あれはもう十年以上前の出来事でした。
当時私は所謂社畜でございまして、定められた出社時間より一時間以上早く出社し、夜は終電間際まで仕事をするという本当にクソなことをしていました。土日も仕事をさせられて、もういよいよ辞表を叩きつけて上司の顔面に一発くれてやってから辞めようかと思っていた頃、友人たちからドライブの誘いを受けました。
聞けば一泊二日の小旅行。友人のひとりが免許を取りたてで、運転をしたくてうずうずしているようで、それならばと別の友人が持ってる車で遠出をしようという話になりました。この友人グループは私を含めて五人。中学からの付き合いで、わかりにくくて大変申し訳ないのですが、アルファベットのイニシャル表記でO、M、S、Hと言いました。今回免許を取ったのはOで、車を貸してくれたのはMです。
正直私は今の仕事に嫌気がさしていたので、一日風邪を引いたことにして、翌日は無断欠勤する気バリバリで旅行に行こうとしていました。
では、どこに行こうかと友人たちと相談したところ、まあやはり温泉がいいと。ただ、私たちはよくこのグループで旅行にも行っていたものですから、近隣の有名どころの温泉地はほぼ行き尽くした感じになっていました。なればと、折角車もあることですし、山の中のあまり有名ではない温泉を目指そうという話になりました。
まあ、私としては温泉にゆっくり浸かれればよかったので、特に反対等もせず、完全におまかせしていました。これは私にしては珍しく、旅行の音頭は基本私が取ることになっていましたし、宿も私がいつもは手配しておりました。そう、何故かこの時に限って私は人任せにしたのです。仕事に疲れていたからそういう面倒ごとをやりたくなったのかもしれません。決して不吉な予感がしたから……ということはなかったと思います。
◇
さて、当日のお話。
生憎と私は車の免許を持っていないので車にも詳しくないのですが、普通乗用車……とでも言えばよろしいのでしょうか。軽自動車よりは大きめの、けれども五人も乗ればいっぱいいっぱいのそんな普通の自動車で私たちは移動をはじめます。
運転は免許取りたてのO。助手席には地図を広げて道案内役の私が。後部座席には残りのMとSとH。男五人で非常にむさ苦しかった印象を強く覚えています。
高速などを使う道程でもなく、下道をゆるりゆるりと進んでいきます。途中道の駅に寄ってみたりなんかして、わいのわいの騒がしく、けれども楽しく旅は進んでいきます。
しかしながら、一つ困った事に。道に迷いました。
この車のカーナビは当時としても古いタイプのもので、CDで地図データを更新するようなタイプのやつでございました。それはもう精度も悪く、現在位置がちょくちょく不明になっては役に立たないような、単なる箱でした。なので頼りは物理的な地図と、携帯電話。
ところが、これまた当時の携帯の地図アプリも精度がまだまだ悪い。そして、奇しくも行先は山の中。電波が入ったり入らなかったりで、これもまたあまり役に立たない。嗚呼やはり最後には紙の地図こそが本当に役に立つもの……しみじみと感じました。
とはいえ、それだけでは現在地を把握することは難しい。山の道ですからそんなに複雑に横道が入り組んでいるはずはない。ほぼほぼ一本道であるはずなのに迷ってしまう。これもまた山の不思議なのでしょうかね。ですが、私たちは別に気にすることもなく、こういうこともあるさ、と旅のトラブルを楽しんでいました。
そうこうしているうちに日も暮れだし、辺りは暗くなりはじめておりました。さすがに、暗くなった山の道を免許取りたてに任せるのは怖いので、運転をMが変わることになりました。
そしてずいずいと進んでいると、灯りが見え始めました。どうやら人里の集落に辿り着いた様子。目的地とは違いますが、これは天の助けと現在地と、目的地までの道順を教えてもらおうという話になりました。
