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第3話

 背中にはリスィを、片手にはピュートーンの残骸を引きずって、俺は歩いていた。雨はもう一時間前から降り出していて、エウロス方面に行きながら雨の当たらない場所を探していた。やっと、浅い洞窟を見つけて俺たちは入った。

 火を起こし、ピュートーンの食べれそうな場所だけ解体して焼いていた。



「ごめんない、わたしが動けなかったせいで――くしゅん!」とリスィはくしゃみをした。

「いなかったら丸呑みされてたんだし――それと服とりあえず脱いだら?」

 黄金色こがねいろの髪も服も全身濡れていた。納得いかない顔でリスィは言う。

「着替えはないし、脱いだら下着だけの姿なんだけど――くしゅん!」

「そうは言ってもなあ。そのままだと体温奪って危ないだろうし……」



 俺は立ち上がり自分の鞘に入った剣を洞窟のおうとつに引っ掛けた。リスィは数十秒睨み続けると、ぐしゃぐしゃと頭を掻いてふらふらと立ち上がり、服を脱ぎ出した。


 濡れて肌に張り付いたオフショルダーの赤のトップスは胸に突っかかり、体を左右に揺らしながら脱ぎ――ひざ上の灰色スカートはホックを上から準に外し、二つ目を外した辺りでくしゃみをしてそのまま地面に落ちた。リスィは俺のことを睨むと「取って」と言った。



「自分で取れば――」

「わたしふらふらなんだから、座ったら立てなくなっちゃう――レフに服を……その、変に触られたくない――くしゅん」



 火の明かりによって濡れた生脚が艶やかに揺らめいていた。俺は手を伸ばし、スカートをつまむとリスィは丁寧に足を動かし、スカートの上から退く。動く度に息を漏らし――ぺた、ぺた、と湿った足音が僅かに聞こえた。


 濡れて水がぽたぽたと滴るスカートは見た目より重くなっていた。そっとリスィに渡すと、奪い取ると称せるぐらいの早さで取り上げた。


 緑色の下着姿でキュッとしまった腰回り、少し太い骨盤から下に掛けて絞るように細く長い脚。狭い肩幅にそれに反比例するような胸、メラメラと燃える火が生々しさを強調した。上に突っかかっている鞘に服を掛けると、両膝を手で抱えて座った。

 じいっと俺を見て、守るようにぎゅっと体を絞めた。そのせいで肉感がぐっと出た。



「……こう言うのもあれだが、その体勢はやめたほうがいい。ラフにしてくれた方が――」

 熱した鉄のように頬を赤らめると「バカっ! 死ね! 木端微塵にしてやる!」

 指輪をつけた手で指を構えた。

「待てっ! さすがにそれはまずい!」

 リスィはくすっと笑って言う。

「――バカっ。そんなわけないでしょ」

 冗談か――と思い息を吐いた。リスィは顔をしかめると、体がピクッと動いた。

「ぶしゅん!」とくしゃみをした。

 その瞬間、構えていた指がパチンと鳴りピュートーンの肉のひとつが消え去った。

「――あっ」とリスィは言った。



 ◇◇◇



 雨が上がった次の日。いつもはリスィが俺の前を歩くか、一緒に横並びかのどちらかだが、今日は俺が先頭に立った。こんなジャングルみたいなところを早く出るためだ。だけど実際は昨日の指輪で消されそうになったことで俺が怒っているだけ。リスィもさすがに大人しくしていた。冗談とはいえ、一歩間違えれば容赦なく人を殺めてしまうことができるからだ。



「レフ……方向あってそう?」

「……ああ、大丈夫なはず。小川を頼りに登ってけば、こんな場所抜けてネレウスに行ける」



 小川の水は透明だが、緑色にも見える。トンネルのように草木が立ち並び、青々とした葉が光を通して葉の色が反射しているからだ。川の流れは遅く、鳥のさえずりもあちこちから聞こえる。リスィがいつもより口数が少ないからか、妙に強調して聞こえた。



