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第3話 流浪の者

 勘当された雪隆は手荷物程度しか持っていなかった。腰には刀を下げ、路銀は多少。伊助は当然ろくな荷物はなかった。


 しばらくは動けなかった伊助だが、できれば直ぐに土地を離れたいと住職に相談した。双方の想いと事情も説明した。すると住職は知り合いの寺に行けるよう手はずを整えてくれた。

 想いが分かれば食べられる。早く元気になって新しい土地へ行こう。ここでは余りに居心地が悪い。食べて、動いて……三月後に、伊助は動けるまでになった。


「お世話になりました」


 旅の支度を調え、伊助と雪隆は寺を後にした。

 思えば旅など初めての事だ。自分の足で歩いて長い距離を移動していく。杖をついて。

 始めは慣れずに直ぐにへばってしまった。だが少しずつ歩けるようにもなった。寒い冬が来て雪の中を進んで、人の親切で納屋の端を貸してもらったりした。


 歩いて、歩いて……でも、馴染める土地を探すのは難しい。明らかに訳ありと思われた。

 若い男と幼顔の男では勘ぐられる。主に逃げた陰間と思われて、住み着くことを拒まれた。


「こんなに土地を探すのが難しいとは」


 汗を流す雪隆を見て、伊助は申し訳無く思ってしまう。自分がこんな想いを持たなければ今頃、あの娘さんと幸せにしていたかもしれない。


「すみません」


 思わず出た言葉に雪隆は驚き、笑ってくれる。この笑顔が曇る事がないのは嬉しい。クシャリと頭を撫でる大きな手も変わっていない。


「仕方がないさ。もっと山奥へと行ってみよう。それで駄目なら何処かに二人で奉公に出よう」


 雪隆は路銀としてそれなりに金を持ってきていた。彼がこれまで仕事をして稼いだ分だ。これで村の端に小さな家と畑など買い、二人穏やかに暮らしていこうと思っていたのだ。

 まさかその土地すら見つからないとは思わなかった。


 この日は寺の一角を貸してもらえた。粥も出して貰えて、布団で眠る事ができる。

 二人は枕を並べ、互いの体を抱き合って暖を取り、口づけて想いを伝え合う。


「雪隆様、好きです」

「俺もさ。伊助の事をすっと想っていた」

「僕もです」


 交わす言葉と熱が愛おしく満たしていく。貧しく、明日の事も分からないのに不安は何も込み上げてこない。希望はまだ見えないが絶望もしていない。

 首に手を回し、いつの間にか天井と雪隆を見ている。彼の薄い唇が触れる所が熱く痺れて切ない声が上がる。ジワリと涙が込み上げ、何度も名を呼んだ。

 笑った人が幸せそうに目を細める。大きくて少し硬い手が薄い着物の上から体をなぞっていく。愛されている喜びと、愛し合う悦びに伊助は泣きながら全てを受け入れていった。


◇◆◇


 そんな夜が徐々に増えていく。季節は巡り雪は溶け、植物が芽吹くようになった。

 伊助の髪はすっかり伸びて、元の良さもあって娘のように見えている。雪隆もすっかり旅が板についてより逞しくなった。

 それでもまだ安住の地は見つからない。


 そんな頃、宿を借りた寺の住職から定住について良い話を聞けた。


「なんでも、そこの山を超えたところにある町は最近人手を探しててな、墨の入ったのはダメだが流民も歓迎らしい」


 夕餉に粥を貰いながら聞く話によると、この町に近い大きな山を超えた先にある町は今、開拓と発展が著しいらしい。その為、人手が必要ということだ。


「山道は危険ではないか?」

「多少はね。迂回もできるが何ヶ月もかかる。それなら山を超える旅人が多いんだ」

「ほお? それは何で」

「修験者の道があるんですよ。あの辺りも霊山でね。この寺にも度々泊まっていくんです」


 修験者は山で修行する。そんな彼らが長年使う道があるという。ならば獣道程度に平されているかもしれない。

 雪隆も同じく思ったのか、頷いてくれた。


 こうして翌日から、伊助達は山へと入って向こうの町を目指す事にした。


 春から初夏へ、凍える程寒くはないが夏の暑さもない過ごしやすい頃だ。

 教えられた道はやはり平されており、山道ではあるし急な場所もあるが通れないようなものはない。雪隆が手を貸してくれるから案外登れる。

 だが野宿は必然的に増える。大きな木の根元などで身を寄せ合い、二人で毛布を分け合って過ごす夜が続いている。

 雪隆の逞しくも大きな手が引き寄せ、胸に身を寄せると自然と眠れる。


「もう少しだ」

「はい」


 もう少しで安住の地に辿りつく。そうすれば二人、慎ましく生きていこう。

 そう思い、眠りについた。


 頂上から今度は下りに。新緑を透かす陽の光が心地いい。


「この辺りは片側が険しいな」


 ふと雪隆が左側を見下ろして呟く。今歩いているのは崖に沿った道で、右手側は木々の生い茂る森。左手は少しで岩肌の見える崖になっている。その下は綺麗な小川が見えた。

 伊助がそちらを見ていると、不意に人影が見えた。修験者の人ではなく、明らかに村娘という様子の人だ。


「え? 人?」

「村があるのか?」


 こんな険しい山中に洗濯物を抱えた女性がいるとは思わず驚いていると、雪隆は訝しむ様子で呟く。警戒したように気配が僅かに引き締まったのを感じた。

 下に居た女性がふと顔を上げ、伊助達に気づいて大きく手を振った。


「旅の方ですかー!」

「そうだ!」

「そろそろ陽が暮れますよ! 明日からは雨みたいですし、よければうちの村に寄ってきませんかー!」


 まだ若い女性が声を大きく話しかけてくる。これには伊助もどうしたものかと思い雪隆を見ると、彼はやはり渋い顔だ。


「いや! やめておこう!」

「危ないですよ! この山、猪も出るんです!」


 猪と聞いて伊助は身を固くする。それというのも何度か見たのだ。

 奴等は積極的に人間を襲ったりはしないが、縄張りに入られたり驚いたりすると突っ込んでくる。その力は人など簡単に跳ね飛ばしてしまえるものだ。


「……では、一晩頼みたい!」

「はい!」


 その後、彼女は今の場所から下へと降りる道を教えてくれた。

 河原に出ると穏やかな流れがあり、とても平和的に思える。ただ、そこに穴蔵があって一つ祠がポツネンと置かれている事が気になった。


「あれは」

「あぁ、外神様の祠ですよ。この辺りの神様なんですけどね」


 神様の祠がこんな寂しい所に?

 とは思ったけれど、汚くはない。古くはあるけれど。それに人の側にない神様もいるから、そんなものなんだろうと思う事にした。

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