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<26・Communication>

 逢って話がしたい。

 セリーナがその日のうちにメールを送ると、トレイシーはすぐに返してくれた。自分も話があるから、予定を空けて貰えないかどうか、と。

 多分、考えていることは同じなのだろうなと思う。磔刑の魔女のこと。禁術のこと。継承会議のこと。追放者のこと。そして、セリーナとトレイシーの今後の事。

 自分達はまだ、付き合っていると言えるような関係ではないと思っている。どっちがどっちに、好きだの惚れだのという話をしたわけでもない。婚約者として関係を結んでいるわけでは勿論ない。やったことと言えば、一度の日帰り旅行をしたことと、ちょっとだけ何度か二人でお出かけしたり、お茶をしたりといったことをやったくらい。デートと呼べるかどうかも怪しい。御三家の友人同士で会っていた、と言われても通る範疇の付き合いしかしていないのだから。

 ただ、既に確かなことがある。

 セリーナがもう、トレイシーのことを――悪意をもって自分をハメた人間だと思いたくなくなっていること。むしろ、自分をハメたわけではないと思いたいがために今日まで決定的な言葉を聞きそびれてきたこと。

 もう彼を、恨むことができなくなってしまっているということ。

 おかしなことだ、自分は何が何でも彼に復讐するため、イーガン家に伝わる禁術を使ってでも逆行したというのに。


――そういえば、あの力も結局のところ……禁術、だったわよね。


 トレイシーとは、七月下旬の日曜日に逢う約束を取り付けた。時間はゆっくりと、しかし着実に過ぎている。あまりのんびりもしていられない。まだ、分かっていないこともたくさん残っている。そしてセリーナやトレイシー、サイラスとオードリーが何かに気づいて動き始めたとなれば、大人達も黙っているとは思えないからだ。

 恐らく、自分達は知るべきではないことを知ろうとしている。ひょっとしたら継承会議の後に明かされることになるであろうことかもしれない。いずれにせよ、きっと今自分達が継承会議そのものに二の足を踏むようになったら、当主たちにとっては都合の悪い展開にしかならないはずだ。なんとかバレないよう、慎重に動かなければ。


――前の世界では、深く考えなかった。何故イーガン家の地下室に、時間を逆行する術、なんてものがあるのかなんて。


 セリーナは今、屋敷の地下への階段を下っている。自分も一応イーガン家の人間なので、地下の魔法書庫への立ち入りは禁止されていない。

 ただ、幼い頃に遊び半分で立ち入った時は父に偉く叱られたものである。


『いいかい、セリーナ。この書庫にあるのは、古から伝わる恐ろしい禁術の数々だ。どうしてもと言うのなら、見ても構わない。構わないが、絶対に実行してはならない。尤も、道具や条件がそろわないとできないものばかりだから、やりたくても簡単には実行できないだろうが……』


 確かに、逆行の術も条件はカンタンなものとは言い難かった。なんせ、自分が死ぬ時にしか実行できないのだから。それも、自殺では発動しない、とかなんとかそう言う条件がついていたはずである。セリーナが万が一の時に術式を暗記していなかったら、あの牢屋で発動することなどけして叶わなかったはずだ。

 そういえば、あの世界はどうなったのだろう。

 セリーナは自分が時間を遡ったというより、そっくりのパラレルワールドに着地した可能性を考えていた。つまり、前の世界は前の世界で、自分とは関係なく続いていっているかもしれないということである。

 きっとセリーナが死んだ後で、両親はベッドの下の魔方陣に気づいたはずだ。驚いただろうか。それとも、死んだ娘を罵倒しただろうか。今となっては、想像するしかないことではあるが。


――そもそも、お父様とお母様は……私が死ぬことに関して、少しは悲しんだり、罪悪感を抱いたりなんてことはしてくださったのかしら。


 ぎゅっと、胸の奥が締め付けられるような心地になる。

 追放者は、本来処刑される必要のない存在だった。それがセリーナの時に限って儀式めいたやり方で殺されたのは、禁術を成功させるために踏むべきステップだったからだとしたら。

 少しは躊躇ってくれたのだろうか。

 あるいは、あんな性格に難がある娘はいなくなって清々したと思っただろうか。兄や姉は、行方もわからない妹に対して少しは気にかけてくれるということしたのだろうか。

 両親からは愛されているつもりだったし、疎まれているという認識はなかった。でも実際、セリーナが気づかなかっただけでコリンナやタスカー兄妹などには相当に嫌われていたのだ。実際は両親にも、という可能性は大いにありうる。


――やめましょう。今それを考えても……気持ちが落ち込むだけだわ。考えるべきことは他にある。切り替えなきゃ。


 セリーナが地下の魔法書庫に立ち入ることにした理由は二つ。

 一つは、自分が逆行の術を使うのに見た、あの魔導書を確認するため。

 もう一つは、他の禁術を確かめるため。ひょっとしたら自分が知らなかっただけで、カヴァナー家由来の禁術がイーガン家の魔法書庫にはたくさんあったのかもしれないからだ。




『カヴァナー家が最も栄華を誇っていたのは、第二十一代フランシア国王の時代だ。その後からゆるやかにカヴァナー家は没落の道を辿っていく。どうやら、王国が望むような研究成果を出せず、支援を打ち切られそうになっていたらしい』




