「それで?それからトレイシーとは進展しているの?」
「あぼほほっ」
姉の唐突な言葉に、セリーナは思いきり噎せてしまった。紅茶が鼻に入って滅茶苦茶痛い。セリーナは、目の前ののほほんとした姉を睨みつける。
ブリトニーにフレイルピーチの木登りをやらされてから、おおよそ一カ月以上が過ぎた頃のことである。
五月も半ばになり、庭のフレイルピーチの木も鬱蒼と葉を生い茂らせる時期となった。春には薄い葉が少しつくばかりだったこの木も、夏になると太陽光を少しでも吸収したいといわんばかりに緑色の重たい葉を大量につけることになる。この時期にはもう実は落ちてしまっていることと、葉が苦味を増すことから紅茶には向かないことでも知られている。フレイルピーチの紅茶が楽しめる時期は、限られているのだ。
ただし、この木は春と秋の二回実をつけるし、実をつける時期になると葉の香りが増して甘くなることでも知られている。春のフレイルピーチティーと、秋のフレイルピーチティーは似て非なる風味がありどちらも貴族の間では人気が高い。庶民にはなかなか手が出せる値段ではないのだが。
ちなみに紅茶で美味しいとされるこの木の実、パイにしてもうまいと知られている。やや酸味が強いので、砂糖と一緒に似てピーチパイにすると丁度良いお菓子になるのだ。少々カロリーが高いので食べ過ぎには注意であるが。
「し、進展って」
そして今。
セリーナは、姉のブリトニーと自宅でコーヒーを飲んでいることである。初夏の時期には期間限定のコーヒー豆が売り出されるので、コーヒーを飲むことの方が多いのだ。
姉にトレイシーの好みを尋ねて以来、なんとなく彼女とお茶をする機会が増えてしまった。けして、仲の良い姉妹というわけでもないというのに。
「わ、私は別に、トレイシーのことをそのように思っているわけではなくて!」
「あら、そうなの?私には、セリーナがすっかりのぼせ上っているように見えたものだから!」
「お、お姉様……!」
この野郎、と思わず拳を握ってしまうセリーナ。自分の方が勉強も魔法も訓練も優秀なのに、何でこの姉には言いくるめられてばかりなのだろうか。
「そんなに怒らなくてもいいのに。私は本当に、貴女とトレイシーの仲を応援しているんですよ?」
そんなセリーナの怒りに気づいているのかいないのか、どこ吹く風とばかりの姉。
「元々、トレイシーにはだいぶ嫌われちゃってたでしょうけど。最近、セリーナもメイドさん達への扱いがマシになったし、私にも皆さんにもだいぶ優しくなってきたでしょう?そこは評価されていると思っているの。うふふ、セリーナも女の子だったということなのですね」
こういうことをズケズケと言ってくるのがこの姉である。図星なので、セリーナとしては何も言えない。
「……だいぶ嫌われちゃってた、っていうことは。お姉様は、私がトレイシーに嫌われてるのを知ってたってこと?」
セリーナが渋々口を開けば、ブリトニーは。
「トレイシーにっていうか、貴女、一族の兄弟のほぼ全員から嫌われてたと思うわよ?」
思いきりナイフをぶっ刺してくれた。脳天をブチ抜かれたセリーナは、ソファーの上で沈没するしかない。
少し前の自分ならそんなことあるわけない!と叫んでいただろうが。コリンナやトレイシーから色々聴かされた今となっては、ほぼそれが正しいとわかってしまっているのが嫌になる。
貴族と魔法使いを特別視し、庶民を蔑むこと。己の考えが普通だとばかり思っていた。まさかそこまで、一族の中で浮いているとは思ってもみなかったのだ。今まで自分自身、それが正しいと疑っていなかったので、祖父母が悪いと彼らのせいにだけすることもできないのだが。
「だってセリーナって自分をいつも助けてくれる召使の皆さんに意地悪するし、八つ当たりして無理難題を言いつけるし、貴族ではない子供達のことなんかは汚らわしいとか醜いとか人間じゃないとかはっきり口に出して言ってしまうし、そりゃあ召使いや庶民にお友達がいる人から好評価を得られるはずがないでしょう?それでいてとっても怒りっぽいんですもの、八つ当たりとか八つ当たりとか八つ当たりとか八つ当たりとかすっごく多くて私も時々セリーナのことをブン殴りたいなあとか思っていたし多分リオもそうだったんじゃないでしょうか。その上で、自分の能力は完全完璧で一人でも生きていけるって顔をしているんですもの。そりゃ魔法の素質は昔から高かったけれども小さな頃は訓練で的に銃弾を全然当てられなくて泣いてたし、なんなら集中力が続かくなって訓練やお勉強をさぼって屋敷を脱走したこともあったし、もっと言うなら初等部の頃までベッドにおねしょをしていたのも私はよーく覚えているんです。そうそう、そのおねしょを片づけてくれたのって、執事のマイルズをはじめとした皆さんで、皆さんセリーナがおもらしばっかりしていた事もよくご存知だし高級なお洋服にウンチを漏らした上でお尻を拭いて貰ったことだって……」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ姉様もうやめてえええええええええええええええええええええええええええ!?」
