「パンッ」と叩くような、破裂するような、ただの音。未だに何の音なのかはわからない。
聞こえて目を開けた時には彼女がいた。
ただ、目の前にいたのは青空のような瞳とライ麦畑の輝くような
「――聞いてる! ちょっと、レフ!」
「……ん、え、ああ。ごめん――考え事してた」と俺は言った。
木製のテーブルには、空の
鎖骨下まで伸びる黄金色の髪、その毛先を触っていた指には赤い指輪をつけている。リスィはため息と共に毛先から指を離して、背もたれのない椅子の上で両手を天井に突きつける。
「だーかーらー、もうお金がないって言ってるのーーー!」
伸びていく声と一緒に体も後ろへと伸びていった。
「あっ――ぎゃぁ!」
椅子の重心が崩れ、リスィは後方へと倒れていった。
スリムな手足にきれいなウエストライン、それに少々似つかわしくない大きな胸。オフショルダーの赤のトップス、ひざ上の灰色スカート――そこから僅かに見える緑色の……。
ガツンと腹に蹴りを入れられ、蹴りを入れた仰向けのリスィが言う。
「バカっ! 『大丈夫か?』って聞いてパンツ見る奴がどこにいるの?」
「……うっ。悪かった――でもそう言ってパンツ見る奴は俺以外にもいると思うが――」
リスィは倒れている椅子を持つと、俺に投げつけた。直線を描く椅子は俺に直撃したときに木を叩き割るような音が鳴って、椅子の四脚あるうちの一本が折れて、二本目は窓ガラスに飛んでいった。薄く膜を張る濁ったガラスは割れて、眩い日の光が差し込んだ。金色のコインも、赤茶色シチューもピカピカと太陽に照らされた海面のように輝く。黄金色の髪は一本一本が艶やかに光を受けていた。
「――ごめん、やり過ぎちゃった! 大丈夫?」リスィは俺の肩を触った。
「痛いが、大丈夫と言えば大丈夫……けど」
「――けど?」
顔を割れた窓ガラスに向ける。あっ、とリスィは声を漏らす。そして、耳に囁くように喋り出した。
「これって、弁償……だよね」
「間違いなく」
「お金、テーブルのあれしかもうないんだけど」
「ふたりの剣を売って――」
「そんなことしたら、モンスター討伐で稼げないじゃない。ここは――」
テーブルに立て掛けて置いといた俺とリスィのふたりの剣を持ち、両方とも俺に投げつけて渡してきた。宙を舞う二本の剣を目で追い、しっかりと掴む。
白の鞘が俺の剣で、赤に金の装飾が施されている鞘がリスィの剣。危ないじゃないかと声を上げようと彼女を見たら、枯れたようなパンを口に咥えて、シチューが入っているクリーム色の陶器を両手で持ち、こちらに近づいてきた。
「はひゃく、ひぇげましょう」
「いまなんて?」
咥えていたパンを上空に飛ばした。
「逃げるって言ってるの!」
そう言うと落ちてきたパンをリスィは器用に口で捕まえた。宿屋の店主が奥から怒鳴り声を上げて迫ってきた。リスィはさっそうと俺の目の前を通り過ぎて、宿屋の出入口に向かっていた。それを追うように俺も店主に背中を見せる形で走った。
「すみません! テーブルのお金で許してください!」
「許すもなにも、シチューの皿を持ってくな! 泥棒!」と店主は言った。
リスィは足で両開きのドアを蹴って開けた。勢いよく開いたドアは外の明かりを思いっきり宿屋へと入れた。ドアが開いたものの、徐々に閉まりだす。足に力を入れて、飛び出すように(あるいは跳ねるように)狭まった宿屋のドアから身を出した。
店主が閉まるドアにぶつかり、宿屋内に押し込まれた。木の床から、地面に足を着けると十メートル先のリスィが言う。
「はひゃく、つきゃまっちゃうでしょ」
もう、この町には来れそうにないな、と思いながらリスィの後を追った。町から出て二キロぐらい先にある、野花咲く丘の木の陰で俺とリスィは座り込んでいた。
「逃げるっておかしいだろ、普通」
「あのまま、あそこで弁償で数週間もいるなんて嫌。それに、ここは『ダクリュオン』の土地なんだから教会にでも突き出されたら――」
青空のような瞳は、どこか複雑に入り乱れていた。
彼女の名前は――リスィ・フォス・ダクリュオン、ダクリュオン家の王女。俺が目を覚ました時には目の前にいた。俺には記憶が無く、いったい誰なのか、どこから来たのか、すべてわからなかった。ただ、「パンッ」と叩くような、破裂するような、ただの音だけは記憶にあった。
リスィは王女でありながら、家を出て(無許可だと言っている)ひとりで旅をしていたらしい。そんな彼女はある時に、ただひとり森で倒れていた俺を見つけてめんどうを見てくれた。世界の知識も剣の使い方も、わからない俺にひとつひとつ教えてくれた。
それから今に至るまで二年間一緒に旅をした。宿に泊まることもあるが野宿も多い、一日生きていくのも大変な日だって何回もあった。喧嘩もよくしたが、なんだかんだ上手くやってきた。いまはお金が減ってきていたので、土地勘のあるダクリュオンに戻り、大きなモンスター討伐でひと稼ぎしようと来ていたのだったのだが、宿屋に荷物もなにも置いたまま出てきしまったので、困っていた。
ちぎるような音が聞こえると、視界に半分になった枯れたようなパンが目に入った。
「ほら、今日まだ食べてないんだから、半分あげる」とリスィ。
窓ガラスを割らなければこんなことにはならなかったのになあ、と思いつつ受け取った。カサカサに乾いている安いパンだ。硬いパンに力を入れてひと口サイズにちぎる。ねじ切るようにしなければちぎれなかった。口に入れたが、もそもそしているのに硬く食べずらかった。
「バカねえ、何のためにこれを持ってきたと――ほら、使って」
シチューの入った陶器の器を隣から渡してきた。リスィは自分のパンをシチューにつけた。シチューをつけたところで硬いのか、口を閉じずに顎を動かしながら食べていた。俺も一緒に似たように硬いパンを食べた。
「硬いなあ」と俺は言った。
「こんなに硬いなんてわたしだって思ってなかった――うっ……かたっ」