目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

<13・Picture>

 ブリトニーは言った。継承会議についてはコメントを差し控える、と。


『ただ、その様子だと……貴女も察してるんじゃなくて?このままでは自分が追放者にされかねない、とね』


 前の世界では。セリーナが、姉と(兄ともだが)継承会議のことを話したことはほぼなかったように思う。それは、二人より成績優秀な己が継承者に選ばれないはずがないと思っていたのもあるし、いくら不仲とはいえ血の繋がった妹を二人が追放したがるはずがないという慢心があったのもある。

 だから、二人に細かな意見など聞かず、ただセリーナを継承者に推すようにとしか言わなかったのである。この己が、自分より劣る他の魔法使いの下につくなどあり得ないし、皆もそんな選択はすまいと思っていたからだ。


『単純な人の好き嫌いっていうのも大きなものよ。身内で孤立するような人間がリーダーに選ばれるはずがないでしょう?……そして、ただ一人必ず追放者を選ばなければならないなら、そこで選ばれるのは単なる“魔女として能力がない者”ではないわ』

『一緒に仕事をしたくない者ってこと?』

『その通り。この人と一緒に仕事をしたら足を引っ張りそうだと思う人間がいたら、まずその人を追放者にしたがるでしょう?では、その足を引っ張りそうな人間とはどういう者?単に魔力が低かったり、下級の魔法しか使えない人間?それとも……』

『……協調性のない人間?』

『正解です。嬉しいわ、セリーナが賢くなってくれて』


 馬鹿にしてるのか、と腐りたくなる。が、少なくとも前回の世界の自分に、その概念がなかったのは事実だ。そして実際追放者に選ばれてしまった。

 そもそも、仮に大人達の意図が働いて票が操作されたのだとしてもだ。少なくとも、誰かしらがセリーナを一族に不要と見做したのは間違いないのである。自分が罠に嵌められた!とキレるよりも前に、何故そう見做されたのかを考えるべきだった。罠に嵌めるなら嵌めるで、セリーナが邪魔と考える理由があったはずなのだから。


――協調性。そんなもの、私には必要ないと思ってた。みんなが私の言う通りに動けばいいはずだって。でも。


 その命令に納得できなければ、人はついてこない。皆が納得できる命令を、説明を、指揮をできるかどうか。リーダーにもまた協調性は必要だったのだと、今更ながら思い知る。


『皆と足並みを揃える気がない人間こそ、集団にとって害悪になるの。足並みを揃える気がなくても、自分の正しさを他の人に説得させることができる人間ならば別だけど。セリーナ、貴女にはそれができる?冷静に、ブチ切れたりせずに』

『う……』

『まあ、そういうこと。まだ時間はあります。じっくり考えることですね。……そして、本当に己が磔刑の魔女に選ばれたいのかどうか、も』

『…………』


 姉は一体、セリーナの本心をどこまで見抜いていたのだろう。

 お茶会の後、屋敷の中を一人歩きながらセリーナは思う。自分は本当の意味でブリトニーに勝つことはできないのかもしれない。彼女は気がついていたようだ、セリーナが何も磔刑の魔女に、当主の仕事に興味があって自分を推していた訳では無いということを。

 磔刑の魔女に選ばれたのならば、御三家を纏め、政府と密な情報交換をし、有事の際は全体の指揮を取らなければならなくなる。そのためには、政府の命令があったとき以外で王都を離れることはできない。そして、結婚相手も先代に決められることになる。少しでも優秀な、魔女の子孫を残していかなければならなくなるからだ。

 セリーナの夢は、世界中を旅する絵描きになること。行動も、恋愛も、仕事も制限されるなんて正直非常に面倒くさいとは思っている。それでも自分が継承者に選ばれるべきと思っていたのは、単純に己こそが一族で一番優れているという証明が欲しかったからだ。

 継承者とは、最も魔女として優れている者。セリーナはずっとそう思ってきた。別の人間が選ばれるということは、セリーナがそいつに劣ると突きつけられるようなものだ。プライドが山よりも高いセリーナにとって、それは耐え難い屈辱だったのである。

 要するに。当主になりたかったのではなく、当主に“選ばれた”という名誉が欲しかっただけ。それによって、大嫌いな他の兄弟達を見下ろせる優越感が欲しかっただけなのだ。ブリトニーには、そんなセリーナの心はすっかりバレていたということらしい。


――だから嫌なのよ、お姉様!


