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第十話 そして悠久へ

 翌日。


 私の生活は、平穏へいおんそのものだった。


 湖での一件はお父さまが動いたこともあって、ローマン・デジールたちがやってきた数々の悪事あくじが浮きりとなり、今まで泣き寝入りしていた村民らも声をあげ始めたので、村じゅう大騒おおさわぎになった。


 昼過ぎには村民会議が行われ、これまでローマンらがやってきたことが真実だとわかると、デジール家は次期村長候補を取り消され、その取り巻きや仲間の女の子の家も、村での立場を大きく落とした。今は各自、家で謹慎きんしん処分を受けているという。


 それもこれも、どこからともなく現れた紅い髪の女のせいだといううわさが若者たちの間で広まったらしいけれど、次から次へと明るみに出るローマンらの悪行の数々が私の噂を上回っているので、すぐに打ち消されるだろう、とエセルが言ってくれた。


「イーヴァのおかげだよ。今まであいつらには手を焼いてたんだ」


 マールの湖で、並んで魚釣さかなつりをしていたエセルが言った。


「あの子たちって、そんなに厄介やつかいだったの?」


「少なくとも子供がやっていい領域はとっくにえていた。畑から野菜をぬすんだり、人の家に犬の死骸しがいんだり」


「本物の外道げどうね」


「うん。でも僕はちがう。何度もあいつらを止めようとしたんだけど、さすがに三対一じゃ、どうにもならなかった。大人に訴えても、デジール家が次期村長候補だってだけでもう“なかったことにしろ”だ。いちばん悪いのは馬鹿な大人たちだよ」


