目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第69章: 英雄と個人的な欲望

世界の重圧が戦争や目に見える悲劇ではなく、「この苦しみをどうしたらいいのか?」という一つの疑問で表れることがあります。


英雄と殉教者を分けるのは必ずしも勇気だけではありません。時には、倒れた後に立ち上がる能力であることもあります。廃墟を見てそれを呪うのではなく、瓦礫から何かを再建することがまだ可能かどうかを問うのです。


正義のために戦う者もいれば、復讐のために戦う者もいる。しかし、ただ記憶するために戦う者たちもいる...倒れた者たちの記憶が忘れ去られないようにするためだ。


そして、過去が裁判官と死刑執行人の両方となるこの内なる葛藤の真っ只中において、唯一の真の選択肢は、痛みによって私たちを破壊するか、それともそれを目的に変えるかどうかです。


本当のヒーローとは、すべての人を救う人ではなく、傷ついても歩き続ける人だからです。


————————————————————————————————————————————————————————————————


包帯がアレックスボルドの体を覆っていた。


彼はストレッチャーの端に腰掛け、じっと床を見つめていた。


震える手は、止まることなく互いを強く握りしめている。


その目に浮かぶのは、肉体の痛みではなかった。


もっと深く、もっと内側から滲み出す傷が、そこにはあった。




「何だその顔は?」




沈黙を破ったのは、シュンの低く鋭い声だった。




アレックスボルドは、まるで全身の力を奪われたかのように、ゆっくりと顔を上げた。




「……失敗した」


彼はかすかに呟いた。


「逃しただけじゃない……仲間たちが、あの爆発で……たくさん死んだ」




シュンは目を細め、腕を組んだ。




「……それだけか?」




アレックスボルドの顔に、困惑と怒りが交差した。




「……何を言ってる」




「ただ腕を組んで、失敗したと嘆くだけか?


墓の前で悔やみ続けるつもりか?


誰も救えなかったと、涙を流すだけか?」




シュンの言葉は、刃のように鋭く彼の心を貫いた。




「黙れ……」


アレックスボルドが歯を食いしばる。


「お前に何が分かる……!


お前はいつだって他人なんてどうでもいいんだろ。


お前は……化け物だ」




「その通りだ。だから何だ?」




シュンの目は一切揺れない。


「泣いて許しを乞えってか? そんな暇はない。


やるべきことがある。俺は……この地獄を作った奴を見つけて、必ず報いを受けさせる」




アレックスボルドは言葉を失った。


シュンの目の奥にあったのは、冷酷ではなく、決意だった。




「お前の仲間たちが望んでいたのは、


自責に沈むお前の姿じゃない。


誰も、バルバネグラの力を把握していなかった。


あの任務は、死のリスクを承知で皆が引き受けた。


その覚悟を……お前の自己憐憫で穢すな」




アレックスボルドの体が震え出す。


怒りでも悲しみでもない、責任の重さに。




「立て。戦え」


シュンの声は、命令ではなかった。


仲間としての、託す言葉だった。




一筋の涙が、アレックスボルドの傷だらけの頬を伝う。




「言いたくはないが……」


シュンの声が、少しだけ優しくなる。


「今、お前の肩には重いものが乗っている。


あいつらの“夢”と“希望”の重みだ。


だが、それを一人で背負う必要はない。


一人で抱えたら……堕ちる。


底のない深淵へな」




彼は一枚の地図をストレッチャーの上に投げた。




「明日の朝、出発する。……今度は、お前が選べ」




そう言い残し、シュンは部屋を出て行った。




再び訪れた静寂の中で、アレックスボルドは救急室へと繋がるガラス越しの窓を見つめた。


そこにいたのは、管に繋がれ、機械に囲まれた——


ルキアとイセリ。




「なぜだ……なぜ君たちが……」




背後から、冷たく乾いた声が響く。




「だから言ったろ……死ぬべきは、お前だったんだよ」




アレックスボルドが振り返ると、そこにはクラリレオがいた。


いつもの嘲るような顔で。




「お前には……何の価値もない」




「……ここで何してる」




「忠告したはずだ。あのときお前が死んでいれば、すべては違っていた。


もっと適任な者がいた。


あの子たちが今、生死の境を彷徨うこともなかった」




「黙れ……!」




「お前はただの失敗作だ」


クラリレオは続けた。


「誰一人、守れない。


あの夜のこと……もう忘れたのか?


