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第5話 祝福の手順

 一歩前へ出て、一礼。

 そして舞うように祈る。右手、右足、左手、左足。

 そしてくるりと回り、元の位置で静止する。


 形式は正しくとも、気持ちの伴っていない、それは……。


(振り付けを覚えるのが精一杯の、歌劇オペラ歌手みたい)


 白衣者カンドレルたちは淡々と手順の確認をしていく。


 その表情は貼り付けられたような笑顔。

 少なくともパンドラにはそう見えた。


 なんとなく目で追っていたら、若い女性の白衣者、確か名前はエメ、と視線が合った。

 彼女は微笑んでやって来る。


「疲れましたか、選ばれし献身者セリアンパンドラ。飲み物をお持ちします。水と梨の果汁を割ったものと、どちらがいいですか?」


(優しい表情なのに、なんでかしら)


「では、梨の果汁を割ったものを、お願いします」

「畏まりました」


 コップを両手で持ち、こくこくと飲み干して。

 パンドラはゆっくり息を吐いた。


 梨の果汁の優しい甘みが、じんわりと広がっていく感覚。

 だが、咽喉が潤っても、胸の奥の乾きは癒えなかった。


 白衣者たちは一糸乱れぬ所作で立ち働き、一定の距離を保って、パンドラを見守っている。

 誰もが整った微笑を浮かべ、静かに、穏やかに、敬意と節度をもって接してくれる。


(優しい。だけど……)


 遠い。


 冷たいのではない。

 寧ろ、その目はまっすぐで、崇敬に満ちている。


 自分のことを選ばれし献身者セリアンとして、敬ってくれている。


 わかっている。

 わかっているのに──心が擦れ違っていく。


(避けられてるわけじゃない。わかってる。でも……)


 ふと、目が合った白衣者がそっと頭を垂れる。

 それは心からの礼節。


 だがパンドラは、そこに距離を感じてしまった。


 心が静かに冷えていく。

 誰も、悪くないのに。


(まるで……聖なる檻に閉じ込められてるみたい)


 白衣者の青年、ドミニクがふと、眉を寄せた。


「エメ」

「はい」


 エメを呼び寄せると、ドミニクは小声で問い掛けた。


選ばれし献身者セリアンパンドラ、疲れていないか?」

「ええ、咽喉が渇いてらしたみたい。梨の果汁をお持ちしたわ」


「そうじゃなく……」


 ドミニクは少し言葉を探した。


選ばれし献身者セリアンであられるが、まだ子供だ。休憩を入れた方が良くないだろうか」


 エメは注意深くパンドラを窺う。

 パンドラは巧みに隠しているけれど……。

 エメは口に出していいものか少し迷って、けれど囁いた。


「……途方に暮れている子供、かしら」

「うん。――もっと寄り添って差し上げた方が、」


「なりません」


 年配の男性の白衣者、マティアスが静かに二人を制止した。


「近付き過ぎては傷付くことになります。選ばれし献身者セリアンパンドラも、――あなたたちも」


 ハッとしたように若い二人は顔を上げ、少しだけ苦しそうに頭を下げた。


 選ばれし献身者セリアンに近付き過ぎてはいけない。


 過度な情は誤解を生み出す。

 過度な共感は心を乱す。


 選ばれし献身者セリアンも、白衣者も。

 いずれ必ず、傷付けることになる。


 だからこそ、祈りの手順も、言葉も、礼節を欠いてはならない。

 それは「距離」ではなく「守り」である。


 けれど。

 パンドラにはそれが「壁」に思えた。


 尊重されている。

 頭ではそう理解できても、心は別だ。


 笑顔を返してくれる者は居ても、心を寄せてくれる者は居ない。

 それが何よりも、痛かった。


 擦れ違いざまに白衣者が軽く会釈する。

 その所作に悪意など微塵もなく、ただ誠実で。


 だからこそ、悲しい。

 敬われるほどに、孤独を感じてしまう。


 その優しさは透明で冷たいガラスのようで。

 向こうが透けて見えるのに、触れられない存在だった。


(このまま、誰とも……ちゃんと話せないのかしら)


 心を寄せて、語り合って。

 気持ちを伝えて寄り添って。


 そんな簡単に思えることが、今、酷く遠かった。


(――アムル)


 パンドラは目を閉じて親友を呼んだ。

 話したかった。どうでもいいようなことを話して、一緒に笑いたかった。


 けれど。

 こんな姿をアムルに見せることはできない。


(こんなの……選ばれし献身者セリアンに、相応しくないもの)


 パンドラは袖に隠してぎゅっと拳を握った。


 選ばれたのだから。


 ちゃんと、やらなくちゃ。

 わたしが、やらなくちゃ……。


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