 エセルが竿さおを持ったまま、しゅん、と首をもたげる。


「そんなに気落ちしないで。もし私が普通ふつうの女の子だったら、本当にひどい目にわされていたわ。ありがとう、エセル」


「え、あ、いや、そんな……」


 顔を上げて、笑顔えがおを見せるエセル。

 私も微笑ほほえんで、かれに応えた。


 今日も良い天気。

 様々な色のマナが、たくさん飛んでいる。

 空気が美味おいしい。

 風が気持ちいい。


 こんな美しい村でもローマンのような連中がいるんだから、人間って救えないなって思う。もっとフォレストエルフらを見習って、きちんと規律を守って暮らせればいいのに。

 あれじゃ闇種族エヴイレイスと変わらない。


「ねえイーヴァ」


 不意に、エセルが話しかけてきた。


「え、あ、なに?」


「君は村長のところにいきなり現れたって、本当?」


「あ、うん。本当」


記憶きおくがないっていうのも?」


「うん」


 夏の日差しが、私とエセルを目映まばゆく照らす。

 鳥の鳴き声や、木々のざわめき、そしておどり遊ぶマナたちが、私の心をなごませてくれる。


「どこかに行っちゃったり、しないよね?」


「え?」


 エセルの言葉に、胸がずきんと痛んだ。


「君のその不思議な力があれば、幻惑げんわくの森をけられるような気がするんだ。そうなったら君は……そのままどこかに旅立ってしまいそうでさ」


「うーん、今はまだ、そこまで考えてないかな」


私は竿さおが上下するの感覚を見逃みのがさず、一気に引き上げる。

 立派な魚をげ、かごに入れた。


「今はって、どういうこと?」


「もうエセルったら。なんでそんなことをくの?」


 ばりえさをつけて、また水面に放る。

 ぽたん、と音がして波紋はもんが広がった。


「僕、君が好きになっちゃった」


「え!?」


 エセルと私の竿ざおが、同時にれた。


「いや、だって、私たちがったのって、昨日じゃなかったっけ?」


「そうだね」


「そうだねって、私はあなたのことをなにも知らないし、あなただってそうでしょう?」


「うん」


「それでどうして、こんな得体の知れない女を好きになれるの?」


 エセルは竿さおを置いて、私の方に向き直った。


「畑で、村長と一緒いつしよにいた君を目にして、あ、この子だって思ったんだ。一目惚ひとめぼれ、じゃあ駄目だめかな?」


「いや、その……そんなこと、ないけど」


 私は顔を熱くして、うつむいた。

 照れる。


「僕はきみだけを大事にする。だから、僕と、その、つき合ってくれないかな」


 真剣しんけん眼差まなざしを向けるエセルに、私は当惑とうわくする。

 でも、答えは決まっていた。


「ありがとうエセル。でも、今はだめ」


「今は?」


「うん」


 私は瞬時しゆんじに耳まで熱くなった。


「だって今の私は、ちゃんとした私じゃないもの。記憶きおくもどしたら、すっごく性格の悪い女かもしれない。そうなってから、あなたにきらわれるのが、こわいの」


「じゃ、じゃあ、僕のことをきらい、ってわけじゃないんだね!?」


 破顔して、ぐな視線を私に送るエセル。

 そこに嘘偽うそいつわりは、全くない。彼は純粋じゆんすいに、私のことを好きになってくれたのがわかる。


 参ったなあ。

 エセルって、なんでこんなにぐなんだろう。


「うん。今の私は、たぶん、エセルが好き」


「ああ、うれしい。その言葉だけでもうれしいよ!」


「え、わわ!」


 エセルが突然とつぜん、私にきついてきた。

 私も、エセルの背中にうでを回す。

 やっぱり、いやじゃなかった。


 私はこのお日様のにおいがするエセルが、好きなのかも。

 でも、だからこそ、このふわふわした私をなんとかしないといけない。

 そのためにも……。


「こんな自分知らずの、よくわからない女を好きになってくれて、ありがとう」


「なにを言ってるんだよ。きみこそ、こんな土臭つちくさい僕を好きになってくれてありがとう。きみのことは、必ず僕が守る!」


「うん」


 この時、私はかすかな幸せを感じつつ、おのれが成すべきことをやろうと決意した。

 きっとそこに、幸せがあると思うから。


「じゃあさ、エセル」


「ん?」


 きょとん、としたエセルに、私は言葉を重ねた。


「ちょっと手伝ってくれないかな。このマールの村のために」


 それから十日ほどった。


 その間、家にある書物をすべて読み、この世界の基礎きそを学んだ。

 かなり古いものだったけれど、世界は数十年たらずでそこまで大きく変わらないだろうし、なにも知らないよりはましなはず。


 本は、からっぽの人間の頭に叡智えいちあたえてくれる。

 二十六冊の本は私が知りたいことを、おおよそ教えてくれた。


 ここはどうやら“アレンシア”と呼ばれる大陸らしい。


 そしてマールの村はちょうど真ん中よりやや南、大国の隙間すきますきまに位置している。その上、幻惑げんわくの森があるので、長らく人の手が入っていない土地だと推察できた。


 アレンシアの南東にあるのは、大陸一の国力をほこるフェルゴート。

 南はコルセア地方。

 南西はセレンディア地方。

 東にはレベルド帝国ていこく

 北東のガザラとミスティカ。


 これらは陽種族(ロウレイス)と呼ばれる人間、フォレストエルフ、ハーフエルフ、ドワーフらが支配している勢力だ。


 そしてこのマールの村の北から北西にかけてを制圧し、なお支配地を広げているのが、フロージアのディルギニア公国、トロルの国オーダス、ログナカンの国ログナック、ダークエルフの国グレイウッズという、闇種族(エヴィレイス)たちの勢力がある。


 アレンシアは長い間、これらが勢力争いをしているという。


 そしてマールの村から南の位置には、ラミナという街がある。

 つまりマールの村はコルセア領内にあるいうことだ。


 お父さまの、さらにお父さまの商隊は、なんで幻惑の森に入ったのだろう。それはわからないけれど、きっとそこにもなにか意味があるんだと思う。


 幻惑の森は長い間、人をこばんできた。

 なのに何故なぜ、急に商隊を受け入れたのか。

 そして再び、商隊を外界から隔絶かくぜつさせたのか。


 世界に“無意味”なことは、ひとつもない。

 路傍ろぼうの小石にすら、そこにある意味がある。


 私はもう一度、古い地図をながめ、とある秘策を胸に、早朝ながらお父さまとお母さまに話があると言って、リビングにきてもらった。


「なんじゃイーヴァ、こんな朝早くに」


「そうだよ。しかもそんな真面目な顔をしちゃって。なにかあったのかい?」


 テーブルをはさんで、お父さまとお母さまが並んですわる。

 ここでの生活も慣れてきたせいか、お父さまもお母さまもかなりくだけて私に接してくれた。

 今では本当に、このお二人を父母だと敬愛している。


「お父さま、お母さま。私がここにお世話になってから十日以上もちますが、私はこんなに深いご恩と愛情を受けておきながら、なにひとつ恩返しができておりません」


 かしこまった口調で話したので、お父さまとお母さまは目を丸くして視線をわしていた。


「待っておくれイーヴァ、あんた、まさか……」


 出て行くつもりなのか?

