トレイシーと一緒に日帰り旅行をすると約束したのは、六月のことだった。
彼がナナコタウンの方に遺跡見学に行く予定だというので、それとなく興味があると言ってみたら「一緒に行くか」と誘ってくれたのである。その時、ちょっとドキドキしてしまったのは此処だけの話だ。これではいけない。まだ彼が、本当に自分を裏切ってないと決まったわけでもない。復讐を鑑みるなら、とにかく彼が自分に惚れるように仕向けなければいけないのに、どうして自分の方が翻弄されてばかりなのだろう。
――そ、そうよ。一緒に行くのは断じて、あいつとデートがしたいとか遊びに行くのが楽しみだとか、そんなんじゃないんだから!
セリーナは言い聞かせる。
――あくまで、あいつを惚れさせるために、あいつが好きなことに興味持ったフリしてるだけ。だけなんだから!
とはいえ、周囲からはだいぶ浮かれているように見えたらしい。衣裳部屋でドレスや着替えを選んでいたところ兄のリオに声をかけられてしまった。
「セリーナ、せっかくのデート旅行ならもう少しトレイシーの好みを知った方がいいんじゃない?彼は派手な色合いのものよりシックなものの方が好きだと思うよ」
「ちょ、お兄様!?」
赤髪に青い目の穏やかな性格の兄は、まったく悪意の欠片もありませんという顔でしれっとアドバイスをしてくる。いや実際、善意しかないのだろうが、いろいろ思うところがあるのは仕方ないことではなかろうか。
ブリトニーと比べれば、この兄との折り合いは悪くない。しかし、彼も結局次の継承会議で、トレイシーを継承者に選び、セリーナを追放者に選んだ事実は変わりないのだから。それがどういう意図だったかについては一考の余地がある、というのは最近ようやくわかってきたことではあるけれど。
「……リオ兄様は、トレイシーと親しいの?」
セリーナはジト目になって言う。
「ドレスの色の好みとか、そういう話までするのかしら?」
「そもそも、イーガン家、パーセル家、タスカー家は昔から交流が深いでしょ。僕も、小さな頃からトレイシーとはよく遊んでたよ?大学が違うから、最近は少し会う機会も減ったけど、時々お茶したりテニスに誘ったりくらいはするし」
「テニス……」
確かに、トレイシーは運動神経も良いし、兄もそれは同様である。テニスの趣味がある、ということは今初めて知った。むしろ、よくぞ今まで知らなかったものだというべきか。
幼い頃と比べて距離ができてしまっていたのは事実とはいえ、なんだか寂しい気持ちになってくる。いや、彼を傲慢で冷徹な人間だと思い込んで避けていたのはセリーナの方ではあるのだが。
「テニスはいいよ、セリーナもやってみたら?最初の最初は、ラケットに当てるだけで結構大変だけどね」
くすくすと笑いながらリオは言う。
「トレイシーは運動神経が良いけれど、テニスの場合始めたのは高校生の終わりからだったからね。最初は彼も悲惨なものだったよ。見事に空振り三昧。当たるようになってからもホームランしっぱなし。テニスでホームランしたら駄目なのにねえ」
「……意外と、あいつにも出来ない事はあるのね」
「そうだね。それでも彼の良いところは、誰かと仲良くするための努力を惜しまないことと、それをひらけかしたりしないところだと僕は思っているな」
「仲良くするための、努力?」
「そうそう」
それ、と彼はラケットを振るような素振りをしてい語る。
「僕と親しくしたいと思ったから、彼は僕が大好きなテニスを影で一生懸命練習してくれたのさ。そういうのって、凄く嬉しい気持ちにならないかい?実際に彼が上手くなったかどうかじゃないんだよ。自分が好きなものを理解してくれようとする、そのために尽力してくれる気持ちが嬉しいっていうかさ。そう言う人のことは好ましく思うものだろう?」
だからね、と。彼はセリーナの頭をぽんぽんと撫でた。
「最近のセリーナはちょっといいよ!トレイシーに好かれるために、ちゃんとトレイシーが好きなものを理解しようと頑張ってる。遺跡見学に行くんだろ?今まで魔法考古学系なんてまったく興味なかったじゃないか」
「わ、私は別に!夕食のパーティとお料理に興味があるだけだし、べ、別にトレイシーに好かれたいわけじゃ!」
「そんなに照れなくてもいいのに!僕は、君とトレイシーが仲良くなってくれたらすごく嬉しいよ。応援する!」
「お、お姉様みたいなこと言わないでよ!」
一体何を考えているのか、と思う。小さな頃は仲良しだった二人が、また復縁したら気持ちが良いと思うものなんだろうか。彼らにとって、それはデメリットのある行為にはならないのか。
だってそうだろう。恐らくは兄もこの時点で、継承者にトレイシーを選ぶことと、セリーナを追放者にすることを考えていたはずである。その二人が仲良しになったら、彼ら個人のみならず一族全体にとってもあまり良い結果にならない気がするのだが。
――本当に……トレイシーに好かれたいわけじゃなくて。好かれて、あいつを見返してやりたいだけなんだから。
セリーナは、鞄に入れようかどうしようかと悩んでいた赤いドレスを見つめて思う。トレイシーが、どういうものが好きなのか。こうして考えると自分は、彼の好きな色さえ満足に知らなかったと気づく。
今まではそれでいいと思っていたし、知ったところでなんだと鼻で嗤えていただろうに。どうして今は、そんな小さなことで胸が痛いような気がするのだろう。
ちょっとした優しさを向けられたから?気を使われたから?彼はセリーナが今まで望んできたような、己の絶対的信望者ではないというのに?
