(新星歴4816年8月26日)
運命のネルと出会って2週間が経過した。
ギルガンギルの塔での仕事も一段落し最近はネルと二人で俺が創造したグースワースへ来ることが増えた。
先日のウッドモノルードでの騒動の様子を、他の眷属にも共有できたことで調査の効率が上がったことも、落ち着いた要因の一つだ。
今日は拠点の周りを二人で散策して、ちょうど戻ってきたタイミングで俺はネルに問いかけた。
「ネル、今は俺たち二人だけだ。この広い拠点を回すのは大変じゃないか?誰か雇おうと思うんだがどうだ?」
俺の腕にぴったりくっついている彼女が可愛らしくイヤイヤをする。
心地よいネルの香りと伝わる暖かな体温に、俺の胸に熱い愛情が沸き起こる。
「イヤです。わたくしたちの『聖言』で事足りるではありませんか…わたくしは今はまだ、グースワースでは二人きりでいたいのです」
そういって少し拗ねた顔で俺の肩に頭をコテンと預ける。
そんな可愛らしいしぐさに俺の胸はさらに高鳴る。
「ははっ、そうだな。でも聖言は基本仕込んでおかないといけないからネルが大変だろ?掃除とかは問題ないが、食事とかな。俺の作る飯はあんまり旨くない」
「ノアーナ様の作ってくださる食事も紅茶も大好きですよ?それに最近は一緒に作れるのでわたくしとても楽しいのです。卵焼き、作れるようになりましたし」
何でもこなせるネルの意外な弱点を俺だけが知っている。
料理が得意ではないのだ。
「はははっ、最初はあまりにも焦げて黒い卵焼きでびっくりしたもんな。まあネルが作ってくれたものが俺は世界で一番うまいけど」
「むう…ノアーナ様はたまに意地悪です。今度はちゃんとお味噌汁だって作れるようになりますから」
「ははは、期待しているよ?ネル、俺はこうしてお前と過ごせることが何よりも嬉しいんだ。困ったことがあったら、何でも言ってほしい」
ネルは顔を赤らめながら、こくりと頷き可愛らしい声で囁く。
「あまり甘やかせないでくださいませ…離れたくなくなってしまいます」
そして俺はそんな彼女がたまらなく可愛くて、いつでも抱きしめる。
もう俺は彼女と離れることはできないのではないかと心配になってしまう。
俺の腕の中で安心した顔をするネルを見るたびに、沸き上がる愛しさに、俺はどれだけ感動しているか、きっとネルは知らないのだろう。
「離さないさ。ネルと出会ってしまった俺がお前を離すわけがないだろ?俺の可愛いネル。可愛い顔をよく見せて?」
美しい顔が、俺にしか見せない可愛い表情で俺を見つめてくれる。
愛おしさが溢れてくる。
心を幸せが満たしてくれる。
こんな幸せが、きっと俺が欲しかったものだったのだと心の底から思うのだ。
「わたくしも、ノアーナ様の優しいまなざしが大好きです。ずっと見ていたいのです。きっとあなた様は、わたくしがどれだけ幸せかわからないのでしょうね。愛しています。ノアーナ様」
そして二人は優しいキスを交わす。
彼女の仕草どれ一つとっても、俺をときめかせてくれる。
たとえ一秒でも離れたくない。
そう心から思う。
俺は彼女を強く抱きしめ、自室へと転移した。
いますぐ彼女をもっと感じるために。
※※※※※
今のノアーナは完全に色ボケ状態だ。
運命に人に出会い、しかも相手も完全に惚れている。
正に乾いた砂漠に水を灌ぐかの如く、どんなに愛を交わしても満たされることがないくらいに、二人はあらゆることに理由をつけては全力でイチャついていた。
グースワースなら二人きりなのでまあ、しょうがないだろう。
だが仕事とかもある時に訪れるギルガンギルの塔でも同じことをされては、さすがにいくら信望しているノアーナだとしても、思わず怒りに囚われてしまう。
神たちとて、嫉妬はするものの、本当に長い年月をかけやっと結ばれた二人に対し、正直思うところはあるものの祝福の気持ちがないわけではない。
理屈ではわかっているが、感情が許すことを拒否してしまう。
そうなると沸き立つのは心の中の醜い葛藤。
決意を込め『受け入れる』と決めていたにも関わらず。
そして自分を責める。
神たちはノアーナが作った星を管理するために創造されたいわば管理者だ。
想いのコントロールをなくした世界において暴走する人々をいさめる役割がある。
そのように作られた。
だが感情を持たすことにこだわった結果、役割と自らの想いに必要以上に激しく揺さぶられ、強いストレスを感じるようになっていた。
「強い感情は、想いは世界を覆す」
ノアーナがよく言う言葉だ。
まさにそうなのだろう。
そして本来感じる必要のないストレスは思わぬところで影響を及ぼすのだった。
通常ならあり得ない何でもない訓練中に、ダラスリニアが大けがをした。
躱すことを前提で放った、恐ろしい呪詛を含んだエリスラーナのブレスの直撃を受け、真核に激しい損傷を及ぼしてしまったのだ。
※※※※※
ギルガンギルの中に作られた医療ルームで、ダラスリニアは存在がなくなる一歩手間だったが神々による必死の治療により一命をとりとめることができた。