 と言いたかったのだろうけれど、いち早く首をった。


「お母さま、そんなつもりはありません。しかし、どうしても私がやらなくてはならないことがあります」


 私はお父さまから頂いたワンドをいて、上に向けた。


「もうご承知とは思いますが、私は普通ふつうの女ではありません。だからこそ、できることがあるんです」


 この部屋にただよう、やさしげな色の青や緑、白のマナをワンドの先に集める。あわかがやきだしたワンドを目にして、お父さまとお母さまは言葉を失った。


「これは世界にあふれている自然の力、マナです」


「は、はあ?」


 首をひねるお母さま。


「マナはこの部屋だけではなく、村にも森にも、たくさんいています。何故か私はこのマナを集めて、様々な力に変換へんかんする術を体得しています。

 指先に集めることも可能ですが、やはりお父さまからいただいたこのワンドが一番、マナ変換効率が高かったのです。

 そしてあの幻惑の森には、どす黒いマナがきりのように立ちこめていました」


 私は集めたマナをそのまま解放する。

 ワンドの先からげるように、マナがまた部屋に広がっていった。


「まさかその力で、幻惑の森にいどむと言うのか?」


 お父さまの表情が険しくなる。


「はい」


 私はその双眸そうぼうをまっすぐと受け止めて、力強くうなずいた。


「それはダメだっ!」


 お父さまはいかりをあらわにして、椅子いすたおしながら立ち上がった。


「なあイーヴァよ。わしらはもうよわい五十を過ぎている。お前さえいてくれれば、お前さえ幸せであれば、それ以上、なにも望むものはない。何故、そんな危険をおかして、あの幻惑の森にいどまねばならないんだ!」


「すべては、この村の発展のためです」


 私が語気を強めてそう言うと、お父さまは気圧けおされて、力を抜いた。


「どうしてお前が幻惑の森に挑むことが、村の発展に繋がるんだい?」


 そう言うお母さまに顔を向けて、説明した。


「この村は主に木の道具を使っています。農具も、りも、酪農らくのうも、調理に使うナイフも、すべてです。何故かといえば、この村は鉱山がなく、また、あったとしても金属を精錬せいれんする技術がありません。

 私がこの村に必要なのは、鉄器だと思うんです。これを手に入れるためにはだれかが幻惑の森をけて、ラミナの街まで行く必要があります。

 ラミナはこの辺りで最も交易がさかんな街だと本で読みました。昔の本から得た知識とはいえ、街の性質はそう変わらないと思ったのです」


「つまりイーヴァは村のために、鉄の道具を仕入れるために、ラミナの街に行きたいと?」


「はい。私は必ずもどってきます」


 お父さまはどさっ、と音を立てて、椅子に身体を預けた。


「気持ちはありがたいよ、イーヴァ。だがね、肝心かんじんなものが、ここにはないんだよ」


「お金ですよね」


「!……気づいておったか」


勿論もちろんです。そして、その問題も解決できます」


「ほう?」


 お父さまもお母さまも、徐々じよじよに私の話に乗ってきた。

 この調子で、二人を説得しよう。


「ラミナの街は付近に湖や川がありません。この地理的に推察するに、お魚や貝などは希少な食材としてあつかわれているはずです。そこでこの十日間、エセルに手伝ってもらって、木箱いっぱいの干物ひものを作りました。これを宿屋か市場で売れば、かなりのお金になるでしょう」


「なるほど。そのお金で農具を買って、ここにもどってくるという計画かい?」


 お母さまが得心して、何度も首を縦にる。


「その通りです。この計画が上手うまくいったら、マールの村とラミナの街の、交易ルートが確保されるということになります。私さえいれば何人かを連れて幻惑げんわくの森をえられるんです。そうなれば――」


「イーヴァの推論すいろんが正しければ、村に大改革が起こるな」


 お父さまは腕組うでぐみしてうなる。

 納得なつとくはしていないけれど、この話のメリットがどれだけ大きいかは理解してもらえたようだ。


「それで、いつ出発するつもりなんだ?」


「今から」


「なんだと!?」「今から!?」


 お父さまもお母さまも、驚愕きようがくの表情をかくしきれなかった。

 この手の交渉こうしようは、時間をおいてはいけない。

 もし明日に、などと言ったら、お二人の気持ちが変わってしまうかもしれないから。


 もう部屋にはたくさんの干物ひものを入れ、背負えるように皮のバンドを取りつけた木箱を用意している。地図から計算するとマールの村からラミナの街まで、徒歩ならおよそ二十五日の旅路たびじだけど、これはあてにならない。


