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「おかえりなさいませ、リィサ様」


 女の一人が戻ってきたのは、送り出してから三週間後のことだった。クエスト名は何と言っていたっけか。ああそうだ。


 フォレスト・トロールの駆除。

 確か、森の奥に住んでいたはずのトロールが食べ物を求めて人里に近づくようになったので、追い返すか殺すかしてほしいという依頼だ。彼女が冒険者たちへ向けて依頼文を読み上げるのが僕にも聞こえていた。


「クエストを依頼します……」


 女の髪は首あたりまで短くなっていた。あんなに艶やかで美しい黒髪だったのに、今はパサついて、白いものが混じっている。

 美容店で切ってもらったわけではないのだろう、切り口は不揃いで酷いものだった。


「お、お姉ちゃんを助けてください。誰か強い人を……お願いしますっ……!」

「承ります。クエスト名は、『ルカ様の救出』でございますね」


 神妙に言葉を返す彼女の髪も、今の女と同じ、首あたりまでの長さだった。ただし切り口は真っすぐで、髪色も白一色だ。


「おっ、お金ならいくらでも出します。あるだけぜんぶ! だから早くっ……!」


 女はマントの下をがさがさと探り、カウンターの上にコインを並べた。

 大した金額じゃない。少しいい酒を飲んで、少しいい宿に泊まったら、ひと晩で消えるくらいのはした金。


 女ふたり。夢だけ一人前で強くもない冒険者が、クエストなんかで大金を稼げるはずがない。


「42,557イェンでよろしいでしょうか」

「ま、待って」


 女のマントがひらりと床に落ちた。ああ、そこの床、今日はまだ誰も磨いてないのに、と僕は思う。


 目線を上げてぎょっとする。


 女の左腕は、肘から先がなかった。


「あたしが身に着けてる装備、ぜんぶお金にします。それで足りなければ体を売って稼いできます。だからあたしのクエストを"優先度高"にしてください」

「クエストに"優先度高"フラグを立てるには、クエスト受注者への報酬の他に、オプション料金30,000イェンがかかりますが――」


 彼女の真摯な眼差しが、いやらしさなく、女の足元から頭の先までを吟味する。


「リィサ様の装備品の合計額は、概算で12,000イェンほどとお見受けします。そうなりますと、オプション料金を引くところの受注者への報酬額は、24,557イェン。リィサ様とルカ様が受注された『フォレスト・トロール駆除』のクエスト報酬額が200,000イェンですので、相場感からいえば、だいぶお安い金額となってしまいます」


 やや回りくどい言い方を彼女はしているが、要は"優先度高"にしたところで報酬額が低すぎて誰も受注しないという話だ。


「た、足りないですよね。体売ります。何でもします。売れる臓器ぜんぶ売ります。犬とだってスライムとだって寝ます」

「リィサ様……」

「報酬額を300,000イェンに設定してください……! 受注者が帰ってくるまでに、必ず稼ぎます。お願いします、お願いします……」


 左腕の肘から先がない女が、カウンターに額をこすりつけて頭を下げる。


 どうするんだよ、これ。

 どうするんだ。ねえ、きみは。


「承りました」


 1……2……3秒かけて、最敬礼の45度。


 知ってる。何度も見てきたから。

 五秒止めて、また三秒かけて戻るんだろう?


 だからなんだ!? その行為に何の意味がある!?


 ぜんぶ幻想で、妄想で、誤魔化しで、パッパラパーの夢物語だ。

 そのクエストは達成されない。


 フォレスト・トロールは女を捕らえたら必ず犯す。受精率は100%。その忌まわしき赤子は受精から約三日で3000グラムまで成長し、妊婦の胎を食い破って誕生する。


 母の乳など必要としない。最初から歯が生えていて、最初の食事は自らのへその緒だ。

 生まれたあとは、五日かけて母の亡骸を食い尽くす。


 だから駆除が必要なのに。


 どうして女を行かせたんだ、きみは……!


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