「ねえ、レフ」とリスィは言った。

「……なんだ」

「昨日こと謝る。怖い思い……させちゃって」

 俺は立ち止まった。

「俺も悪かったよ、リスィ。いなかったら助からなかったのに――」後ろにいるリスィに顔を向ける「それに、こんないい旅リスィがいなかったらできなかったからな」


 リスィはクスッと笑う。

「ありがとうレフ」

「感謝したいのは俺の方だよ。いつかは守ってやれるぐらい強くなるよ」

 リスィは歩き出し、隣に立った。自分の黄金色の髪を撫でて言う。

「わたしに勝てる日が来ると思ってるの。調子に乗りすぎ、師匠はわたしなんだから」リスィは視線を俺に向けた「でも、嬉しい。そうなる日まで待っといてあげる」

「来年には超えてるさ」

「楽しみに――ぎゃぁ!」



 水しぶきが舞った。隣にいたリスィは足を踏み込んだ瞬間に小川に落ちた。川に向かって伸びている長い葉が先端を濡らして揺れている。川によって浸食されていた地面が長い葉によって見えず、足を踏み外したらしい。リスィは「せっかく服乾いたのにー! もう濡れてやるー!」と騒いでいた。



「ほら、手を貸すよ」俺は手を伸ばした。

「ありがと――ねっ!」



 ぐいっとリスィは俺の手を引っ張った。うわっ! と俺は声を上げ、顔から水面へと当たった。ひんやりとした川の水は、汗のべたつきなんて最初から無かったみたいに洗い流してくれて、気持ちよかった。



「気持ちいいでしょ」



 濡れ上がった顔はいつもより輝いて見えた。髪は乱れていて、笑みは恥じらいのひとつもなく、整った美しさなんていえるものではないが、きれいに磨かれた宝石なんかより素晴らしいと思える笑顔だった。



「やったな――くらえ!」水をリスィに向かってかけた。

「バカね、わたしは水遊びだって最強なんだから!」



 リスィは向かっていった水を避け、反撃してきた。はたから見ればおかしな奴らに見えるかもしれない。でも、そんなことどうでもよかった。

 俺とリスィのふたりしかここにはいないんだ。どちらかが冷静になれば、濡れた服やネレウスまでどうするかとかそういう話ばかりになる。そんなことを忘れて楽しく水遊びをする――くだらないことだけど、くだらなくてよかった。俺もリスィも笑ってるから――。



 ◇◇◇



 水遊びから二日後にネレウスに着いた。あそこからだったら本当は一日あれば着くはずだったが、濡れた服は重く、休憩と服を乾燥に時間を掛けてしまい時間が掛かってしまった。


 ネレウスは頻繁に船が行き交っている。ダクリュオンの貿易の港で、人も多い。湿った木箱に麻袋、コロコロと樽。俺は初めてきたが、かなりの活発な都市だとすぐにわかるぐらい栄えていた。

 何度か来てるけど、さすがねここは、とリスィは王女らしい発言をしていた。ただ、観光するわけでもなく、すぐにギルドに行ってモンスター討伐の依頼を手に取った。



「ケルベロス! いち、じゅう、ひゃく……これだけあれば一ヶ月は豪遊できる! さあ、レフ――討伐、討伐!」



 リスィは舞い上がりながら歩いた。リスィの力でも難しくはあるが、倒せない相手ではないはず。舞い上がったリスィは前を見ずに俺に話しかけていたせいで、ギルドにいた集団にぶつかった。謝りながら俺とリスィは後にしたが、なんだかひそひそとその集団は話し合っていた。

 乾かしたとはいえ、小川に入ったせいで臭いが目立ったのかもしれない。試しにリスィの頭に鼻を近づけて嗅いだみたら、腹に肘打ちされ、痛みに堪えようと腹を押さえて頭も下がったところを、見事なぐらいに頭を蹴られてしまった。周りの通行人は「おお!」などとリスィのキレのある動きに関心していた。