 ひとまず、そこまで計算に入れて、三十日分の食料と水も用意した。

 私の華奢きやしやな身体ではかなりの重量だけど、マナの力を借りて荷物を軽くする“重量変化の法術”も使えるようにしておいた。


 すべて整っていた上で、お父さまとお母さまに話をったのだ。


「イーヴァはかしこい子だ。今から行くというのならば、もう準備は万端ばんたんなんだろうなあ」


 お父さまがパイプをくわえて目を落とす。


「こりゃあ、行かせてやるしかないかねえ」


 お母さまは寂しげに、だけど、にっこりと笑った。


「ありがとうございます、お父さま、お母さま。私は必ず、この村をより発展させるための物資を仕入れてもどってきます!」


 私が頭を下げて言うと、ぽん、ぽんと二つのやさしい衝撃しようげきが後頭部を打つ。

 お父さまとお母さまの、手だった。


「行くのは構わん。だが、必ず帰ってきておくれ。イーヴァはもう私たちの、かけがえのないむすめなんだから」


 お母さまの声だ。


「その通りだ。こんな可愛いむすめに長旅をさせたくはないが、イーヴァの提案が上手うまくいけば、村のものはみんな、喜んでくれるだろう。村長としてたのむ。やってくれるか?」


 お父さまの、苦渋くじゆうの言葉が、耳に痛い。


「お母さま、お父さま。私は命を捨てに行くのではありません。お二人からたまわったご恩をお返しできる方法を考えついたので、それを実行するだけです。ご安心下さい。何日かかるかはわかりませんが、必ずこの村を豊かにする道具を手に入れて帰ってきます」


 私は額を机につけて、感謝の言葉をおくった。



 それから私は自室にもどり、干物ひものを入れた木箱と、そのとなりに置かれた肩掛かたかかばんに目を向けた。

 木箱には売り物の魚が、そして鞄には旅に必要なものが入っている。


 私とエセルはこの十日間とおかかん、マールの湖で一生懸命いつしようけんめい魚釣さかなつりをして、たくさんの魚を手に入れた。


 だれもこなくて、一番陽当たりが良い場所に、塩と水桶みずおけ、縄と木箱を一緒にんで、魚をさばいては干していった。


 そこは私がたおれていた、あの坂道だ。


 村の戒律で、この坂をのぼることは固く禁じられている。

 ここなら干物造りにうってつけなのだ。それに私は、そもそもそんなところに倒れていたのだから、なんの抵抗ていこうもない。


 もっとも、エセルはとてもいやがったけれど。


 とにかく、こうしてできあがった干物を木箱にむと、かなりの重さになった。そして今、私はワンドを箱に向け、マナを集めて緑色の円陣えんじんえがき、詠唱する。


『我が指し示すものから重量をうばえ……重量変化の法術!』


 ワンドの先を円陣の真ん中に突き刺す。

 すると、木箱とかばんうつすらとしたかがやきに包まれた。


「ふうっ……さて、どうかな?」


 私は軽い疲労を感じつつ、ワンドをこしに差し、木箱のベルトを持ち上げる。

 大きな木箱なのにまったく重さを感じず、片手ですっと持ち上がった。


「うん、大丈夫だいじようぶ


 肩掛け鞄も同様、重さがない。まるで羽のようだ。

 私は鞄を肩から提げ、木箱を背負い、リビングに向かった。


 お父さまとお母さまは私の格好を見て仰天ぎようてんしていた。


「お、おいイーヴァ、そんな格好で動けるのか!?」


 お父さまが声をあげる。


「問題ありません」


 私が笑顔えがおで応えると、お母さまが目を丸くしていた。


「ははは、それじゃあまるで、木箱が歩いているみたいだねえ」


「思ったよりも魚が多かったので。エセルに会ったらお礼を言っておいて下さい」


「ああ、わかった。言っておくよ」


「では」


「うん、気をつけて」


 お父さまとお母さまに頭を下げ、家を出る。

 二人は外まで見送りしてくれて、心配そうに私をながめていた。

 私は手を大きくって「いってきます!」とさけんだ。


 雲ひとつない青空が、まるで私と、マールの村の前途ぜんとを、祝福してくれているようだった。

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