彼女を……見殺しにした夜のことを」




——脳裏を、血が走る。




遠くで響く悲鳴。


巨大な狼に引き裂かれる人影。


肉を裂く爪。


光を失った目。




「やめろぉぉっ!!」




「……守れなかった」


その声が、耳の奥に焼きつく。


「また……同じだ」




そのときだった。




アレックスボルドの背に、赤黒い影が這い出す。


それは液体のようで、形を持っていた。


血でできた存在。


その声なき声が、問いかけ、責め立てる。




——なぜ、守らなかった?




アレックスボルドは膝をつき、呼吸が荒くなった。




後悔に潰されそうな顔。


胸が締めつけられ、崩れていく。




「……俺は……俺は……」




影は彼を包み込む。


皮膚に溶け、罪悪感を喰らいながら、融合していく。




「俺は……死ぬべきなんだ……」




闇が崩れた。


最初の光の筋に触れた瞬間、それは砕け散るガラスのようだった。




アレックスボルドを取り巻く暗黒の中から、エデンの姿が現れる。


深淵に呑まれそうだった彼の前に、ひとすじの火花のように立ちはだかる。


その声は、静かで、真っ直ぐで——何より、強かった。




「イセリは……本当に君を愛しているよ」




その言葉と共に、アレックスボルドを包んでいた血の怪物が、まるで幻だったかのように崩れ去った。


責め立てていた声は消え、罪の囁きも静まり返った。




「エデン……」


それは、悪夢から目覚めた者のような声だった。




心の中にあった闇の映像は粉々に砕け、現実の白い部屋、医療機器の音、そして——


ストレッチャーのそばに立つエデンの姿が、ようやく目に映る。




「どうしたの?」


穏やかに微笑むエデンが問う。


「俺の顔になんかついてる?」




「いや……」


アレックスボルドは視線を落とし、心の波に押しつぶされそうになっていた。


だが、エデンは止まらない。その声は、優しくも揺るがぬ強さを持っていた。




「こんなことになってしまって、本当に辛かったと思う」




「……俺は、弱かった。


また……守れなかった。誰も……また同じように……」




「気持ちは……よく分かる」


エデンの微笑みに、かすかな痛みが混じる。


「……あの夜、俺も……祖父を守れなかった」




部屋に重い沈黙が降りる。




「……何?」




「力もあった。エネルギーも十分だった。


けど、体が動かなかった。ただ、見ていた。


傷つけられるのを。


それでも祖父は、迷わず俺を庇ってくれた。


今でも……本当に祖父だったのか分からない。


自分が何なのか、まだはっきりしないけど——


それでも、愛してくれた。


命をかけて、守ってくれた」




アレックスボルドは黙って聞いていた。


エデンがこんなふうに語るのを、初めて見た。




「少し前まで……君と俺は似ていると思ってた。


けど違った。


俺は祖父の記憶のためだけに生きてきた。


ブラックライツへの憎しみだけで……


失われた命のことなんて、本当はどうでもよかった。


ただ復讐したいだけだった。


でも君は……君は違う。


誰かの死に、本気で心を痛めてる。


助けられなかったことを悔いてる。


君は……俺なんかより、ずっと強い。


どうか、そのままでいてくれ」




そこでエデンは言葉を止める。


その瞳には、どこか「信じる心」が宿っていた。




「俺は信じてる。


君のことを、“ヒーロー”だって」




アレックスボルドは唾を飲み込んだ。


胸の奥で、何かが震えた。


それは力でも怒りでもない。


もっと深く、もっと温かい何か——


魂そのものが揺れるような感覚だった。




「彼女たちは……今もきっと闘ってる」


エデンはふっと笑って言った。


「だから……バカな真似はしないで。


君の帰りを、彼女たちは待ってる。


変なことしたら、俺がブッ飛ばすからね? わかった?」




アレックスボルドの口元から、微かな笑いが漏れた。


イセリのほうへ視線を向け、そして静かにうなずく。




「……君は、本当に……すごい奴だよ、エデン。


自分が思ってるより、ずっとね」




***




翌朝——




新たな運命の鐘が、静かに鳴る。




広い作戦室には、選ばれしメンバーたちが集まっていた。


シュンは前に立ち、ひとりひとりの顔をじっと見つめていた。




ジャンヌ・ダルク。


エデン。


ティレシアス。


アキレウス。


アルテミス。


アレス。


……そして、アレックスボルド。




その目。


昨日とは明らかに違っていた。




——この目……いいな。


シュンは無言で頷いた。




「全員、そろったようだな」


その一言が、まるで進軍の号令のように空気を震わせた。


「死の島へ向けて、出発する」




アレックスボルドの拳が、力強く握られる。




——バルバネグラ……


近いうちに、また会うことになるだろう。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?