手近な民家の前で車を止め、後ろに乗っていたSとHが民家に話を聞きに行こうと車から降りました。私はずっと地図とにらめっこしていましたのでさすがに少々疲れていました。運転をずっとしていたOは寝てましたし、Mも運転席にずっといました。
窓越しに話を聞きに行った二人を私は見ていました。玄関先で家人と話をしているのが見て取れました。ですが、その様子がどうもおかしい。Hは頭を抱えているような感じで、Sは表情まで読み取れませんでしたが、がっかりと肩を落としたような感じでした。
そして二人が車内へと帰ってきます。
「どうだった?」
私が二人へと声を掛けます。
「いやそれがさ、この先の道、通行止めだってよ」
そう言いましたのはH。疲れたような感じでSが言います。
「なんか時期によって通行禁止になる道なんだってさ。もっとずっと前のとこで分岐があってそっちから行かないとダメみたいなんだって」
これにはさすがの私も溜め息しかでませんでした。もっとちゃんと調べてから行けばよかったのです。完全に人任せにしたのが裏目に出ていました。
「え、じゃあどうすんの? 戻って迂回すんの? 俺嫌だよ、早く休みたい」
話し中に起き出したOが不満を述べます。こいつはいい加減な奴で日頃から不平不満の多いやつです。
「それがさ、この先の道は通行止めになってるんだけど、その途中に民宿みたいのがあるんだってさ。俺たちみたいなのが結構いるみたいで、そういう人向けに営業しているんだってよ」
Hの情報に飛びついたのはOでした。
「お、いいじゃん。そこ行こうぜ。もう疲れたし腹減ったし」
私はその時、目的地の温泉宿のキャンセル料いくらになるかなぁなどとそちらのことばかり気にしていました。当たり前ですがその民宿が怪しいとも微塵も思わなかったのです。
そんなこんなで私たちは誰も反対することなく、その民宿へと向かうことになったのです。
◇
いやはや、その民宿というのがこれまた大きい建物でした。三階建てぐらいある建物で、横にも大きい。というかこれは普通に民宿ではなく、立派な旅館でした。
幸いなことに空き部屋もありまして、二人と三人に別れて泊まることになりました。突然の宿泊にも関わらず、夕飯も用意してもらえるということで至れり尽くせり。惜しむらくは大浴場はあっても温泉ではなかったことでしょうか。
お風呂に入り、ご飯も食べ、ご満悦の一同。ぶーぶー言ってるのは私だけで、無類の酒好きの私は部屋に酒がないのが不満でした。近場に酒場もなければ、酒屋もない。観光地や温泉地だと地元の酒屋や、土産屋には地酒が置いてあったりして浴びる程飲むのですが……。まあ、そんなことは関係ないのでいいでしょう。
みんなで風呂に入って部屋に戻ろうとした時に、Hがふと気付きました。
「なあ、この旅館変な形してね?」
言われなければ疑問にも思ったりしなかったのですが、この旅館『コ』の字型に作られていて、大浴場は『コ』の字の書き出しの先端部分にあり、宿泊部屋は書き止めの終端部分に階段があり、そこから各階の部屋に行くようになっていました。多少不便ではありましたが、そんなもんじゃないか、とみんな思っておりました。
「いやいや、おかしいって。じゃあこの真ん中になにがあんの?」
H曰く、『コ』の字の真ん中。中央の囲まれている部分に何があるのか気になっている様子でした。中央の内側が見える様な窓が廊下にはなかったため、実際何があるのかはわかりませんでした。
「普通に考えたら従業員の宿舎とか、オーナーの家とかじゃないの?」
とは私の言。常識的に考えた結論でした。
「んな不便なとこに作るかよ。何にもないと俺は思うぜ」
相変わらずOは楽観的と言いますか物事を気にしないたちでした。
「なんなら、見に行くか? ぐるっと回れば行けるだろ?」
Mがそう言います。あまり饒舌に喋るやつではないのでこの提案は珍しかったです。
結局私たちは携帯電話の灯りを頼りに、『コ』の字型の中央へと行ってみることにしたのでした。後から思えば、従業員さんに何があるのか聞いてから行くべきだったと思います。そもそも立ち入り禁止だったかもしれないのですから。