正直私はついていったことを後悔しました。
そこは雑草がぼうぼうと生えており、虫も多そうな場所でした。私は虫が大の嫌いなのです。すぐにでも逃げ出したかったです。心霊や怪異なんかより、うごうご蠢く虫のほうが何十倍も恐怖です。絶滅しろ!
さて、ぐいぐいと進む私たちの眼前に遂に『コ』の字型の中央部に辿り着きました。そこにあったのは小さなお社でした。
祠と言ってもいいでしょう。赤く大きな屋根を持つ木製の社。しめ縄のようなものと、お札のようなものが貼られた神棚にあるような社。観音開きの扉があり、中に何か祀っているのでしょう。扉の前には盃も置かれておりました。
当初想像していたものとは少々違いましたが、何か神様でも祀っていると思って私たちは近くまで寄っていきました。比較的こういうのに詳しいのはMか私。特にMなんかは神道とかそういうのが好きな歴史マニア。いつだったか歴代の天皇の名前を暗記しているとか言い出した時には正気を疑いましたが……。私は私で本の虫でもありましたので、歴史小説や逸話など嫌いじゃありませんでしたし、『古事記』や『日本書紀』も全訳ですが読んだこともありました。
そのため、私とMがまじまじと興味深く覗いておりました。見た感じ、そう古いものではなさそうで、精々数十年ぐらいのものでしょう。貼られているお札も一見梵字のように見えますが、意味のない記号だとMが言います。私はこいつが梵字を読めることの方に驚きましたが……。今思うとあれは嘘というか見栄だったんじゃないかな、と。
HとSも私たちの後ろから覗き込み、あまり興味が惹かれない様子でした。……問題なのがOです。明らかに不機嫌になっていました。元々面倒で乗り気じゃなかったところもあったのでしかたないことではありました。
ただ、気分屋でかなりうざいところのあるやつではありましたが、基本的に理不尽に法を犯すようなやつでありません。そんな度胸のあるやつではありません。例え平気で待ち合わせに二時間近く遅れてやってきていたとしても、犯罪行為に手を染める様なやつではないのです。
そんなOが、何故かその辺に落ちていた一抱えできそうなほどの大きさの石を持ち上げていたのです。私は咄嗟に「あ、これやばい」と思いましたがもはや後の祭り。Oは抱えた石をそのまま祠目掛けて投げつけたのです。
正確には重さがあったので放り投げたと言いましょうか。見事その石は祠へと命中し、ばきばきと音を立てて半壊してしまったのです。元々劣化していて壊れやすくなっていたのだとは思いますが、あまりにも簡単に壊れてしまったので私たちは声を上げる事すらできませんでした。
はっと、気付いたようにHがOに詰め寄ります。
「お前何やってんの! 馬鹿じゃねえの!」
Sは何が起きたのか理解できていない様子。
「え? え? O何やってん? え、ちょっと理解できないんだけど?」
Mはただ黙っていました。
私はというと、
「さすがにこれは直らないよね……」
と、崩れた木片を繋ぎ合わせられないか試してみていました。
ふと、以前は観音扉だった木片の奥に何かがあるのが見えました。それは小さな鏡のようなものでした。携帯の光を反射しているので鏡面になっているのがわかりましたが、何で鏡なんかが祀られているんだろうと当時は思いました。今は知識もあるのでわかりますが、これは神鏡と呼ばれるものの一種でしょう。神様の依り代として神棚などに飾るもののようです。祠とかに置くものなのかまではわかりませんが、神社には割と置かれているようですね。
さすがの私も手に取る様な事はしませんでしたが、見ればその鏡は先程の衝撃で壊れてしまっているようでした。
さて、これは大変なことになったとOを見ますが、本人はどこ吹く風。きょとんとしており、私たちに背を向けては、
「気持ちわりぃな! もう戻るぞ!」
と、言ってすたこら一人で歩きだしてしまいました。
残された私たちはお互いの顔を見合わせるしかありませんでした。いやいや、普通に器物損壊でしょ、そのままじゃダメでしょ、さすがに旅館の人に言った方がいいんじゃなどと言い合いながらOの後を追い掛けるように歩き出しました。