「――で、まずはお金が手に入ったら貴族御用達の高級浴場で――それで、この街にはライ麦畑があって、品種改良されたここでも育つきれいなライ麦で――」



 あらから理由を話してからは「初めからそう言いなさいよ」と言って、怒りも元に戻り、リスィはお金が手に入った後のことばかり話していた。街の中心から離れて、いま歩いているところは簡易的ではあるが舗装された石畳の道になっている。


 ケルベロスのいるところは、何十年も前に放棄された鉱山の跡地。最近になって住み着いているのが発覚して、ちょうど上手いこと俺たちが先に手に取ったのだった。硫黄の匂いが漂ってくると、鉱山入口の三十メートル先ぐらいについた。ここからでも僅かに腐ったような獣臭を感じる。



「さあて、レフ。こんな貧困生活とは一時おさらば。準備はいい?」とリスィは言った。

「なんでいつも一時なんだよ」

「使う時はぱーっと使って――」



 一瞬、違和感のある音が耳を過った。思い出したかのように風を切る音だとわかったあとには、リスィの片脚が矢で射抜かれていた。リスィが膝をつき、よろめく。鉱山入口の影からさっきぶつかった集団が出てきた。



「見つけたぜ、リスィ・フォス・ダクリュオン。探してたわけじゃないが、ついてるな」と男たちのひとりは言う。

「――わたしを捕まえる賞金稼ぎか何か?」

 血が出た脚を抑えリスィは立ち上がる。

「いんやあ、別に。お前らと同じさ、良さそうなモンスター討伐を探していたんだがな――ケルベロスなんてよくやるぜ。俺らにはムリだが女ひとり捕まるぐらいなら難しいことはねえ」



 リスィは剣を抜いた。続くように俺も剣を抜く。十人程度いる男たちは近づいてくるが、あいつらはリスィの実力を知らない――この程度なら一瞬で決着をつけられることなんて。

 地を這うような低音、風を切り裂く中音、天を仰ぐような高音が響き渡る。それは鉱山入口の暗いトンネルからではない、鉱山の入口のその上から――リスィは目を見開いて、俺に向かって叫んだ。



「レフ、避けて!」



 二年もリスィと生活し、教わっていたおかげで彼女の声を聞くと反射的に体が動いた。すぐに斜め後ろに下がった。男たちのいるところに着地したのは三つの頭を持つケルベロスだった。


 着地してまもなく、砂煙が舞ってよく見えないうちに男たちは一斉にやられていた。一瞬にすら思えた。リスィも怪我を負って危ない状態だ、一旦逃げよう、と彼女に伝えようとした。リスィは俺が言う前にもうこちらを見ていた。



「……レフ――わたし逃げれないや」



 右目は潰れ、体中には打撲のような痕に傷口もある。リスィは片脚を矢で射抜かれていたせいで、石畳の欠片やケルベロスの爪から避けるのが遅れていたのだった。



「リスィ!」と俺は呼ぶように声を掛けた。

「――先に帰って」続けてリスィは言う「……もし、わたしが帰ってきたら、わたしの為に医療費――しっかりと稼いでね」



 傷や怪我なんてもろともせずに、彼女は目の前のケルベロスに挑んだ。凄まじい早さで斬りつけ、ひとつひとつの斬撃が深く刻まれた。走りながら小石を蹴り上げると指をパチンと鳴らし、目くらましに使った。うろたえている間にぐっと足を踏みしめ、ケルベロスの左頭の首を切り落とした。


 足に力を入れたせいか、血が脚の傷口から噴出して、よろめいた。ケルベロスは叫びながら前足で、リスィを弾き飛ばした。立ち上がり、倒れ転びながらも剣を支えに必死に脚を上げようとしていた。

 獲物が動くのを待つかのようにゆっくりと、ケルベロスはリスィに寄っていた。このままでは、リスィがやられてしまう。俺は剣を構えて、息を吐き――リスィを狙うケルベロスを右斜め後方から斬りにいった。



「――弱い奴が強い奴を助けるなって言っただろ!」



 今までになく声を荒げて、リスィは叫んだ。彼女の言った通りだった――斬り掛かろうと重心を移動させた時にはケルベロスは体を僅かにひねり、右頭が俺に喰らいつこうとしていた。自ら飛び込むような真似だった――。