「……ドレスの色って」
ぽつり、とセリーナは呟く。
「そういうことについても、あいつと話すのね……お兄様は」
「まあね」
セリーナが抱えたドレスをつんつんとつついて、リオは言った。
「テニスクラブの後に、ちょっとした立食パーティが催されることも多いのさ。テニスは昔から貴族に愛されるスポーツだからね。運動したあとに、ちょっと高級な立食パーティに参加してお開きになることが多くて……トレイシーとも何度か参加していたんだよ。で、綺麗な服着た紳士淑女が多いだろう?トレイシーに尋ねたのさ、どういう女性が好みなのかって」
ちなみに僕は巨乳が好きだな!とリオはにっこり笑顔でドヤってくる。
「でも、ただの巨乳は嫌なんだよ。やっぱり女性は上品でなくっちゃ。胸元が大きくあいたドレスで谷間ががっつり見えるのはなんだか品が無くて好きじゃないんだよね、性的なものをこれでもかとアピールしているってかんじがして。そうじゃなくて、きっちり首元まで着込んだ服から巨乳ががっつり分かるってのがいいんだよ。でもって、胸だけじゃなくて、お尻もむっちりしている方が好きだし、腕や足もガリガリがちょっとね。というか、胸だけが不自然に大きい女性より健康的なぽっちゃりさんが好みで……」
「あー、お兄様の好みは聴いてないから。トレイシーは何て言ってたのよ」
「あ、ごめんごめん。トレイシーはというと、彼は結構変わっててさ。女性の好みじゃなくて、服の話ばーっかりしてるの。あのドレスの方が可愛いとか、あっちの方が趣味がいいとかそればっかり。結局、どういうタイプが好みなのか殆どわからなくてさ」
「ええ……?」
きっと、リオの方はパーティでも、男同士親戚同士だからと明け透けに巨乳好みの話をしたのだろう。大人しい見た目で割と大胆なことを言うのがこの兄である。なんなら下ネタも大歓迎だよ!と笑っていたのはいつのことだったか。この可愛らしい顔で、結構女性関係が派手なこともセリーナは知っているのである。ああ、セフレなんて言葉、兄が言わなきゃ自分は一生知らずに済んだかもしれないというのに!
とはいえ、それはそれとして。そんな兄のテンションに引っ張られずに、服を着ている中身の話ではなく服の話ばかりとは。想像していたが、トレイシーはかなり変わり者である。
「近年は、スカートが短いドレスも流行しているだろう?あと、ミニスカートの運動着とか……テニスの女子選手の服もミニスカートが多い。でもトレイシーはそういうのは好ましくないと思ってるみたいでね。はしたないというより、見た目の美しさも微妙なら機能性もイマイチだからとかなんとか」
まったく面倒な奴だよね、とリオは顎に手を当てて難しそうな顔をする。
「動きやすさを重視するなら、キュロットや半ズボンでいい。美しさを重視するならひらひらとしたロングスカートの方が良い。ミニスカートはそのどっちも中途半端な上、風で捲り上がって下着が見えてしまったら非常にはしたない。ゆえに、理解不能……ってことらしい。だからテニスコートでも、キュロットタイプの服を選ぶ女子選手がいるとプレイそっちのけで絶賛してたりする」
「へ、変なところに拘りがあるのね……」
「ドレスもそうでさ。華やかなロングスカートをお洒落に着こなす女性の方が彼は好きみたいだよ?あと、派手すぎる色だと、ドレスの方にばかり目が行ってしまって中身の魅力を損なってしまうことがあるからそれも好きではないんだってさ。黒とか、濃い青色、落ち着いた緑色のドレスとかが彼には魅力的に感じるらしい。というわけで、君が今持っているやつよりこっちの方がいいんじゃないかな」
リオはクローゼットの中から、一着のドレスを持ち出してくる。それは、やや黒紫系統の、あまりセリーナが着ないタイプのドレスだった。やや黒っぽくて地味、露出も少なく重たい印象。どちらかというと、若い女性が着る向けのドレスではないと思っていたのだが。
「それがいいの?」
セリーナは手元の赤いドレスと見比べながら思う。
「なんだか、地味だわ」
「ドレスなんて、着る人にちょっと色を添えるだけのものなんだよ。着ている女性より目立っちゃ駄目だっていうのは僕も賛成。それに、セリーナは赤い髪なんだから、同じ系統の色のドレスは目に痛い気がするな」
「そうかしら」
「そうそう。あ、でも」
リオはまじまじとセリーナを見て言う。
「ひょっとして、これサイズ合わない?もう着れなかったりする?ほら、セリーナ最近ちょっと太っ……」
「だまらっしゃい!余計な事言わなくていいのよお兄様!!」
確かにここ最近美味しいものを食べすぎて、体重計が怖かったのは確かだけれど。なんでそんなことまで知っているのか、この兄は!
セリーナは思わずリオの額をぶっ叩きながら思ったのである。
トレイシーが好きだというのなら、こういう服に挑戦してみるのもありかもしれないと。
――……本当に、私があいつを好きになったからとか、そういうわけじゃないんだから。
ああ、断じて。日帰り旅行が楽しみとか、そういうわけではないというのに。