思えばこの理解できないOの行動もあの時にちゃんと聞いてやればよかったものだと後悔しています。
◇
部屋に戻った私たちは翌朝を迎えました。
集まって朝食を取っている時にHが私に青ざめたような顔で話しかけるのです。
「なあ、ぴす(私のことです)。お前昨日夜中変なもの見なかったか?」
Hと私は同室の二人部屋でした。
「変なもの? いや、何も見てないけど?」
「実は……。昨日夜中ふと目が覚めた時に、部屋の入り口からなんか大きな黒い人型の影のようなものが入ってきたんだ。そして、お前の寝てる方に移動した後、お前の顔を覗き込むようにじっと見ていたんだよ。そして、今度はこっちに来そうになってたから目を瞑って通り過ぎるのを待ってたんだ。五分ぐらい経ったかな、薄眼を開けたらもうその影はいなくなってたんだ。あれは……やっぱりあの祠壊したせいじゃないかな……」
ふむ。何とも不可思議なことをHは目の当たりにしたようです。ですが、私はそれを信じていませんでした。何故かと言えば、私は起きていたからです。私は非常に寝付くのが悪く、通常時でも二、三時間はベッドの中で寝付けずにごろごろするのですが、旅先となるとこれが顕著になって朝方まで寝れない事も度々ありました。酒を呷れば少なからず寝れるのですが、昨日は一滴も飲んでいなかったので寝付きが非常に悪ったのでした。
そんな私はHの言ったような影を見ていませんし、そもそもHが起きていたような素振りも見せていませんでしたので、嘘とは言いませんがきっと夢を見たのだろうと思っていました。昨日祠を壊してしまったので罪悪感があったのでしょう。
そんなに気の弱い男だったか、とHの評価を改めようとしていた時に、この話を聞いていたMとSも似たようなことを言い出したのです。曰く、Hと同じように黒い人のような影を見たような気がすると。残りのOは「知らね」とぐっすり寝ていて気付かなかったようです。
これはまた胡乱な話になったと。Hだけなら夢で済みますが、MとSまで見ていたのなら話は変わります。私とHは同室ですが、MとSとOは三人部屋でHとは違う部屋なのです。特に気になったのは私が見ていないということ。Oはいいとしても、私だけ見ていないのはおかしな話であると。首を傾げるしかありません。
その時、ちょうどおひつを持ってきた仲居さんが居たので、率直に聞いてみることにしました。
「すいません、この旅館でなんか怪奇現象というか怖い話とかってあります?」
具体的な内容は避けて、あの祠の件についても何も言わないでおきました。
「……? いいえ、そんな話は聞いたことありませんね。何かありましたか?」
「あ、いえ。とくには。なんかあったら面白かったなぁと思っただけですので気になさらないでください」
そう言うと仲居さんはこちらを怪訝そうな顔で見つめて去っていきました。
隠しているような素振りはありませんでしたので、本当にそういう話はなかったのでしょう。
◇
さて、出発前に私は一人で大浴場で風呂に入っていました。温泉ではないかもしれませんが、大きな風呂というのはいいものです。さっぱりしてあがると何やらMとHが神妙な顔をしています。
話を聞くと、彼らはやはり祠の事が気になり、壊してしまったことを仲居さん経由で女将さんに謝りにいったそうです。言ってくれれば私も一緒に頭を下げにいったのですが……。ですが、どうも話が噛み合わない。女将さんも仲居さんも『コ』の字の真ん中、いわゆる中庭に当たりますがそんなところに祠などないと言うのです。
そんな馬鹿なと二人はわざわざ祠のとこまで見に行ったそうです。そしたら本当にそこには何もなかったそうです。ただ、Oが放り投げたと思われる大きめの石はそこに鎮座していたようです。
さすがの私もこれには唸るしかありません。実際五人で見ましたし、Mと祠についての談義もしました。二人が私を騙そうと嘘をついているのならわからなくもないですが、そんなことをする理由はありません。
結局Oが壊した祠はそもそもが存在せず、物がないのに器物損壊の弁償というわけにもいかないので、私たちは腑に落ちない気持ちを抱えながら宿を後にしたのでした。