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第四章 呪う言葉と祈る歌

第1話 沈黙の蔵書庫

 古代図書館での調査を、アムルはほぼ終えた。

 埃を被った石板、破れた羊皮紙、風化しかけた写本――

 あらゆる記録を読み漁り、アムルはできる限りの手を尽くした。


 これ以上、ここで得られる新たな情報は無いだろう。

 そう考えたのは、根拠のない直感ではない。


 記録は断絶。神話は象徴にまみれ、元の形を成していない。

 真実は意図的に隠されているのではないか――そう思えるほどに、情報の欠如が目立つ。


 ……単に不要なものばかりを放り出した結果、なのかもしれないけれど。

 そもそもが放棄された古代図書館なのだし。


 いずれにせよ、これ以上ここに留まる理由は無い。

 アムルは聖都アルセリアを発つ決意を固めた。


 探るべきは生命の大樹ヴィヴァルボルの仕組み。

 そして、選ばれし献身者セリアンの魂の行方。


 パンドラが、本当に高次霊魂として天界レミナリアに至り、永遠の安らぎを得られているのなら、それでもいい。

 安らかに眠れているのならば、無理に手を伸ばすべきではない。


――でも、そうじゃないなら


 助け出す。必ず。


 断章十二の詩の一節。

 ほんのひとかけら。

 それがずっと胸に残っている。


――幹に眠りし君を呼ぶ


 それが選ばれし献身者セリアンを指しているのなら。

 生命の大樹ヴィヴァルボルの幹に、まだパンドラが眠っているのなら……。


 古書にあった諸説の断片は、言い換えるならば幾つもの可能性だ。

 ある異端の写本には、世界樹――生命の大樹――は単なる神話上の象徴ではなく、魂を循環させる「装置」であると記されていた。

 また、別の解釈では、選ばれし献身者セリアンの魂は大樹の果実として実り、いつか再び地上へ戻るとある。

 一方、他宗教の教えでは「死とは終焉」であり、待ち受けるのは「無」であるとされていた。


 どれも決定打には至らない。


 だが、アムルは絶望しなかった。

 胸に生じたのは、疑念も、希望も、どちらもだ。


 そもそもの記述が無い事象もあまりに多い。

 例えばアムルの身体のこと――世界霊魂アニメスフェーロを吸収して生命を維持する存在――など、どこにも載っていない。

 果たして呪われし力マレフォルティアに順応したのか、毒されたのか。

 アムルの身体は「人」から「人ではない何か」に作り替えられたようだ。


 そして呪われし力マレフォルティアとはそもそも何であるかさえも、まだ霧の中。

 どうやら、生命の大樹ヴィヴァルボル以前の神話体系に関係がありそうだということは掴めたが……。


 ふと、アムルは学生時代の授業のことを思い出す。


 確か、南東のヴェルマリオン国では、光の竜を祖として崇める部族があった。

 ナハドラク……だったか。

 授業の本筋に関係のない雑談めいたものだったが、そう記憶している。


 行けば何かわかるだろうか。

 アムルはふわりと宙に浮かび上がった。


 アムルはもはや、人間とは呼べない存在ものであった。

 既に人のことわりから逸脱している。


 思い描くだけでその姿をも、変えられる。

 例えば、鳥であるとか、蝶であるとか。

 けれど、遥か遠くへ飛ぶならば、形など無い方が良い。


 ゆっくりと。

 アムルの身体は指先から砂のようにほどけていく。

 輪郭を捨て、色を捨て、重さを捨てる。


 風になるのだ。


 この半年で、こんなことまで身に付けた。

 ――魔王らしくなってきただろうか。

 小さく笑い、アムルは意識を外へ向けた。


 眼下にはアルセリアの街が広がる。

 旧市街、大聖堂、広場、学び舎、そして、生命の大樹の幹。


 ここまで昇っても、まだ幹なのだな、と。

 改めて大樹の大きさに圧倒される。


(いずれ、暴いてやる)


 生命の大樹に宣言し、アムルは南西へと意識を向ける。

 暫しの別れだ。


 森が、川が見える。

 山を越えて、遠く、遥か向こうへ……。



 アムルは風となり、南東へと翔けた。



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