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第8話 奇跡とまやかし

 聖都アルセリア。大聖堂にて。


 各地から届いた報告書を携えた小姓ペイジたちが走り回っている。

 普段ならば廊下は走るなと叱責されているだろう。

 だが、火急の時である。


 至聖導師グランダルコンイアサントは各地から寄せられた、膨大な報告を聞いていた。


「旱魃の地に雨が降った」

「荒れ地に草が芽吹いた」

「病が癒された」

「夢の中で歌が聴こえた」


 報告の届いた場所は世界各地に及び、その内容は千差万別。

 だが、共通点が三つほど存在した。


「どこからか聞こえた歌」

「聖典にない言葉」

「神のような女の声」だ。


 報告を行った聖詠者オラシエルは微かに震えながら、報告書を畳んだ。

 山のような報告書の束を纏めて従者ヴァレットに渡すと、恐る恐るイアサントに問い掛ける。


至聖導師グランダルコン、これは――やはり生命の大樹ヴィヴァルボル、あるいは神が、なんらかの奇跡を行われたのでしょうか……」


 従者も息を詰めてイアサントの返答を待つ。

 小姓たちが扉の影から恐る恐る様子を窺っている。


 誰もが人知を超えた出来事を畏れ、震え、思い乱れているのだ。


 イアサントは目をすがめた。

 酷薄な表情が薄く、唇に乗る。


「神ではない。魔王だ」


 イアサントの言葉に動揺した小姓の一人が、抱えていた報告書の束を落とした。

 慌てて周囲の者らも手伝って拾い集める。

 焦っているのか一人が尻もちをついた。


 だがイアサントは、それらには一切視線もくれず、ただ静かに宣言した。


「今、世界に起きている数々の不思議は奇跡ではない。

 魔王の放つ、まやかしである。神をかたるモノの声だ」


「魔王……では、あのアムル・オリオールという少女が、これらを成したとおっしゃるのですか」

「そうだ。あの娘だ」


 イアサントを呪い、生命の大樹を呪い、世界を呪い、泣きながら姿を眩ませた少女。

 便宜上「魔王」と呼称したが、大した脅威とは思っていなかった。


 だが、名に見合うだけの力を身に付けたか。


 思ったよりも、やる。

 それがイアサントのアムルへの評価だった。


「我らは、我らは如何いかがすればよいのでしょう。

 典礼の回数を増やし、もっと祈りを捧げるべきかと」

「いや、魔王討伐を急いだほうが宜しいのでは」

「ユグド=ミレニオとの連携を、更に密に致しましょうぞ」


 導師アルコンたちが上擦った声で談論するのを、イアサントは冷めた視線で見遣った。



 アムルがここまで世界に影響を及ぼす存在になるとは、流石のイアサントにも読めなかった。

 ――プレケリア。失われた祈りの言葉。

 もはや知る者も少ない力を、よくぞ見つけ出したと思う。


 イアサントはアムルを心から称賛した。見事だ、と。


 だが、世界の秩序は我が手の中に握られている。

 それを揺るがすものは、ただ排除するのみ。


 イアサントは立ち上がる。

 導師、聖詠者、従者たちも全員が喋るのを止め、畏まる。

 静まり返った部屋に、イアサントの声が朗々と響いた。


「エレクシア・ヴィアヴォルムが守るものは祈りにあらず。神の定めし秩序である」


 秩序を守らなくてはならない。

 管理し、支配下に置かなくてはならない。


 それが平和と安定への唯一の道なのだ。


 至聖導師イアサントの名の元に、教団は新たな声明を発表した。


「魔王は虚妄きょもうを世にき、奇跡を偽りにてなさんとす。

 されど、世界を包むべきは偽りに非ず、秩序なり。

 聖典に記されざる旋律を謳う者、すなわち異端と断ず。

 これ、災厄の兆なり」


 瓦版ビラは大量に刷られ、また、世界各国へ布告された。

 報せの鳩アヴィヌンシアもユグド=ミレニオだけでなく、より多くの国々へ放たれることとなった。


 同時に、エレクシア・ヴィアヴォルムはユグド=ミレニオと連携。

 魔王襲撃に備え、聖都アルセリアの最終防衛命令が下された。


 これはかつてない異常事態である。

 聖戦の始まりであると叫ぶ者すらいた。


 だが。

 魔王の所業と口にしながらも、報告を読み上げる聖詠者オラシエルの声は揺れていた。

 ある巫聖ヴィララは、密かにその旋律を耳にしていた。

 それは――教典にないはずの優しい記憶に似ていた。


 聖なる台座ヴィヴァルターロには神徒レオナールと王国騎士団の万全の警備が敷かれ、蟻の子一匹通しはしないと決意を固めている。


 聖都は戒厳令のもと、祈りの地ではなくなっていた。

 石畳を走るのは兵の靴音。鐘の代わりに響くのは軍靴の号令。

 子どもたちは門の外に出ることを禁じられている。


 聖典にない歌は口にしてはいけない。

 風が運ぶあの歌は、魔王の言葉なのだから。


 子供たちは口を噤む。

 悪いことをしてはいけない。鞭でお尻を打たれてしまう。


 魔王の歌を口にするのは悪いことだ。


 けれども。

 少年は小声で母に囁いた。



「でも、歌は……きれいだよね?」




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