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第7話 外神様(3)

 翌朝、雪隆は宣言通り布団から起き上がれず食欲もない事を伊助は心配顔でチサに伝えた。

 そこで返ってきたのは心配する言葉とは裏腹な、ドロリと絡む視線だった。


 やっぱり雪隆が言っていた事は本当なのかもしれない。不安と怖さに身震いすると、チサは心配そうにしてくれる。何故か伊助は彼女から恐怖は感じないのだ。女将さんも老人も同じくで、まるで受け入れてくれるかのようだ。


 朝食は粥と薬湯。それらを持っていくとチサもついてくる。

 この薬湯、よく見てみると昨日とは匂いが違っている気がする。元々不味そうではあったけれど、今は不穏な程濃い緑色をしている。


「雪隆様、朝餉です」


 そう言いながら戸を二度叩く。これは朝に決めた合図。

 戸を一度叩く時は伊助一人。二度叩く時は他にも人がいる。


 返ってくる声はないが開けて入ると、雪隆は布団の中から動かない。側へと行って盆を置き、更に声をかけるとのろのろと目は開けてくれる。そっと体を起こしてもふらついた様子で頭を軽くおさえ、具合悪そうに口元を押さえている。


「薬湯だけでも」


 そう言って飲ませるが、直ぐに吐き戻してしまう。その様子を見たチサは頷いて、「無理しないで」と言って出ていった。


 完全に気配がなくなると安心する。雪隆は念のため猫背のまま伊助に粥を食べさせてもらっている。


「凄いですね、雪隆様」


 あまりの名演に驚いてしまう。歌舞伎役者もやれるのではないか? なんて言ったら、彼は楽しそうに笑った。


「俺に役者とは、伊助は少し俺を買いすぎじゃないか?」

「そんな! 雪隆様はとてもかっこよくて、優しくて……でも役者になったら女性に人気が出てしまいますね。それはなんだか……」


 嫌だな。そんな風に思っていると不意に頭を抱き寄せられ、額に唇が触れた。


「心配すんな。俺が大切に想うのはお前だかだよ」

「っ! 僕もお慕いしています」


 恥ずかしさにまともに顔が見られない。でも嬉しくて、引き締めないとニヤけてしまいそう。

 そんな伊助を目を細めて見つめた雪隆はとても幸せそうだった。


 朝餉は半分意図的に残した。薬湯はあの後飲ませたと言って空にしておいた。

 そうして今日は祭の準備をする子供達と例の河原へと来ている。そこにはまだ初夏だというのに何故か真っ赤な彼岸花が咲いていた。似つかわしくない夏の陽光の下にあるのに、そこだけは何処か暗く見える。


「このお花使うのよ」

「布使って取ってね」


 わーっと駆け出す男の子達に遅れ、女の子達は古くて頑丈な布を伊助に手渡してくる。確か、かぶれるんだったか。


 男の子達は祠の周囲に乾かした細い竹を指していき、女の子達がそこに摘んだ彼岸花を差していく。お祭りの時にはこの祠を彼岸花で埋め尽くすそうだ。

 始めて入る洞穴の中は温度がかなり冷たく肌寒く思える。湿っていてかび臭く、地面はデコボコしている気がする。


「奥の方からね」


 無邪気な明るい声がなければとても一人ではいられない。伊助は摘んだ花を手にしたまま奥にある竹筒にそれを入れた。

 直後、鋭く重い視線を感じて慌てて辺りを見回した。背に汗をかき、寒さが更に芯を凍てつかせる。逃げたい気持ちに息が浅くなり、逃げるように踵を返したその直後、足を何かが強く掴んだ感覚に目をむいてそちらを見た。


「っ!」


 恐怖と恐ろしさで声が出ず、引きつった「ヒッ」という音が漏れる。伊助の足を掴んでいたのは手だ。半分腐ったような黄土色のそれが縋るように纏わり付いてくる。皮が破け何処か爛れ、腐り落ちている部分まである。

 何? これは、何? 夢? 幻? 怖い!


 だがそこに男の子達が来て、「あっ!」と声を上げたと思ったらその手を踏んづける。そして何事もなかったかのように笑った。


「お兄ちゃんついてるね!」

「……え?」

「神様が気に入ったって!」

「…………え?」


 神……様……?


 何でもない事の様に笑い合う子供達が異常だと思うのに、今ここで震える程恐怖を感じている自分の方が異質だと錯覚しそうになる。

 そんな伊助の手を、女の子が引いた。


「ほら、お花摘もう? 神様お兄さんが気に入ったって。今年のお祭りはきっと大成功だよ」

「大、成功?」

「神様が出てきたもの! きっと一年沢山オンケイがあるよ」


 恩恵……その言葉が妙にひっかかる。


 掴まれた足首を見たら赤く爛れ、僅かに痺れている感じがした。まるで、彼岸花の汁がついたみたいだった。


◇◆◇


 この話を伊助は雪隆へとした。すると彼は難しい顔をして粥を食べている。


「予想が当たりそうだ」

「予想?」

「この村、六部殺しの村なんじゃないか?」

「六部?」


 首を傾げる伊助に、雪隆は簡単に説明してくれた。

 六部とは霊場を巡る巡礼者を指すそうだ。彼らは托鉢をしながら各地を回るため金銭や食べ物を持っている。それを襲い殺すという、なんとも恐ろしい罰当たりな事だ。

 雪隆の話では人の目に付きづらい所で行われる事が多く、今のこの村はその条件に当てはまっている。

 そして襲う側にとって相手が巡礼者でも旅の商人でも行きずりの者でも構わない。多少の金銭などが奪えればいい。


「あと……これは推測だがお前は違う理由で狙われてる気がする」

「違う理由?」

「……この村、大人の数と子供の数が妙だと思わないか?」


 言われてみると子供が多い。村には夫婦とみられる人がいるけれど、そもそも大きな家が五軒と、小さな分家が七件程度。それにしては子供が多い。


「他にも、男が少ない村で男の旅人を連れ込み囲って種馬にするとか、その逆とかもあるらしいからな」

「それって……」


 重々しく雪隆が頷く。それだけでサッと血の気が引いた。


「チサに気に入られているだろ。それにお前には最初から毒など盛られていなかった。俺が死ねばお前は一人じゃ動けないと踏んでるのかもしれん」

「そんな!」


 でも……羨ましいと言った。伊助と雪隆の仲が。自分は十も歳の離れた相手と……それが嫌だと。

 そこに伊助がいればどうなる? 嫌な相手と結婚せずとも良くなるのか?


「……うっ」


 込み上げる気持ち悪さに嘔吐き、慌てて土間の端に寄って伊助は戻してしまった。そんなの、絶対に嫌だ。


「……確か明後日、祭の前夜で大人達が集まって酒盛りをするんだったな?」

「はい。今日チサが言っていたので」

「そこが狙い目かもしれないな」


 幸いにも雪隆の体調は戻っている。それなら早くこの村を離れるべきだ。

 決行は明後日の夜。そう二人は定め、体力を温存する事を決めたのだった。

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