意な術である。
女神の神官は、基本水と大地の魔術しか扱えないものだ。
ザーミーンに流れる
上昇したザーミーンの魔力が、天井付近で炸裂する。
上方から、散開する
薄暗い地下の空間が、明るい光に満たされた。
「キャキャッ!」
「グギャ」
光が傭兵と蟲人たちに向かって飛び、吸い込まれていく。
蟲人は手を止め、眩しそうに顔をそむけた。
勢いが、明らかに鈍っている。
一方、傭兵たちの攻撃には、力強さが戻ってきている。
この光は、敵には弱体化を、味方には強化を施す強力な術だ。
ザーミーンの力量が足りないためそこまで上下の幅はないが、イラの術ならばそれだけで逆転していたかもしれない。
押される一方だった傭兵たちも、ようやく反撃に出始めていた。
だが、押し返すほどの状況にはなっていないようだ。
少しずつ蟲人は討ち取っているが、如何せん数が多い。
戦列の空いた穴は、すぐに後続が埋めてしまう。
膠着となり、揉み合っている形となった。
「何やってんだ、虫けらども! ちんたらしてるやつは、頭を叩き割るぞ」
戦場全体に、怒声が響き渡る。
戦列の後方に、人より頭一つ分以上大きな男が現れる。
両手に巨大な戦斧を一本ずつ持ったその男は、額に大きな角を持っていた。
額の一本の角からは、黒い魔力が溢れ出している。
はち切れんばかりに鍛え上げられた筋肉は、素手で人間を引き裂ける力を持つ。
皇帝ラエドに率いられた独角族の
ザーミーンは直接見ていないが、父のエスファンディアルも一敗地に塗れた相手である。
とはいえ、この砦の守将は、マージドの部下。
ラエドの精鋭より強くなければいいのだが。
咆哮が、大気を震わせる。
この声には、魔力が乗っている。
ザーミーンの術と同系統のものだ。
傭兵たちの動きが止まり、反撃の勢いが鈍る。
そこに、地響きを立てながら独角族ニザールが突進する。
「ひゃはははははは!」
跳躍。
そして、振り下ろされる二丁の重撃。
前線にいた二人の傭兵が、頭蓋から両断される。
噴き出す鮮血を浴びながら、ニザールは歪んだ笑みを浮かべた。
「ひゃーははは! この程度か人間ども! このニザールの砦に踏み込んで、無事に帰れるとは思ってねえよなあ」
赤黒い血を浴びながら笑う凶相。
バーバクの部下たちは気勢を削がれ、我知らず一歩下がった。
「下がるんじゃねえ! こいつはおれが倒す!」
大刀を引っさげ、バーバクが前進する。
彼の意志は、まだ萎えていない。
「やっとお出ましかよ、
「はっ、人間にしては威勢がいいな。もしや、サドゥシュトゥン砦のタイシルを倒したべバールってのは、てめえか?」
「うるせえ、おれはべバールじゃねえ。おれさまの名は、バーバクだ!」
バーバクの大刀が唸りを上げる。
激しい火花。
だが、重い斬撃を、ニザールは二丁の斧でしっかりと受け止める。
したたる血を舐めると、独角族の戦士はにやりと笑った。
「軽いな、バー……何とかって言ったか。そういや、べバールってのは、隻眼って言うじゃねえか。てめえも片目潰せば、ちったあ強くなるのか?」
「ほざけ! おれは、べバールには負けてねえ!」
続けざまに二撃、三撃と連打を繰り出す。
ニザールはそれを確実に斧で受け止めると、挑発を繰り返す。
「どうした傭兵。息が上がってねえか? そんなんでこのニザールを殺すつもりか? タイシルを殺した男はどうした? 助けてもらった方がいいんじゃねえか?」
「減らず口を!」
上方からの振り下ろし。
それを、ニザールは受け止めず、身を捻ってかわす。
空いたバーバクの頭蓋に振り下ろそうと、斧を振り上げる。
だが、重量のある大刀を、バーバクはそのまま弧を描いて振り上げた。
甲冑が砕け、ニザールがたたらを踏んだ。
血が噴き出し、凶相がさらに歪む。
「てめえ……面白い技を使うじゃねえか」
「おれの名はバーバク、貴様を殺す男だ!」
さらに、一歩踏み出す。
追撃の一撃を、ニザールの頭上に振り下ろした。