任命式での騒動から数日後、ノクティス王国の夜空は再び穏やかな輝きを取り戻していた。静寂に満ちた日常。私もそんな日々が待っていると信じていたのに……どういうわけか、神殿の執務室で書類の山と格闘していた。
前世で事務の経験をしていなかったら、逃げ出していたことだろう。私はその現状を作り出した人物に向かって、声をかけた。
「リオネル。これ、どうにかならないの? よく見ると、貴方の仕事も混じっているんだけど」
執務机の向こうにいるリオネルに向かって、その書類を見せるが、顔を上げただけで受け取ろうとはしなかった。
大司教が失脚したのち、任命式を代わりに執り行った実績と、星のかけらを持ち帰った功績を買われ、リオネルは大司教代理に任じられた。そのため、兼任は難しいとのことで、星の守人は別の人物へと引き継がれたのだ。
エレモは残念そうにしていたが、リオネルが私の補佐をしてくれるのなら、と無理やり納得した様子だった。リオネルに対して、守人以上の感情を抱いている様子はなかったものの、ずっと近くにいたからなのか、やはり思うところはあったようだ。
そのため、リオネルはこうして私の傍にいるわけだが……補佐とは?
「逆に私の方が、補佐をしているように思えてならないわ」
神殿の運営報告書、星彩師の登録簿、果ては礼拝堂の修繕計画まで、私に押し付けられているのだ。光の織手となったことで、ブリンモア伯爵家との縁も切り、ようやく自由になれたと思ったのに。
けれどリオネルは、スケッチブックに筆を走らせながら呑気に答える。
「どうして? こうして今、ミレイユの絵を描いてサポートしているのに」
「それが理解できないの! 絵を描いている暇があるのなら、こっちをサポート。ううん、自分の仕事を片付けてからにして」
「これも十分、俺の仕事だよ。新たな光の織手となったことを国中に知らせるには、姿絵が必要なんだ。それを他の人間に任せると思う?」
身を乗り出し、執務机の上にある私の手をそっと握った。思わずビクッとなる。
「初めて祠の中でミレイユを見た時、あまりの綺麗さにペンを持ったのと同じで、着飾った君を描くのが楽しいんだ。エレモが先に見出した、というのが悔しくなるくらい」
その言葉に、思わず頬が熱くなる。
「そ、そんなことを言っても、これ以上、仕事の肩代わりなんてしないわよ……」
さらに優しく見つめられて、照れ隠しに文句を言った。リオネルはそんな私の態度にくすりと笑い、真剣な表情に戻る。
「分かっているよ。実は、大司教たちの処罰が決まったんだ。それも報告しておこうと思って来たんだけど……つい、絵を描きたくなって」
そっちが本音ってわけね。
だけど私の絵を描きたくなる理由を知った後だけに、怒るに怒れなかった。リオネルが私の手を放さず、そっと指を絡めながら言葉を続ける。
「大司教は不正を見過ごした罪で、神殿の最下層で悔い改めの祈りを捧げる罰が下された。取り巻きたちは命の力を吸い取られた影響で星彩師の資格を失って、平民として王都を去ったそうだよ。そしてロゼッタは……すべての地位を剥奪。ブリンモア伯爵家、レイスフォード子爵家の双方からも見捨てられて、今は神殿の監視下で、罪を償う日々を送っている」
その報告を聞いても、私の心に同情は湧かなかった。
「ロゼッタも王都を去ったの?」
「王都にいても、彼女の居場所はないからね。去らざるを得ないだろう」
「そうね。確かにそうかもしれない。偽りの力に手を出したのだから、当然の報いだわ」
これまでミレイユにしてきた仕打ちを考えれば……。
そんなロゼッタたちの傲慢な姿が脳裏に浮かんだが、すぐに書類の山に視線を戻した。過去を振り返るよりも、今は仕事の方が問題だった。
「リオネル。報告は分かったから、いい加減、仕事を片付けるのを手伝ってよ。ううん。自分の仕事をして」
私がお小言を言うと、リオネルはスケッチブックを広げ、楽しげに笑った。
「してるよ。そうだ。今度は水色のドレスを着てきてよ。今の光の織手の衣装も悪くないけど、国中に広めるなら、やっぱり水色の方がいいな。凄く似合っていたから」
「そ、そう? じゃなくて、茶化さないで仕事が先でしょう!」
私は頬を膨らませて抗議をするが、彼の言葉にふとアイデアが浮かんだ。
「ねえ、だったら提案があるの。星型のペンダント、まだ出回っているかもしれないでしょう? 巡礼の旅と称して、星型のペンダントを回収する旅に出ない? ついでに、入手経路も見つかるかもしれないわ」
リオネルの目が輝き、私の手を握る力が少しだけ強くなった。
「いいね、その提案。乗った! 新たな光の織手として覚えてもらうために、国中を回る、と言えば、誰も文句は言わないだろうしね。なにより君と一緒にいられる。光の織手として輝く君を、ずっとそばで見ていたいから」
その熱っぽい言葉に、私の心が温かくなる。旅に出るにはまず、この書類の山を片付けなければならないけれど、リオネルと未来への旅が待っていると思うと、少しだけ頑張れそうな気がした。