頼むから、マシンガンのように恥を垂れ流さないでほしい。セリーナは完全に轟沈した。確かに、セリーナは小さな頃、お漏らし癖がなかなか治らなかったのは否定しない。なんなら、トイレに行きたいと言い出せずにうんちを漏らしてパンツにずっしりため込んでしまったことがあるのも事実だ。それを姉にばっちり見られていたのも確かで、よくよく考えたらそういうものを召使たちに処分して貰ったことがあるのも間違いないことではあるのだろうけれども。
「私達の生活は、召使さんたちの努力で成り立っているの。人にマウント取るばっかりで、自分がしてもらった恩を忘れるような人は、嫌われて当然でしょう?」
「う、ううううう……」
わかっていたものの、辛辣すぎる。セリーナは軽く涙目である。
それでも、セリーナがこの姉とお茶をして相談に乗って貰っている理由は単純明快だ。――根本的に、他にこういった話ができる相手がいないからである。
ましてや、継承会議のことも絡んでくるとなると、大学の学友たちに話すわけにもいかない。
「……もう、それはいいわよ。私だって……ちょっとはわかってきたんだから」
自分が間違っていたと、完全に認めることは難しい。それでも、継承会議を切り抜けるためには、明らかに孤立している状態を脱しなければいけないということははっきりしている。
ゆえに、セリーナも少しずつ、少しずつだが召使たちや他の家族、友人達への対応を考えるようになっていったのだ。その成果は、僅かだが出てきてはいると思う。何故ならつい昨日、ダーシーに言われたばかりなのだから。
『お嬢様、最近お優しくなりました。私、今のお嬢様の方が怖くなくて、好きです』
自分は、彼女たちに怖いと思われていたのだ。確かに、機嫌が悪いと無理難題を言いつけ、時に鞭で折檻することもあったと考えるのなら自然なことだろう。
そして不思議なことに、彼らに少し気持ちを傾けるようになったら、セリーナの方もイライラすることが減っていったのだ。彼らが、セリーナに明らかにびくびくして、顔をこわばらせることが減ったというのが大きい。
「私別に、トレイシーの事が好きとかそんなんじゃないんだから。ただ、むしろその……あいつに、私に惚れさせてやりたいだけよ!私みたいな美人に、全然靡かないんだもの!」
「それは、貴女がトレイシーのことが好きだからではなくて?」
「違う!全然違うんだから!そうじゃなくて、その……と、とにかく。なんか私なんか眼中にないって態度が悔しいってだけ!」
これは嘘じゃない。自分は、あのトレイシーに報復するために禁術を使って時間を遡って、歴史を変えようとしているのである。
術は、一人につき一度しか使えない。何が何でも自分はトレイシーを掌握して、あの最悪の未来を変えなければいけないのだ。
そう、だからこれは本当に復讐のため。
断じて、トレイシーのことが気になるようになったとか、そういうことではないのである。
「でも、今度魔法文化の遺跡に一緒に見学しに行くことになったんでしょ?日帰り旅行、素敵じゃない」
そんなセリーナを面白がるように、ブリトニーは言う。
「本当に、私は二人の仲を応援しているんだから頑張ってくださいね?脈がないわけではないと思うわよ。というか……そもそも私は二人が二人とも、お互いの初恋相手なんじゃないかと本気で思ってたものだから」
「え?」
「だって、小さな頃はよく一緒に遊んだりしていたでしょう?今でも、貴女が昔描いたトレイシーの似顔絵とか、探せば出てくると思うんだけど」
姉は。少しだけ淋しそうな色を瞳に乗せて、ため息をついたのだった。
「私から言わせれば。……変わってしまったのはセリーナ、貴女の方なんですよ。おじい様の影響があることは否定しないけれど、でもそれだけではないでしょう?貴女は、昔は確かに持っていた優しさを失ってしまった。トレイシーはきっと、それが悲しかったのではないかしら」
セリーナは、何も言えない。距離ができたのは、トレイシーが傲慢になったからだとばかり思っていた。それで自分の方が避けたつもりだったのに、そうではなかったというのか?
――昔……。
セリーナは、過去を回想する。
『トレイシー!ちょっとそこに座ってて!いいものあげるから!』
『ほんと?』
『うん!』
あのフレイルピーチの木の下。よく駆け回っていた、自分とトレイシーの姿を。