 死ぬ――と思い、目をつぶった。けど、まだ音は聞こえていた。


 聞こえて目を開けた時には彼女がいた。ただ、目の前にいたのは青空のような瞳とライ麦畑の輝くような黄金色の髪と――右腕を失ったリスィだった。

 彼女が――リスィが、力を振り絞って俺を助けた。



「……リスィ、その腕――俺のせいで」

「くれてやっただけ――最後までわたしのめんどう見なさいよね……バカっ――」



 俺の上に乗り向かい合った状態のリスィは体をひねって、彼女の右腕を食べている右頭のケルベロスに向かってパチンと左手の指を鳴らした。リスィの右腕が爆発して、ケルベロスの右頭も粉々になった。唯一、彼女の剣は地上に落ちている。リスィはひねった体の勢いで、地上へと体を移していった。



「ここまで来たなら、わたしをひと安心させて――」

「俺だっていまので学んだから大丈夫だ、安心させる」

「――その言葉二十一回目……でも、信じる」



 倒れた彼女を背中に、俺は剣を握り、ひとつ頭のケルベロスに向かった。弱っているのだろう、俺でも対等に戦えている。だけど、青黒いケルベロスの肌は鉄のように硬い。どこかで、首を狙って落とさなければいけない。リスィのように――。


 俺は走ってる最中に石を拾い、ケルベロスの目に投げつけた。片目を閉じたケルベロスは一瞬ひるんだ。その隙にすぐに首元まで行き、ぐっと足を踏みしめ首に剣を当てた。だが、俺の力では深くは斬り込めなかった。剣は木に挟まった斧のようになり、ケルベロスは後ろ足で立ち上がり、顔を上げた。剣を持ったままぶら下がった状態になっているなか、音ない声が聞こえた。



「――レフ手を離して――」



 そう、彼女の声が聞こえた気がした――信じて俺は手を離した。重力に引かれ、地上に向かう体。俺はケルベロスに刺さった剣を見ていた。パチン――と音が鳴った。黒い剣身は一瞬で赤くなり、爆発を起こした。ケルベロスの最後の頭は吹っ飛んだ。



「――リスィ!」俺は彼女を抱きかかえた。

 片目が潰れた彼女が俺を見る。無事な方の目も虚ろになっていた。

「二年もいたのに、俺――何もリスィに」

「――バカっ。ちがう……」とリスィは口を小さく開ける。

「何が、何が……違うって」

「二年と四ヶ月――でしょ……」



 リスィは左手を向けた。今までにないぐらい弱々しい手を向けた。顔の口角を少しずつ上げて笑顔を作った。俺も左手を出し合い、そっと静かに叩いた。「パンッ」と手のひら同士が合わさる音は聞こえなかった。



「――……よっしゃー……」

 そう呟いた――俺とリリィの異なる絞り出す声で。



 ◇◇◇



 青空のなか、黄金色のライ麦畑が見える丘に俺は立ち、赤に金の装飾が施されている鞘を腰につけ、赤い指輪はネックレスのように首に下げている。


「パンッ」と両手で手を叩いた。叩くような、破裂するような、ただの音。右手を降ろし、左手を見た。丘の上にある木の下ではリスィが眠っている。永遠に起きることなく眠っている。二度とあの手に触れることはできない。



「三年後、また来るよリスィ。いろんな話聞かせてやる」



 背中を向け、丘を下った。途中で止まって振り返りたかったが、それをしてしまったら覚悟がつかないと思った。三年後には魂が戻ってくるという。ただ本当に戻ってくるわけじゃない。言い伝えなだけだ。信じてはいない――でも、信じたくなる。


 ここで俺がリスィの死を悲しんでいても、彼女はそれを望まない。三年後に魂が戻ってくるというなら、それまでに仲間を死なせないぐらい強くなりたい。俺はライ麦畑を見ながら呟く。



「三年は長いよな、リスィ――」


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