 鼻息荒く、セリーナは絨毯を踏みしめる。


――そりゃ、選ばれたところで辞退しようとしたかもしれないし、まともに仕事をしなかったかもしれないけど!でも、名誉が欲しいって、他の奴らに劣っていないと証明したいと思うのは何がいけないっていうんだか!


 偉くなりたい。誰よりも高く、強く、美しく。

 いつからだろう。自分は一番であるべき、そうでなくてはいけないと思うようになったのは。


――ああ、確かに。


 一つのドアの前で止まる。


――昔の私は、そうじゃなかったかもしれないわね。


 そこは、ちょっとした倉庫代わりにしている部屋だった。特に二階の西端のこの部屋にあるのは殆どガラクタばかりである。貴重な品も資料もないので、部屋に鍵もかかっていない。セリーナが手をかけると、あっさりとノブは回った。


「うっ」


 埃の臭いに、思わず眉を顰めることになる。使わない部屋なものだから、きっと召使いたちも積極的に掃除をしていないのだろう。ドアを開けた途端、ぶわっと白いものが舞い散った。流石に不潔だし、たまには掃除をしてくれと言っておくべきだろうか。本当に必要かどうかはわからないけれども。

 そもそも、セリーナだってブリトニーの話を聞いて思い出さなければ、この部屋を訪れようとは思わなかった筈である。ガラクタばかりの部屋。忘れていたということはつまり、今の自分には必要がなかったということなのだから。

 あるいは、必要がないと切り捨てていたと言うべきか。


――多分、ここに少しは残っていると思うんだけど。


 セリーナは咳き込みつつも、部屋の中へと足を踏み入れる。埃を被ったイーゼル。使わなくなった古い本棚には、随分と年代物の辞書がずらずらと並んでいる。今開いたら、死語だと思うような言葉もたくさん載っていそうな代物ばかりだ。

 新しいものを買い替えて、今は使っていないソファーやマッサージチェアなんかも放置されている。奥のコートなんかはタオルをかけて日除けしてあるから埃もマシだろうが――デザインがどれもこれも流行遅れだ。果たして着る機会なんてものはあるのだろうか。そもそも、あの赤いドレスなんかは母のものである。言ってはなんだが、彼女はここ数年でだいぶ太ってしまったようだし、今引っ張り出しても着れるかどうか怪しいような。


「ほんと、変なものばっかり……あ」


 セリーナはやがて、小さな戸棚の前にたどり着いた。そこには、分厚い黒いファイルがいくつも仕舞われたままになっている。戸に鍵の類はかかっていない。硝子戸を横に引くと、ややレールが錆びているのか抵抗があった。少し力を込めればきしきしと軋むような音を立てて開いていく。

 一番左のファイルの背表紙には、“Picture/Selina 1”の文字が。そして、後ろの数字が2、3と増えていっている。小さな頃に画用紙に描いていた絵は、こうして母がファイルに入れて保管していてくれたのだ。当然幼少期のものだから技術も拙くて恥ずかしいし、今のセリーナが見返す機会などなかったものばかりであるけれど。


――そう、昔は。人の評価なんか気にせず……ただ、好きなものを好きなように絵に描くだけで幸せだったっけ。


 一番古いファイルを手に取り、パラパラと捲ってみる。

 フレイルピーチを描いたのだろう、クレヨンの絵がある。

 両親と、兄と姉と自分を描いた家族のイラストがある。

 それから庭のいろんな花、青い空、屋敷の絵に学校の絵。どこかの川の絵や、公園のブランコで遊ぶ友達の絵なんかも出てきた。正直、一体いつ描いたのかちっとも覚えてないものも少なくない。


「あ……」


 そして、セリーナが目を止めたのは、とある一枚の絵である。

 それは色鉛筆の絵だった。庭のフレイルピーチの樹の下、少年と少女が手を繋いで座っている絵だ。少年は黒髪に群青色の瞳をしていて、少女は赤い髪に緑色の目をしている。紛うことなき、トレイシーとセリーナの姿だった。


『セリーナは、将来何になりたいの?』


 思い出す。本当に小さな頃は、トレイシーとよく家の庭で遊んでいたことを。まだやり方も知らなかったし、幼かった自分たちはあのツルツルの木に登るなんてことはできなかったけれど。それでも庭で花を摘んだり、追いかけっこをするだけで十分過ぎるほど満たされていたのをよく覚えている。

