翌日、雪隆の体調は少し良くなっていた。顔色も心なしかいい。
伊助は単純にそれを喜んだ。薬湯が効いたのかもしれない。
けれど雪隆は難しい顔で考えるばかりで、伊助に「お前は大丈夫か?」と聞いてくる。大丈夫だと答えるとまた思慮して、「変な物は食べるなよ。水にも気をつけろ。この時期は腐りやすい」と言ってきた。
首を傾げるけれど雪隆は伊助よりもずっと学があり思慮深い。それに暑い季節は物が腐りやすいのは分かっている。
頷くとまた頭をクシャリと撫でられて、優しい目を向けられた。
この日は母屋でチサと女将さんと一緒に繕い物を手伝った。その折に「薬湯が効いたのか、顔色が良くなりました」と伝えると女将さんは目を丸くして驚き、チサはチラリと老人を見る。
何だろうと首を傾げると、女将さんが「それは良かった。若いって凄いわね」と言って笑った。
そのまま母屋で食事を頂き、雪隆の分は盆に乗せて運んだ。
辺りは薄暗くなり、囲炉裏に火を入れると雪隆がもそりと起き上がる。顔色は更に良くなっている気がした。
「雪隆様、大丈夫ですか?」
「あぁ、大事ない。お前こそ大丈夫なのか?」
「? はい」
「……そうか」
また何かを思慮している。そうするとやや不安にもなってくる。それを誤魔化すように、伊助はお盆を雪隆に差し出した。
「食事です。あと、薬湯も」
「……伊助は家の人達と食べてきたのか?」
「はい」
「同じ釜で作ったのを、家の人も食べてたか?」
「はい」
「……分かった。ありがとう」
そう言って、雪隆はほんの少しずつ食べ物に手をつけていく。米が少し、煮物も少し、味噌汁も少し。しかもそれらをよく咀嚼し、何かを確かめるようにしている。
これに違和感を覚えた伊助は不安になってきた。こんなに警戒している雪隆など旅の途中でもあまりなかったのだ。
「あの、何かあるんですか?」
不安になって問うと、彼は少し思慮した後で箸を置いた。
「まだ確信がねぇから言えないが……伊助、身辺に気をつけろ。この村、やっぱり何処かおかしい」
真っ直ぐ真剣な目は嘘など言っていないとわかる。けれど何がおかしいのか。伊助にしては親切な村だと思うのだが。
「親切すぎるんだ」
「いい事ですよね?」
「俺には裏があるようにしか思えん。昨日きた得体のしれない客人を、こんな小さな村……しかも隠れ里が歓迎するか? ただの旅人が宿に泊まるのとは話がべつだ」
「それは……」
確かに、親切過ぎるとは思うのだ。これまで旅してきたから分かる。
村っていうのは余所者を拒む。通りすがりの旅人なら一晩くらい泊めてくれる人もいる。でも大抵は納屋の端などだ。家の中にはいれない。食事だって出してはくれない。まして病だなんて、即刻追い出されるだろう。
寺などは御仏の教えで困窮する人を助けてくれるが、ここは寺じゃない。
考えれば妙。そうなると全てが疑わしく思えてしまう。
雪隆は少ししてゆっくりと食べ始めた。
「日中、村の色んな奴等だろうが窓からこっちを覗いてきた。好奇心というには強い視線だったぞ」
それならやはり、早く出た方がいいのだろうか。雪隆を見ると何かを考えている。そして薬湯はそっと土間の端に捨て、水瓶の水も適当に掬って捨てた。
「何を?」
「これは母屋の旦那が昼に汲んできたものだ。俺はちょっと怪しんでいる。あの旦那、ここらの家でも大きな家の当主だ。そんな人がわざわざ水を替えに来るのか? 自ら足を運んで」
「……」
きっと、雪隆の父ならばしないだろう。女将さんかチサの役割だ。
「飯には妙な感じがしない。何より同じの食べてるしな。そうとなればこの薬湯か水だ」
「……それって」
まさか水に毒を仕込まれている?
そう疑うと全てが怖く感じてしまって、伊助は腰が抜けるような気がしてへたりこんだ。
雪隆は冷静だが、否定はしなかった。
明かりを落とし雪隆の布団に入り込む。抱きしめてくれる腕の中にいても、今日はちっとも休まる感じがしない。
「隙を見て逃げよう」
「では明日?」
「いや、今は見つかる気がする。奴等の視線がかなり強い。おそらく見た目にも手強そうな俺を先に弱らせて、何か良くない事をしようとしてるんだ」
「じゃあ……」
いつ逃げればいいんだろう。
「俺はしばらく具合の悪い病人のフリをして伏せっている。俺が弱ったとなれば油断するかもしれん。伊助には悪いが、その間に村の事を聞いてきてくれ。祭りとか、外神様とかな」
「はい、分かりました」
この村に何があるのか。不安は尽きないが、今はやれる事をやって村を出る算段を整えないと。
そう、伊助は自分に何度も言い聞かせて眠りにつくのであった。