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第5話 聖なる台座

 アムルはそっと見学の列から外れた。

 皆、それぞれ選ばれし献身者セリアンの胸像に夢中で、誰も気付いていない。


 廊下に出れば、行き交う人の数は多い。


 もありなん。

 ここは聖都アルセリア。その大聖堂。

 エクレシア・ヴィヴァルボルムの総本山である。


 法衣を纏った聖詠者オラシエル巫聖ヴィララが多いが、普通の服装のただの信者もちらほら見受けられる。


 そんな中でも学び舎ヴィラリアの制服は目立つ。

 せめてもの足掻きで、アムルは帽子を外すと、ぎゅっと胸に抱き締めて。

 足早に「その場所」を目指した。


(知らない。けど、


 どこへ向かっているのか。

 どこへ行きたいのか。


 アムルは段々と駆け足になる。

 周囲の視線も、声も、何も気にならなくなっていた。




 重い扉を僅かにじ開け、身を滑り込ませる。


 眩しいけれど優しい光が、ふわりふわりと蛍のように漂っていた。

 柔らかな緑色。

 少しパンドラの眸の色と似ているかもしれない。

 そんなことを思った。


 広い露台バルコニーのすぐ外に。

 手を伸ばせば届きそうなくらい近くに。


 生命の大樹ヴィヴァルボルの幹が、正確には幾つも絡み合った太い幹の内のひとつが、そこにあった。


 何本もの幹が互いに絡まり合い、太く重なって。

 天と地を繋ぐように、遥か彼方まで伸びている。

 端など、枝葉など、ここからは到底見えはしない。


 苔むした樹皮。

 幾千年も時を経た存在。



 世界はこの大樹から始まったのだ。



 ゆっくりと露台の端に近付いて。

 アムルはに気が付いた。


 聖なる台座ヴィヴァルターロ


 選ばれし献身者セリアンが、生命の大樹ヴィヴァルボルに、その身を捧げる台座である。


 吸い寄せられるように、アムルは台座に近寄った。


 ふわふわと夢見心地な足取り。

 地に足がついている感じがしなかった。


 ゆっくりと手を伸ばし、そして。


「触れてはなりませんよ」


 柔らかく穏やかな声に止められた。

 アムルは振り返ると、ひざまずこうべを垂れた。


 そこに居たのは見知らぬ導師アルコン

 老齢の男性だった。


学び舎ヴィラリアの子ですね。迷ったのですか?」

「いいえ」


 アムルはゆっくりと立ち上がり、首を横に振った。


「ここに、来たかったのだと思います」

聖なる台座ヴィヴァルターロに?」


「はい」

「呼ばれたのですか」


 導師の言葉にアムルはまた、首を横に振った。


「違う、と思います。わたしは、ここに来たかった。聖なる台座ヴィヴァルターロを、この目で見たかった」


 アムルはどんな表情を浮かべたらよいのか迷って、途方に暮れたまま導師を見た。


「あなたは、迷っているのですね」

「はい、導師アルコン。わたしは……迷っています。たぶん。……迷っているのだと思います」


 導師は静かに先を促す。

 アムルはゆっくりと唇を舐めた。

 緊張の所為せいだろう。ひどく乾いていた。


「わたしの友達が、一番大事な子が、選ばれし献身者セリアンになるのです」


 導師が頷く。

 アムルは段々とわからなくなってきていた。


「わたしは、悪い子です。不敬です。選ばれし献身者セリアンを祝福できないかもしれない。どうしても、気持ちが穏やかになってくれないのです。あの子が、生命の大樹ヴィヴァルボルに奪われるように思ってしまうのです」


 導師はそっとアムルに近寄り、俯いたその頭に手を乗せた。

 そうして二度、優しく撫でた。


「あなたは、罰を受けたいのですね」


 アムルは俯いたまま、頷いた。

 導師は優しく続ける。


「あなたの迷いは若さ故です。

 あなたはまだ子供。未熟な魂。

 まだそこに至っていないだけなのです」


 アムルは顔を上げた。

 導師は優しい笑顔を向ける。

 それは慈愛に満ちたもので。


 心がほっと温かくなるような気がした。


功徳メリティを積むのです。

 迷って、悩んで。そして進みなさい。

 いずれ、わかる時が来るかもしれません」


 アムルは不安になった。

 来るかもしれない。導師はそう言った。

 それならば、来ないこともあり得るのではないだろうか。


「わからない時も、あるのでしょうか」


「人は未熟な存在です。

 ですがあなたは学び舎ヴィラリアの子。

 いつか正しい答えに辿り着けるはずです」


「正しい答え……」


 アムルは不安そうに視線を揺らす。


「正しくない答を選んでしまったら……」


絶望の淵ヴェルガロスに堕ちます」


 死者の使者の魂が向かうのは冥界ネクソムだけではない。

 罪を犯した者は絶望の淵ヴェルガロスへと堕とされる。

 そしてそこで千年。

 罪を償えば、また現界ミディアルドへの輪廻が許されるという。


 それでも許されぬほど重い罪を犯した魂は、嘆きの地ドルマヴェスにて永遠に苦しみ続ける。



「大丈夫ですよ。あなたは学び舎ヴィラリアの子なのですから」


 導師の優しい微笑に、けれどアムルは黒い不安を消すことはできなかった。




(いつか、わたしは嘆きの地ドルマヴェスに至るかもしれない)


 何故だろう。

 その考えが頭をよぎったのだ。


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