 それから――セリーナは、幼い頃から絵を描くのが本当に好きで。よく、トレイシーと一緒に写生会をやっていた。トレイシーはというと、お世辞にも絵が上手いとはいえなかったけれど。それでも、彼と一緒にお絵描きをするのはそれだけで楽しかったし、トレイシーが一生懸命描いてくれた絵をプレゼントされるのはそれだけで嬉しかった記憶がある。


――そういえば。


 ファイルの透明フィルムをなぞりながら、セリーナは思う。


――あの頃の私は……トレイシーの絵が下手でも、それで彼を蔑んだりなんて、しなかったな。


 彼の絵が、幼稚園児の落書きレベルでも。セリーナは絶対、下手くそだなんて笑わなかった。そんな絵をよく人にあげられるわね!なんてことも絶対に言わなかった。そして、自分のほうが上手いんだからとマウントを取る気になった覚えもない。

 何故か。絵の上手下手より、ずっと大切なものがそこにはあったからだ。

 トレイシーが頑張って自分のために絵を描いてくれる、その事実そのものがあまりにも嬉しくて。それ以上に、大切なものなんてなかったから。


『セリーナは、凄く絵が上手いね。将来は、絵描きさんになるの?』


 幼いトレイシーは、キラキラした眼でセリーナに尋ねた。だから、セリーナも答えたのだ。


『そうよ!私は、将来は絵を描いて、たくさん旅行をするの。世界中の、いろんな建物や、森や、綺麗なものをいっぱい描くの!それが私の夢なの!』


 幼い頃には、もうセリーナの夢は固まっていた。あ、と小さく声を上げる。思い出したからだ、あの時の二人の会話を。

 確か、セリーナはこのあとこう言ったのだ。


『だから、御三家の当主……にはなりたくないの。ずっとお家にいて、国のお仕事をしなくちゃいけないなんてイヤ。私は、他にやりたいことがいっぱいあるんだから!』

『そうだね。セリーナには、絵を描くのが一番向いてるよ』

『でしょう?だから、当主のお仕事は、向いてる人がやればいいと思うの!』


――あ……。


 そうだ、幼い時にはもう、自分達は一つの答えを出していたのではないか。

 セリーナははっきり言ったのだ、当主にはなりたくないと。自分には他に夢があるから、と。

 もしもトレイシーが、あの時の会話を覚えていたなら?




『お前は、美術と海外旅行にしか興味がないとばかり思っていた。将来、魔法に関わる仕事をしたいと考えているわけではないと。どういう風の吹き回しだ?』




 そうだ、確かにトレイシーは暗に告げたではないか。セリーナの夢を知っている、と。


――私の夢を叶えさせるために、継承者に選ばなかった?……そんな可能性、本当にあるの?


 だからって追放者に選ぶ意味が本当にあるのだろうか。

 いや、彼が“追放者は処刑される”という事実を本当に知らなかったなら。一族から追い出すことで、セリーナを守れると思っていたとしたら。

 もしも、もしも本当にそうなら。自分が掲げていた復讐は、根本的に間違っていることになってしまうのではないか?


「……確かめなきゃ」


 セリーナは、ページを捲る。現れたのは、黒髪群青眼の少年の、笑顔のアップ。

 覚えている。自分は、トレイシーに似顔絵をプレゼントすると約束したのだ。でも何回描いても思い通りに描けなくて、それで。


『本当に?楽しみにしてるね、セリーナ!』


 彼は、ああ言ってくれたのに――渡さないまま、そのままになってしまって。

 今なら、わかる。たとえ下手でも良かったのだ。あの時の彼はただ、セリーナが一生懸命描くままのものが欲しかっただけなのだと。

 どうして自分は、つまらないプライドにこだわって、完成させないままにしてしまったのか。


――小学生の時。……私はクラスの子に負けて、コンクールの受賞を逃した。そして、金賞を貰った子だけがちやほやと褒められているのを見て悔しくて悔しくて……一番になれなきゃ意味がないって、認められないって、讃えられないって思うようになって。


 気がつけば、技術を磨いて一番を取ることばかり躍起になっていた。自分の下にいる人たちを見下し、蔑むことで安堵するようになっていた。

 本当は、もっと大切なことが絵の世界にはあったのに。否、絵だけではなく、もっとたくさん知るべきことがあったはずなのに。


「……確かめなきゃ」


 同じ言葉を、セリーナは繰り返す。

 本当のことが知りたいと今、強くそう思っていた。トレイシーの本心も――自分自身の本音も。

 そして、己にとって何が正しく、何が間違いであったのかを。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?