長かった卒業式が、ようやく終わった。
皆が退屈な校長らの話に
僕はそんな場から抜けだし、寮に向かおうとしていた、その時。
背後からの声によって足を止められた。
「おいカナク」
聞き覚えのある男の声に足を止められる。
振り返ると、親友のレニウスとリリルが立っていた。
「ねえあんた、本当に行くつもり?」
リリルが、いつもの調子で
「うん。僕はそのために、ここで学んできたからね」
三年間は長かったけれど“セレンディア魔法学校”はこの地方でいちばんの学校だ。こんな立派な学校に通わせて頂いたセレンディア・マール聖神殿の司教さまにも、心からお礼を言いたい。
「マジで言ってたのかよ……」
レニウスが、悪い目つきで僕に顔を近づける。
「これまでもずっとそう言ってきたじゃないか。信じてなかったの?」
「いやぁ、そういうワケじゃねぇけどさぁ。石碑巡りなんて、今時流行らねぇぜ?」
そう、石碑巡り。
僕は早く石碑巡りの旅をしたくて、卒業式をもどかしく思っていたんだ。
「流行なんかどうだっていいんだよ。僕は石碑巡りをして、正式に、立派な聖神官になりたいんだ」
「でもよぉ、今じゃ石碑巡りなんかしなくても聖神官に……いっ!」
どん、と音がした。
音がしたところに目を向けると、リリルがレニウスの左足を踏みつけていた。
「いいじゃない、石碑巡りの旅。いろいろ頑張ってね、カナク!」
「いろいろ?」
話がぜんぜん見えない。
きょとんとしていると、レニウスが
「いつもいつも痛ぇなあもう! お前のせいで俺は
「うっさいわ、金髪お坊ちゃんが!」
「きんぱ……」
「なによ!?」
「暴力女」
「はぁん!?」
また始まった。
こうなったらもう、苦笑いして見守るしかない。
レニウスはこう見えて、セレンディア公爵家の次男だ。つまりこの一帯の領主の一族で、家柄はこれ以上ないくらい高い。この地方はまだ国がないけれど、セレンディア公の呼びかけで近いうちに一つの国になるというのがもっぱらの
その名もセレンディア公国。
つまり、レニウスは国を背負う一族の家系になるということだ。
ウェーブがかかった金の髪を短く整え、鋭い青の瞳。容姿も運動神経も抜群にいいし、背も僕より高い。学力もずば抜けていて、魔法学から古代史まで、レニウスはずっと学年上位を維持し続けた。故に、今期の卒業生代表にレニウスが選出されたのは、誰一人、文句を言うものはいなかった。
いつも皆を引っ張るリーダーで、そんなレニウスがあまり友達がいない僕にやたらと絡んでくるのは
レニウスは在学中も女子から大人気だったし、今、リリルとじゃれあっている奥の方では、出待ちと思われる女子たちがそわそわしながら、
一方、そんなレニウスに真っ向から意見し、取っ組みあっている緑髪の女子はリリル・メイフィス。セレンディア南西部の出身で、八人姉弟の長女らしい。
くせっ毛のレニウスとは対照的な、ストレートの髪をショートにしていて、まるで神木の精のように
僕はこの二人が、とてもお似合いだと思っていた。
だって、リリルがあんなにぽかぽか
さすがにいつも見ている二人だから、いやでもお互いの
「それじゃあ、僕は行く、よ……お?」
「待って!」
立ち去ろうとした僕の背中が、ぐいっと引っ張られる。
リリルだった。
レニウスはリリルの後ろで、魂が抜けたように倒れている。
ま、まあ……これも、いつもの光景。
「本当に、本当に、今日、これからすぐ、石碑巡りの旅に出るんだよね?」
ずずっ、と顔を近づけてくるリリル。
顔を引く僕。
「うん。これからすぐに行く。もう準備も整っているんだ。マールが建てた石碑を巡って、立派なマール聖神官になるのが夢だから」
「それは散々聞かされてきたから知ってるけど、再確認。なんたってマールはカナクの恋人だもんね」
「なっ、そんな……マールに失礼じゃないか!」
「あはは!」
屈託なく笑うリリル。
まったく、とんでもないことを言い出すんだから。
「じゃあ、寮を出るのは30ミン後くらい?」
「ん……まあ、そうなるかな? もっと早いかもしれないけれど」
「わかった!」
リリルが猫のように目を細め、口を緩めて
わかったって、なにがだろう?
「じゃ、あたしは色々と準備があるから、ここで。カナク、頑張ってね!」
リリルが笑みを浮かべたまま、右手を差し出す。
準備?
なにがなんだかわからないけれど、僕も
……とても痛かった。
その後、僕は、親や友人と抱き合っている同級生らのあいだを縫って寮に戻ると、旅のために用意した
ついに。
やっと。
この日がきた。
石碑巡りは、
今からちょうど一〇〇〇年前。
このアレンシアを旅して、魔法という技術を各地に広めた
マールは各地に、四つの石碑を建てた。それぞれ個々に参拝する信徒もいるけれど、それじゃ意味がない。
僕が敬愛し、尊敬し、心服している、マール。
彼女がなにを思って、過酷な旅をしたのか。
残念だけど、ノートリアスが書いた本が原典となった“マール教典”には、それが載っていない。
僕はマール本人の言葉を知りたい。
養護施設で物心つくまで育ち、その後、セレンディア・マール聖神殿の司教さまに導いて頂いた僕は、これこそお導きとしか思えなかった。
だから、石碑巡りの旅に出る。
卒業証書が入った筒を鞄の側面に刺し、バンドに腕を通して背負った。
服はこの紺色のローブで充分だ。元々、魔法に耐えられるよう頑丈な作りになっているし、なにより着心地がいい。
一〇〇〇年前には、こんなに軽くて丈夫な衣類なんてなかったはず。
この身は全てマールからの授かり物です、という意味が込められた敬礼だ。
「よし!」
さあ、心の準備もできた。
部屋の荷物は全部、先にセレンディア・マール聖神殿にある僕の部屋に運んだ。
あとは気持ちだけ。僕は部屋を出て、今までお世話になったこの場所に感謝を込めて頭を下げ、寮を出た……その時だった。
「カ~ナ~ク~!」
正面から女子用の短いスカートと、マントを翻して走ってくる女の子がいる。
リリルだった。
マントはともかく、そんなに足をあげて走ったら……もう、ちらちら見えてる。
「リリル、どうしたの?」
僕の声が耳に入ったのか、リリルはその場で手を両膝に置き、肩を上下させる。
なにかおかしい。
どうしてリリルは、手にワンドなんか持ってるんだろう?
と、次の瞬間。
しゅっ、とワンドで円形の魔法陣を書いた!
「は、はあ!?」
あれは……緊縛系の魔法だ!
僕はそれを避けるため、寮に戻ろうと
「させないわよ! 『
うわ、本当に魔法を唱えてきた!
こっちはちょうど身体を
「ちょ、うわあっ!」
背中から転ぶ。
雲のない、
でも次の瞬間、寮の階段に後頭部をしたたかに打ち、ごちん、という音とともに、暗闇の中に星が
意識を失った。