その頃、イートンのVIPルームでは、異常なほど重苦しい雰囲気が漂っていた。
バーのオーナー、マネージャー、警備員、関連スタッフたちが震えながら一列に並び、まるで大きな災難を前にしているかのような表情をしている。
なぜなら、相沢グループのお坊ちゃま、相沢慎一の大切な息子が彼らのバーで行方不明になってしまったからだ。
ソファに座る相沢慎一の表情は相変わらず冷徹で、氷のように一切の感情が見えない。
しかし、上位者特有の威圧感はその場にいる誰もが感じ取っており、全員が足元から震え上がり、汗が止まらない。息を呑むこともできないほどだった。
その足元には、相沢慎一の弟、相沢拓海がひざまずいており、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら泣き叫んでいた。
「兄さん、すみません、全部僕のせいだ!直人をバーに連れて来るべきじゃなかった!もし直人に何かあったら、僕はもう生きていけない!」
その声が終わると、胸に一発、蹴りが飛んできた。
骨が割れるような音がして、周囲の人々は一斉に震えた。
相沢拓海は胸を押さえて激しく咳き込みながらも、すぐに立ち上がり、再び背筋を伸ばしてひざまずいた。
今、両親は海外で休暇中で、直人が行方不明だということは知らない。
もし知ったら、兄に蹴られるだけで済むわけがない。彼は命が危うい。
相沢拓海は心底絶望していたその時、会議室の扉が突然ノックされる音が響いた。
扉の近くにいたバーのオーナーが手を伸ばしてドアを開けると、そこには誰もいなかった。驚いて下を見たオーナーは、目を見開いて呆然とした。「坊ちゃま!!!」
「直人……?なんてこった!直人!我が大切な直人よ!一体どこに行ってたんだ?」相沢拓海は一目散に小さな直人を抱きしめ、泣きながら激しく顔をすり寄せた。
部屋の中の全員がまるで生還したかのように安堵した表情を見せた。
相沢慎一は数歩歩み寄り、相沢拓海の後ろ襟をつかんで引き剥がすと、そのまま息子の前に膝をついた。
「どうした?」
直人はようやくお叔父さんの手を振りほどき、焦ったように相沢慎一の手を引いて、外へ連れ出そうとした。
相沢慎一が息子に近づいた瞬間、直人の体からは酒の匂いが漂い、さらにほのかな香りが感じられた。それは強烈な香水の匂いではなく、氷の上に咲く小さな花のような、どこか懐かしい冷たい香りだった。その匂いに一瞬心がひときわ高鳴るのを感じた。
相沢慎一が動かないでいると、直人は必死に指を指しながら「あ、あ」と喉の奥で震えるような声を発した。
相沢慎一は息子を抱き上げ、その指さす方向に向かって歩き出した。
後ろで相沢拓海や他の者たちが戸惑いながらも、それを追ってついて行った。
5分後、一行はバーの最上階にある倉庫の前で立ち止まった。
直人は父親の腕から降りると、倉庫のドアを力いっぱい叩きながら、焦りに満ちた表情で待っていた。
「直人はどうしたんだ?中に何があるんだ?」相沢拓海は全く状況がわからず、頭をかしげた。
相沢慎一は表情を変えずに命じた。「開けろ。」
「は、はい!」バーのオーナーは慌てて頷き、隣にいる女性マネージャーに命じた。
「黒川、早く開けろ!鍵はどこだ?」
「は、はい……開けます!」黒川は一瞬動けなくなったが、すぐに震えながらも鍵を取り出し、ドアを開けた。
(くそ、春野と朝まで倉庫を開けない約束をしていたのに、仕方がない。)
ドアが開くと、目の前には女性が倒れて意識を失っていた。
「これはどういうことだ?中に女性がいるだと?」オーナーは激怒した。
「私……私も知らない!最初に確認したときは誰もいなかったんです!」黒川は心の中で焦りながらも必死に弁解した。
「とにかく!まずは助けろ!」
誰かが白石凛に近づこうとした瞬間、直人は一気に彼女の上に飛び乗り、眉を顰め、絶対に誰も近づけないように身を守った。