 トレイシーの言葉を反芻する。

 カヴァナー家には、焦って禁術に手を出す理由はあった。王国が彼らにどのような成果を望んだのか定かではない。王国の仇なす敵を倒すための成果を求めたのか、あるいは魔法にしか起こせない奇跡の証明を望んだのか。いずれにせよ、彼らは普通の魔法ではできないことをしようとして、その結果禁術に失敗したか――やり過ぎた怪物を呼び出し、炎に包まれて生贄ともども死亡したというわけだ。




『その結果、カヴァナー家の本家の血筋は途絶えて、当主の三女が嫁に行ったパーセル家が魔法使いの血を継いでいくことになったわけだ。幸いにして当主の三女は五人の息子と娘を儲けて、誰も彼もに魔法使いの素質があったと聴いている。ちなみに、その三女の孫娘から派生したのがイーガン家というわけだな』




――パーセル家の嫁に行った三女が、禁術の知識を持ち出していたなら。……そもそも、禁術のリスクを正しく理解していたなら、それを見越して娘を嫁に出し、難を逃れさせたという可能性もあるわね。


 そう考えるなら、パーセル家に、ひいてはイーガン家にもカヴァナー家由来の禁術が伝わっている可能性は大いにあるだろう。禁術のリスクもさながら、家そのものの存続が危うい状態となっていたなら彼らなりに対策を講じていてもおかしくはあるまい。

 ただ、パーセル家に嫁に行った三女も、自分の家が禁術の失敗で滅亡したことは知っていたはず。それがいかに恐ろしく、手を出してはいけないものなのか、子孫たちに伝えていこうとはしなかったのだろうか?

 それとも、知っていてもなお、切り札として必要だと考えて残して行く選択をしてしまったのだろうか?


――何にせよ、私がやるべきことは一つだわ。


 禁術に対抗するためには、禁術をより知る必要がある。

 少なくとも自分は、特にリスクもなく時間を遡ることに成功している。場合によってはもう一度使うことも検討しなければいけない。勿論、それは今の世界を諦めることに他ならないので、本当に最後の最後の手段でしかないのだが。

 また、当主に伝わる禁術というものも可能ならば知っておきたい。

 ビジョンで見た儀式と、前の世界で実際に行われたであろう儀式は大きく異なっていた。違う術なのか、それとも改良されてあのような形態になったのか。考えたくもないが、恐らくあの世界ではトレイシーも悲惨な末路を辿っているはずなのだ。


――絶対に、嫌。


 石の階段を最後まで降り切れば、そこには木製の重たい扉がある。セリーナは扉を睨みつけた。


――以前までの私なら……自分が認められず、愛されることもなく死んでいくことだけが耐えられなかった。でも今は、違う。


 ぎゅっと拳を握りしめる。


――自分が死ぬこと以上に……トレイシーが死ぬこと耐えられない。あんな、あんな酷い最期を、迎えさせてなるものですか……!


 もし自分が見たビジョン通りになってしまうなら。磔刑の魔女に任命されたトレイシーに待っているのは、バケモノを産みだす器にされる未来である可能性が非常に高い。

 あんな苦痛に満ちた、あんな惨たらしい死に方など、トレイシーにさせるわけにはいかない。このまま継承会議を迎えて彼が継承者に選ばれれば、その未来はきっと実現してしまうだろう。

 前の世界では知らなかったことを知れた。ならばきっとまだ、打てる手があるはずだ。他の兄弟たちにはまだ話していないが、自分はともかくトレイシーのためならばきっと手を貸してくれる。少なくとも、サイラスとオードリーの兄妹はトレイシーを救うために尽力すると誓ってくれたのだから。


「!」


 扉の鍵穴に触れようとして、セリーナは気づいた。鍵が開いている。と、いうことはつまり。


――中に、誰かがいる……!よりにもよって、このタイミングで!


 いや、とセリーナは思い直すことにした。この書庫には、兄や姉はまず滅多に来ないことだろう。とすれば、一番可能性が高いのは父、次いで母。どちらも、イーガン家の歴史と魔法については詳しい者達である。特に父がいるというのなら、逆に好都合かもしれない。

 彼にも、尋ねておきたいことはある。無論、自分がおかしな探りを入れていることを知られてはならないが。


――上等だわ。


 セリーナは、堂々と扉を押し開けた。どっちみち、この部屋に入ることを禁止されているわけではない。ただ本そのものの持ち出しと実行が駄目だと言われているだけなのだから。

 ぎいいいい、と重たい音を立てて扉が開いていく。以前、この部屋に入った時はこんなに扉が重いとは感じなかったように思う。それは、特に覚悟を決めたわけではなかったから。あくまで、面白半分で覗いてみたという、それだけのことであったから。


「おや、どうしたセリーナ?」


 すぐに、中にいる人物には気づかれた。正面の本棚の前に立っていた男が振り返る。

 バリー・イーガン。

 当代の磔刑の魔女にして、セリーナの父。前の世界で、セリーナを殺した張本人とも言うべき人物であった。

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