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第十八話 崩壊

 必殺。


 バーバクにとっては、会心の一撃であった。

 蟲人ハーシャレフの外骨格ですら容易く両断する大刀の斬撃。

 だが、鈍い音とともに、その撃ち込みが弾かれる。


「ひゃーははははは!」


 ニザールが、甲高い声で嘲笑う。

 ザーミーンには、わかった。

 あれは、斬撃を額ので受け止めたのだと。


「面白え! おれに傷を付けてくれた礼に、本気を見せてやらあ!」


 角が、燃え上がる・・ ・・・・・

 額の角から噴き出した魔力が、ニザールの身体を覆い尽くす。

 体内の魔力で身体能力を上げる程度は下級神官でも行うが、明らかにこれは出力が違った。

 禍々しい魔力が、相対するバーバクを一歩下がらせた。


「ニンゲン……おれの血の代償は、高くつくぜえ!」


 凄絶な笑みとともに、ニザールの姿が消える。

 いや、後ろから見ているザーミーンにはわかった。

 跳躍して、回転。

 その一撃で、バーバクの右手が飛ぶ。


「があっ!」


 大刀が、地に落ちる。

 ついで、斬り飛ばされた腕も落下した。

 噴き上がる血を見ながら、ニザールは残虐にわらう。


「ひゃあは! もろい、もろいなあ、ニンゲン!」


 斧を打ち鳴らしながら、ニザールが嘲った。


「ぐう、なんの、これしき……」


 溢れる血を止めようともせず、バーバクは転がる大刀を左手で拾い上げた。

 その右後方から、悲鳴のような叫びが飛ぶ。


「あんたああ!」


 アーシエフの悲痛な声。

 群がる右翼の敵を蹴散らそうと、必死に剣を振るう。

 だが、敵の陣容は分厚く、空いた穴はすぐに塞がってしまった。


「へっ、心配するんじゃねえぜ……。そこで見てろ。このおれの、カッコいいところをよお」


 轟、と大刀が振られた。

 左手一本でも、バーバクはおのが愛用の武器を操った。

 バーバクは、命を燃やしている。

 ザーミーンには、そう感じられた。

 それならば、せめて。


流血よ止まれホン・ラべス・コン


 ザーミーンの魔力がうねる。

 聖言が唱えられると同時に、バーバクの右肩の傷が青く輝く。

 青いゼリーツェレフのような物質が、血の噴出を止めた。

 右肩を見るバーバク。

 驚きの表情を浮かべる。

 照れくさそうに、ぺっと唾を吐いた。


「へっ、守護者ハーファザート様に借りを作るとは気に入らねえ。だが、ありがとよ! これで、最後の勝負をしてやるぜ!」


 バーバクの左腕が、はち切れんばかりに盛り上がる。

 斜めからの斬撃は、右手があったとき以上の速度で振られた。

 それを、ニザールは両手の斧で受け止める。


 その、瞬間。


 ひょうと放たれたキミヤーの矢が、ニザールの頭を狙う。

 風を切る必殺の飛箭。

 弧を描いて飛んだ矢は、正確にニザールに届いた、が。

 ニザールは、僅かに頭を捻ってその矢を口で受け止めた。

 がぎりと、矢をくわえたまま噛みしめる。

 粉々に砕けた矢がこぼれ落ちると、ニザールは挑発的に嗤った。


「ひゃあはは! いーい攻撃だぜ、ニンゲン! だが、このニザール様をるには、ちいっと甘えんじゃねえかなあ!」


 ぎりっとキミヤーが唇を噛みしめる。

 アーシエフの痛みが、キミヤーにはよくわかっているのだろう。

 珍しく、その瞳には焦慮の色がある。

 必死に剣を振るうアーシエフが、そんなキミヤーに向けてちらりと振り返った。


「キミヤー!」


 アーシエフが、叫ぶ。

 その声に、キミヤーはこくんと頷いた。


「ボルール、アーシエフの前の敵を狙いなさい」


 指示と同時に、閃光のような三連射を放つ。

 矢は、アーシエフの前に立ち塞がる三人の蟲人の頭を、正確に射抜く。

 束の間できた空隙に、強引にアーシエフが割り込んだ。


「邪魔するんじゃないよ!」


 後列の蟲人の首を、同時にふたつ飛ばす。

 修羅のごとく暴れるアーシエフに、蟲人も勢いを削がれた。


 バーバクとニザールは、苛烈な撃ち合いを繰り返していた。

 だが、やはり右手がないので、右側に隙が出やすい。

 いまは、高威力の一撃でニザールに両手を使わせ、死角を狙わせないでいる。

 だが、いつまで保つかはわからない。


(アーシエフさんが右に立てば)


 そうすれば、バーバクの不利な点が消える。

 もう少し。

 キミヤーとボルールが、懸命にアーシエフの道を切り開く。


 そう思ったとき。


 跳躍して後ろ向きに回転したニザールが、バーバクの斬撃を弾いた。

 回転による強烈な打撃に、左手だけのバーバクは持ちこたえられない。

 僅かに態勢を崩し、半歩下がる。


「ニンゲン〜」


 嘲笑いながらニザールが着地。

 その反動で、再び跳び上がる。

 今度は、順回転で二丁の斧を振り下ろした。


 咄嗟に、バーバクは大刀を間に割り込ませる。

 さすがの反応。

 だが、黒い魔力を帯びたニザールの斧は、バーバクの大刀ごとその頭を叩き割った。


 ゆっくりと、バーバクであったものが崩れ落ちる。

 その鮮血を浴びながら、ニザールは恍惚と天を仰いだ。


「ひゃははは、やっぱりいいなあ、鼻っ柱の強いニンゲンをぶっ殺すのは。必死の抵抗を、ぶち壊すのがたまらないんだよなあ」


 倒れたバーバクの上で、ニザールが哄笑する。

 ザーミーンは、どこか遠いところで声にならない叫びを聞いた気がした。


「アーシエフ!」


 耳もとで、キミヤーの切迫した声。

 ああ、そうなのだ。

 この音のない叫びは、アーシエフの声帯から出ている。


「隊長がやられた……」

「もう駄目だ……!」


 必死に戦線を支えていた傭兵たちの士気も崩れた。

 一人が身を翻すと、続いて二人、三人と逃げ出し始める。

 もともと、人数では圧倒的に負けているのだ。

 一人抜けただけでも、この危うい綱渡りから落ちざるを得ない。


「お嬢、これは無理ですぜ!」


 茫然とするアーシエフを守りながら、ティグヘフが叫ぶ。

 取り残された小島のように、この二人は囲まれ始めていた。

 そこに、波を蹴散らすようにオミードが左翼から移動してくる。

 すでに崩壊した左翼は捨て、二人を助けに駆けつけたのだ。


「──アーシエフ、戻って! もう無理よ!」


 キミヤーの懇願に、かすかにアーシエフの瞳が動く。

 彼女は動かなくなった夫を見た後、残酷に嗤うニザールに視線を移した。


「──無理よ。ここでバーバク一人残したら、あいつの魂が女神のもとに還れなくなるわ。キミヤー……ごめん!」


 アーシエフの瞳に、強い決意が宿る。

 彼女は動き始めた。


 ──退却する部下たちとは、逆方向へ。

 ニザールの足下に転がる、彼女の夫のもとへ。

 荒れ狂う剣風が、立ち塞がる蟲人をなぎ倒した。




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