連絡を受けたノアーナも駆けつけ、今状況を共有したところだ。
アースノート特製の治療ポッドに横たわるダラスリニアは、身体的な怪我は回復しており、薄っすら目を開け俺に気が付くと涙を流し目を閉じた。
どうやら眠ったようだ。
真核の損傷具合に俺は心が痛むのを感じたが、とりあえずすぐにできる処置はないと判断し、俺は落ち込んでいるエリスラーナに声をかけた。
「エリス、あまり自分を責めるな。今はダニーの治療を優先しよう」
「…ごめん…なさい、うう…ぐすっ、うああ…」
俺はエリスを抱きしめてやる。
真核が揺らぎ消えてしまいそうなほど消耗していた。
「レアナ、実際どうだ?回復にはどの程度かかりそうだ」
「アルテミリスの虚実で、真核の中の呪詛は除去いたしましたが、正直芳しくありませんわね。何とか意識はつないでいるようですが、何よりも本人が…絶望しておりますので…」
「?!…何かあったのか?」
そこにいる全員がため息をつく。
茜が俺に対し口を開く。
「ノアーナさまが…」
「ん?俺か?…俺は特にダニーを傷つけることはしていないはずだが?」
「そうじゃなくて…もう、最近ちゃんと話したの?ダニーちゃんと」
呆れたような、怒ったような、そんな顔をしながら茜は俺に言い放った。
「すまない。確かに最近ちゃんと話をしていなかった」
「だが、相談したいようには見えなかった。むしろ避けられていたような気が」
さらに大きく全員がため息をつく。
ネルはなぜだか居心地が悪そうだ。
「ノアーナ様、それはいくら何でも酷くはありませんか?もう少しダラスリニアの気持ちも考えてみてはいただけませんか」
アルテミリスが暗い表情で俺に話しかけた。
「?!…すまない、要領を得ないのだが」
俺は本当に思い当たることがなかった。
何か約束をしたとかではないはずだ。
いつも通り普通に接していたと俺は思っていたんだ。
居心地悪そうにしていたネルが口を開いた。
「ノアーナ様、よろしければ少し外していただけませんか?わたくし皆さまとお話したいことがありますので」
「…わかった。レアナ、今すぐ必要な処置はないんだな?」
「ええ、今は様子見ですわね。必要なら念話でご連絡差し上げます」
俺は聖域を出て会議室へと転移した。
ノアーナが転移していったあとすぐに。
決意を込めた表情でアグアニードも転移していった。
※※※※※
治療ルームには4柱の神々と茜とネルの6人が向き合い、正に話し合いが始まろうとしていた。
「ネルさん、茜も、取り敢えず座りましょうか。わたくしたちも一度じっくりとネルさんとお話ししたかったのですから」
「はい。人の身でありながら、恐れ多くも皆さまとお話しいただける機会を得て恐縮の極みでございます」
ネルは跪き、頭を垂れる。
ノアーナといつもいるから普段は気にしないが、本来なら異常なことなのだ。
世界を統べる神々が目の前にいることなど。
「ネルさん、かしこまらないでください。もう今更ですよ。それでは話ができません。どうぞ座ってください。モンスレアナもアースノートもエリスラーナも良いですね?」
3柱はこくりと頷いた。
「はい。それでは失礼します」
重苦しい中始まった話し合いは、ノアーナの耳に入ることはなかった。
ただ、意識を少し取り戻していたダラスリニアは、ネルの決意に涙を流しながらも、自分も頑張ろうと想い、急速に回復していく。
以前よりさらに強い想いを抱きながら。
エリスラーナも同様に、徐々に力を取り戻していくのだった…
※※※※※
俺は会議室で椅子に座り最近の行動を思い返していた。
確かにネルを優先するあまり、神々との交流は減ったように思う。
だがないがしろにしたわけではない。
空間がきしみ魔力が溢れる。
アグアニードが転移してきた。
「アグ、いつもすまないな。おまえが・・」
そして唐突に殴られた。
思わず椅子から転げ落ちた。
殴られた頬がジンジンする。
怒りというより悲しみに囚われたような表情でアグアニードは俺を見た。
「ノアーナ様はさー、酷い人だよねー。こんなにもおいらたちを虜にしたくせにさー」
「……」
「おいら馬鹿だから、うまく言えないけど…でも酷いってことだけはわかるよー」
「アグ…俺は」
基本的に負の感情を伴った攻撃を神々は俺に対し行う事ができない。
つまりこれは、愛情を込めた激励だった。
「おいらはさー今はもう多分恋とかわからないよー。でも神になる前の経験はあるからねー。ノアーナ様よりはわかるつもりだよー」
「…そうだな。俺はまだ初心者だからな」
「ネルちゃんだけにするのか、全部にするのかー、決めてよー」
「……」
「覚悟を持って」
アグアニードは真っすぐに俺を見つめた。
俺は何だかわからないが、途端に居た堪れなくなってしまった。
「…俺…は」
「しばらく悩めばいいんじゃない?…せっかく人間っぽくなったんだからー」
そしてアグアニードは転移していった。
俺はそのまま床に体を投げ出し、目を瞑った。
自分でもよくわからない感情に包まれながら、しばらくそのまま目を閉じていたんだ。