不安な夜が明ける。
ルースは怖くて母と一緒に寝たが、なぜかほとんど寝ることができず、少しふらついていた。
「お母さま、なにか気持ち悪いです……誰かが見ているような気がします……怖い」
ルースはまだ10歳だが、賢い子だ。
珍しい反応にルイナラートはルースを抱きしめ、背中を優しくたたいてやる。
「大丈夫よ。ミルラナちゃんは無事よ。安心して」
「……うん」
二人はリビングで寄り添いいながらソファーに座っていた。
暫くしてドアがノックされ、父が入ってくる。
徹夜したのだろう、眼の下にクマができている。
「おはようルイナ、ルース。ごめんな、怖かっただろ」
ラナドリクは抱っこして顔をスリスリしてきた。
「んん、お父様、髭が痛いです」
「ああ、すまんな。……顔色が悪いな、大丈夫か?」
「あまりよく寝られなくて。でも平気です」
「そうか。ルイナ、ルースを頼む。ああ、ミルラナが目を覚ました。あとで様子を見てやってくれ。俺は今から取り調べだ」
「かしこまりました。…あなた、終わったら休んでくださいね」
「…ああ、ありがとう」
伝えられた情報に安堵の息を吐く。
しかしルースの不安は大きくなる一方だった。
隣で顔色がますます悪くなるのを見てルースを一人にできないと感じ、最悪の判断をしてしまう。
「ルース、あなた顔色が悪いわ。ミルラナちゃんの様子を見たらお母様が一緒に寝てあげるから、辛いだろうけどちょっと我慢してね」
「うん」
二人は手をつないで、ミルラナが寝ている部屋へと向かう。
部屋の前まで行くと、いよいよルースの具合は最悪に悪くなっていた。
まるで心臓をつかまれたかのように動悸が激しくなる。
思わず倒れ込みそうなほど足元がおぼつかない。
「ルース、ああ、ごめんね。少しだからね」
「……う…ん…」
そしてドアをノックして声をかけた。
「ミルラナちゃん、入っていいかしら」
「……はい……」
何故か元気のない声が返ってきた。
違和感がしたが、きっと怖かったのだろうと深く考えずにドアを開く。
そして。
突然ミルラナはルースに襲い掛かり、首にかみついて来た。
「っ!?きゃあああああああ―――――痛いいいい!!!ああああーーー!!!」
ルースが激しい痛みに転げまわり逃げ惑う。
突然のことでルイナラートは反応が遅れたが、いまだ噛みついているミルラナを引きはがそうと力を籠める。
あり得ないような力に顔が引きつる。
「な、なにを?!離しなさい!!このっ」
すぐに騒ぎを聞きつけ男爵家の騎士が引きはがしてくれた。
もしあのままだったら……
失ってしまいそうな恐怖に、慌てて娘を抱きしめた。
「あああ、ルース、しっかりして」
首から酷く出血し、呼吸もおかしい。
ショック症状が出ていた。
体が痙攣をおこしている。
「誰か!お願い、誰か来て!!ルースが、ああ、ルースが!!!」
『くくくっ、うまくいった。はははっ、種を埋めたぞ!ははっ、あはははは』
妖しいレイスの言葉に気づくものは誰一人いなかった。
ルースはルミナラスの魔法により一命をとりとめた。
だが、この日から2か月、彼女の意識は戻らなかった。
※※※※※
ラナドリク男爵家の応接室は暗鬱とした空気に包まれていた。
たまたま今日来ることになっていたルミナラスにより、今回の事件には悪意が絡んでいることが確認されていた。
ただあまりにも微弱だったため、確認に時間がとられたのだ。
そして、ミルラナを誘拐したボルナーも、ルースに嚙みついたミルラナも、記憶がなくなっていた。
ラナドリクは目に涙をため、ルミナラスに深く頭を下げ絞り出すように声を発した。
「ルミナラス様、ルースを助けていただき、ありがとうございました」
「顔を上げて。命は問題ないわ。でも……心には大きな傷が残るかもしれない」
悔しそうに口を開く。
思わずため息が出てしまう。
「……悪意、ですか」
「ええ、そうね。一応解呪はしたわ。でも、今回のパターンは初めてなの。しばらく様子を見た方が良いわね」
そして俯き涙を浮かべているルイナラートに目を向けた。
「ルイナ」
「………グスッ」
「ルイナ!!」
「……は…い…」
ルミナラスは立ち上がり肩をつかみ、目を見つめ強い口調で言葉を紡いだ。
「しっかりしなさい!!母親でしょ!!あなたがルースを守らないで、誰が守るの?」
肩がびくりと跳ねる。
そして淀んでいた目に力が戻り始めた。
「あの子は今、痛い思いをして友達に傷を負わされ苦しんでいるの。あなたが助けてあげなければあの子は一人なのよ。しっかりしなさい」
ルイナラートは涙を拭いて、ルミナラスの瞳を真直ぐに見つめた。
「はい。……そうですよね。お母さんの私が嘆いている場合じゃないですよね。ありがとうルミナ姉さん」
「うん……辛いだろうけど、あの子のお母さんはあなたしかいないのよ。私も協力するから」
「はい…ぐすっ…ひっく……うう…うああ…あああああ」
抱きしめて頭をなでる様子は優しさにあふれていた。
「ラナドリク」
「……はい」
「思うところはあると思うけど、処分については待ってもらいたいの」
ラナドリクは目を見開いた。
「どういう事でしょう。確かに二人に記憶はない、でも、無罪放免というわけにも」
「ふう………ドルグ帝国のことは承知しているかしら」
「えっ?いえ、詳しくは……」
「同じなのよ」
「っ!?…まさか」
「悪意なの。原因は。……だから、これは神々と魔王の案件なのよ。一領主、ましてや国王の分をも超えてしまうのよ」
天井を見上げ一筋の涙を零すラナドリク。
その様子を見てルミナラスは悲しそうにささやいた。
「気持ちはわかる、とは言わないわ。でも、耐えて頂戴。すぐに魔王様がここに来るわ、それまで休みなさい。……そんな顔で極帝の魔王であるノアーナ様に合わせられないわ」
「っ!?……承知いたしました」
「……ごめんなさいね」
ラナドリクは力なく立ち上がり、応接室を出ていった。
「ルイナ、ラナドリクが暴走しないように見ていてあげて。ルースはしばらく目を覚まさないわ。今は旦那さんを見てあげて。ルースの事はスイネルに頼みなさい」
「はい、わかりました。ルミナラス様は?」
「あら、もう『ルミナ姉さん』って呼んでくれないのかしら?」
ルミナラスはわざと少しおちゃらけてみせた。
「もう……ふふっ、優しいですねルミナ姉さんは」
「そう?普通よ」
「あはは、そうですね。分かりました」
「ええ、魔王様に会いに行くわ。多分数刻でまた来るからね。頼んだわよ」
「はい。承知しました」
ルミナラスは念話を飛ばし、グースワースへと転移したのだった。
「ありがとう、ルミナ姉さん」
ルイナラートのつぶやきが、応接室に響いていた。