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第6話 微笑みの抜け殻

(わたしったら、何をやってるのかしら……)


 ざわつく胸を抑えつつ、アムルはこっそりと、けれど早足で歩いていた。

 隠形の術カシャルトを掛けて、身を隠して。


学び舎ヴィラリアを抜け出すなんて)


 見つかれば怒られるだけでは済まない。

 反省室から何日も出られないかもしれない。


 それでも止められなかった。


(こんな術式まで覚えて……)


 理力を整え、使役する方法は一年生から習うものだ。

 けれどそれはことに使うものであって。

 こんな風に悪いことに使ってはならない。

 それはエクレシア・ヴィヴァルボルムの教えに反する。

 それでも。


(構いやしないわ)


 アムルは身を屈め、大聖堂の裏手からこっそりと忍び込む。

 未熟な隠形の術カシャルトでは簡単に見露されてしまうはずなのに。

 何故かアムルは誰にも見咎められず、声も掛けられず、大聖堂の奥まで辿り着いていた。


 扉の向こう。

 白い影がひとつ、踊るように動いていた。


 白衣者カンドレルたちは居ない。

 ここは選ばれし献身者セリアンの控室のような場所なのだろうか。


 選ばれし献身者セリアン法衣ローブを纏ったパンドラは、夢のようにきれいで。


 けれどアムルは眉を寄せる。

 パンドラの浮かべた微笑みは、ひどく人形めいて見えた。


「……誰?」


 パンドラは振り返り、首を傾げる。

 アムルは隠形の術カシャルトを解いた。

 滲み出るように、アムルの姿が扉の脇から現れる。


「……わたし。アムル」


 パンドラは驚いて目を瞠って。

 けれど肩を震わせて笑い出した。


「なあに、あなたまた変な術を覚えたのね?」


 いつものパンドラの笑顔だ。

 アムルはホッとして駆け寄った。


「来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないわよ。見つかったら大変よ」


「うん。すごく、叱られちゃうね」

「とんでもないわ。学び舎ヴィラリアを抜け出すなんて。しかも、大聖堂まで来るなんて!」


 アムルはやはり、少しだけ眉を寄せる。

 パンドラの声にどこか、違和感がある気がした。


「パンドラ、無理してる……?」


 アムルの台詞にパンドラは一歩、後退あとずさった。


「無理なんて、してないわ。わたし、ちゃんとできてるのよ」


 アムルは手を伸ばし、パンドラの手を取る。

 振り解こうとして、できなかった。

 パンドラは少し、諦めたように睫毛を震わせる。


「手、冷たいよ」


 アムルがパンドラの手を取って、そうっと包み込んだ。

 微かに震える指先。


 けれどパンドラはすぐに笑みを浮かべてみせた。

 いつものように、少し意地っ張りで、少し誇らしげな、笑顔。


「心配しすぎよ、アムル。ちょっと寒いのよ、ここ。それだけよ」


 アムルは少しだけ躊躇って、けれどパンドラを引き寄せると、そっと、そっと、抱き締めた。


「こうしたら、少しは、あったかい?」

「……」


 パンドラの肩が大きく震えて、けれど涙は零さなかった。


 鐘の音が、聞こえた気がした。

 あの時と同じ音色。同じ響き。


 世界の深淵から響いてくるような、不吉で……けれど、どこか懐かしい音。


 鐘の音が背中を押してくれた気がした。

 アムルは口を開こうとして、けれどパンドラが先に囁いた。


「わたし、頑張るから……だから、アムルは見てて、わたしのこと、ずっと」


 逃げたかったら、一緒に逃げよう。

 そう言いたかったのに、先を越されてしまった。


 パンドラがそう言うのなら……。

 見ていてと言うのなら、アムルは従うしかない。


「――わかった。見てる。ずっと、ずっと。パンドラのこと、見てるよ」


 目を離さずに。

 最後の瞬間まで、ずっと。


(でも、パンドラ……)


 アムルは声に出さずに囁く。

 パンドラの肩に額を埋め、体温を移すように優しく抱き締めて。


(逃げたかったら、わたしが、なんとかするから)


 だから、パンドラ。

 泣いてもいいんだよ。


(絶対、わたし、なんとかするから……)


 誰に咎められたって。

 世界に抗ったって。


(パンドラが、望むように……)




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